お年玉で、子宮内膜症の治療費と薬代を払っていた高校生時代

服は年に二回、買ってもらう以外買ってもらえず、ブラジャーも、スポーツブラの白い奴を二枚買ってもらっただけだった。

中学生の時、生理で倒れて、救急車で搬送されて、点滴を打っていたら、母親がやってきて、胸ぐらをつかんで「救急車にいくらかかると思ってるんだ」「どうして救急車なんかに乗ったんだ、その前にできることがあっただろう」と揺さぶられた。その時に、子宮内膜症だと分かった。

母親は一度も産婦人科に付き添ってくれたこともない。お金もくれなかったので、お年玉で薬代と診察代を払っていた。産婦人科にも行っていいと言われなかったので、内科併設の産婦人科に一人で通った。遠い場所でバスで三時間かかった。中学生になったら、足が折れていても、病院に連れて行ってもらえず、自分で行くなら行けばって言われてやっぱりお年玉で払った。

子宮内膜症だと分かる前からも血の量が多かったので、ナプキンをしょっちゅう変えていたら、「いくらかかると思ってるんだ」と言われて、自由に変えさせてもらえなかった。異臭がする時もあったので、同級生に何のにおい?って、男子に言われて恥ずかしかった。

今は子宮内膜症も治って、痛み止めを飲めば痛みが止まる。下半身がちぎれると思うほど痛くて、神様に一生子供いらないから子宮をなくしてくださいって祈りながらうめいていたら、「うるさい、大げさ、近所に聞こえる」と言われたときや、「這ってでも学校に行かないと生理だってばれるから、あなたのためを思って学校に行けというのよ」と言われたときの気持ちは思い出せないでいる。

今は好きなだけナプキンを変えられる。好きなだけ買える。大人になるのはいいものだ。

少し似てる部分があると思いました。

c71の著書

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