読んでくださる方へ

わたしは生きています。昨日はリスパダールを飲んでも死にたいという気持ちや衝動が消えず、心配をおかけしました。

ありがとうございます。気にかけてくださって。

 

Twitterやコメント、メールで、「何の役に立てなくてごめんなさい」と言われることが最近あります。

そんなことない、って言いたくて書きます。

ブログ、読むのにも、それぞれの生活や人生があって、その、一部を使って、読んでくださっていることに、本当に感謝しています。

アクセス数を見ることができますが、それは数字じゃなくてその背後に一人一人がいること、伝わっています。

正直に言って、はてなブログで書いていた時には、有名な人に読んでもらったり、言及されたり、いろいろな人に引用されたりすることが、単純にうれしいと思っていました。

読んでもらうと、アクセス数が増えて、それが自分の力だと思いました。

でも、波が引くように人がいなくなってから、それでも残ってくださった人がいて、わたしは、感動しました。

ほんとに、死のうかと思うこともよくありますが、それでも踏みとどまれているのは、支えてくれている人がいるからです。それは、家族、友人、今この文章を読んでくださる人です。わたしのことを嫌いで読んでいる人も当然いらっしゃるとは思いますが、それでも、時間を割いてくださることに感謝します。

 

もともと、不正義について描いていたことが多いブログでしたが、アクセス数が単に数字じゃないと気づいて、さらに、不正義や疑問を書いていくことにしたのは、みなさんのおかげです。

 

わたしは、たまたま文章が得意で、書くことができます。得意というと語弊があるかな?傲慢かな?とも思うのですが、自分の思っていることを伝える技術を持っているくらいに思ってくださればいいです。

 

一方で、わたしにはソーシャルスキルが欠けていたり、ほかにも、年齢の割に、獲得していない能力がいくつかあります。

コメントや、ツイッターで声をかけてくださる人や、メールをくださる人に、そういう面で助けられています。

いわば、わたしは、みなさんの助けを借りて、文章を書いています。

読む人がいなければ、文章の意味がないです。いや、自分では読むし、記憶の整理にはなるんですけどね。

わたしは、わたしの考えたことを書きます。わたしにはその力があって、だから、その力を正しく使いたいと思います。

鋭い刃物を振り回しているだけじゃなくて、その刃物に、方向性を与えてくれるのは、読んでくださる人です。

アドバイス、励まし、いたわり、共感、そういうものがなければ、今まで続けることができなかったでしょう。

わたし一人で書いていると考えていたのは、傲慢でした。

わたしは、歴史上の人や、本を書いてくれる人や、話してくれる人、交流する人、読んでくれる人、そういう人の力を借りて、文章を書けているのだなと今は思います。

影響力がある人が偉い、すごい、という気持ちが全く消え去ったとは言えませんが、そうじゃなくて、わたしは、わたしの信じることをこれからも続けていきます。

間違っていた時には自己保身はせずに、反省や、謝罪を、できる人間でありたいと願います。

読んでくださっている人で、何もできていない、と心を痛めている方がいたら、そんなことはない、わたしは、あなたのおかげで生きていられるし、書いていられると伝えたくて書きました。

読んでくださってありがとう。

わたしは、卑怯な人間にならない。そして、これからもブログを続けます。

c71の著書

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