【異性愛カップル】女性は男性に家事を教えなくていい

成人した異性愛カップルにおいて家事育児の分担は大きく問題になる。

よく、男性も女性も「女性が、男性パートナーにわかりやすく、できることから、丁寧にひとつずつ、新人教育するように教える」ということを言う。
わたしはそれに反対だ。

たいていの場合、家事育児のやり方を「教育」するのは女性だ。「協力」を求めるのも女性だ。
男性は「言われるとやる気をなくす」「もっとわかりやすくいってほしい」「冷静に言ってほしい」という。
しかし、やる気をなくすも何も、そもそも、やっていないわけなので、これ以上やる気をなくすとしたら、マイナスがさらに虚数になるのか?という感じがする。
そもそも、女性と男性は対等なので、女性に「教育コスト」「説明コスト」そして、そもそも「家事育児」の負担がのしかかるのはおかしい。
男性は「働いていること」を免罪符にするが、成人しているなら、基本的に、自分で自分の面倒を見るのは当たり前だ。その前提の上に「各家庭の家事分担」が初めて議論できる。
自分のことを自分でやる、という部分には「自分でわからなかったら、やり方を調べる」「教えてもらうように頼む」という姿勢が不可欠だ。
前提が間違っているのだ。
女性が「説明して」「協力を求めて」「教育する」のでは、対等ではない。対等な相手に、上記の言葉は使わない。
成人した、責任能力のある相手に、一方的にケアをするのは間違っている。
たいていの場合、ケアをするのは女性側だと決まっている。

対等というのは、自分で自分のことをするという前提に立って、その上で、まとめてやったほうが効率が良いことに関して、役割を決めるという態度が必要だろう。

気がついた人がするというのも罠だ。
家事をしない人は当事者意識がないので、気がつかない。
気がつくのは、家事をできる人だけ。

余談だが、「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と考えている人たちは、わたしとパートナーの関係をうらやましがったり、嫌味を言いたくなったりするようだ。
わたしは「全部やってもらってるじゃない?」と言われる。
パートナーはわたしに相槌を打っただけで「優しい」と言われる。
どちらも、こちらとしては、苦笑いするしかない。

そういう人は、家事をする男性を求めているのだろう。しかし、家事を当然する男性は、基本的には「男とはこうあるべき」という思考を持った人を好まない。逆もまた叱りで、わたしは、対等である相手しか好まない。当然、家事育児を主体的ですることを当たり前に求める。家事をする、育児をする。というのはやさしさじゃなくて、責任感、主体性を持つこと、当事者性を持つことに他ならない。
その意識が生まれるためには、人権意識が必要だ。相手には相手の人生があり、自分には自分の人生がある。
それを実現するために、お互い補い合う。自他の区別をつけ、自分の人生は自分のもの、相手の人生は相手のものだとわかることが必要不可欠だ。

ほめて育てる、という方法論は聞き飽きた。
パートナーシップを結ぶのは、子供じゃなくて、大人だから。

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