今日一日具合が悪くて、寝床から出られず、そこから赤ちゃんを見守っていた。
精神安定剤を飲んだら、体の緊張が取れたのか、冷や汗が止まり、動けた。
それでも「シミがあって太っていて、こんなに醜いのだから人に会いたくない」という気持ちは消えなかった。手も、きれいじゃない。美人の手じゃない。
消えてしまいたいと思う。
わたしは父に会うたび、挨拶もせずに「また太った?シミがひどくて汚い」と言われた。
わたしは、そんなに気にしていなかったけれど、絶縁した中学生の時の同級生もシミがひどいと言ってきた。
シミを気にする人は合わない、だから、絶縁したんだけど、こだまのように、思い出されて、わたしを苦しめる。
シミがあったからといって、別ん誰に迷惑をかけるわけでもないのだけれど、それをわざわざ言ってくる人がいる。何も考えていないのだろう。それか、わたしを傷つけたいんだろう。肉体的な特徴をわざわざ私に告げたとしても、わたしにどうすることもできない。そんなことは考えればわかるが、考えなければわからない。考えることが面倒な人は考えないので、考えないで、言う。
考えない人のために、わたしの人生は、困難なものになった。
何をするのにも、否定的な言葉がよみがえる。
わたしは父に、老人はんひどいね、デブだね、口臭ひどいね、とは言っていない。もうすぐ禿げそうだし、本当に醜い生き物だね、とは言っていない。
そういう人は、自分が言われることは想定していない。
わたしに対して、シミがひどい、センスが悪い、だからあなたはだめなんだ、と一言目に言う人は、別にきれいな人じゃなかった。
でも、わたしは「髪が薄くて、みっともないね、痩せすぎだから醜いし、あなた、評判すごく悪いよ。けちだし、常識もないしね」とは言ってない。
こういう風にふるまったほうがいいですよ、普通の人に合わせたほうがいいですよ、みんなこういってます、という人もいるけれど、わたしはそういうのを聞くのもしんどい。知りたくない。
わたしは、わたしのやりたいことを邪魔されるのも指図されるのも嫌いだ。自分を大事にするほうがいいとか、だから、言うことを控えるべきだと言われるのも不愉快だ。
そういうのは、はっきり言えることが多いのだけど、美醜に対しては、そのまま受け取り、苦しくなってしまう。
ほかにも、あなたはこうだから駄目だ、というのを素直に聞いて、悩んでしまう。
そういうのもやめにしたい。
別に太っていて醜いおっさんなんて山ほどいうけど彼らはそんなこと気にしていないし、気づいていない。言われることもないんだろう。
それがうらやましいとはちっとも思わないけれど、鈍感だと生きやすいんだなと思う。
鈍感になりたくない。わたしはわたしでいたい。それなのに、太っていて醜い、だけで、消えてしまいたくなる。ふっと死にたくなる。
スポンサーリンク