わたしがくるってしまうのは

わたしの心で何が起きているのか、全然見当もつかない。
思い出すのは、色気づきやがって、塗りたくりやがって、あんたなんてだれもみてない、みっともない、髪を伸ばせば汚らしいと言って断ち切りばさみで切られ、短ければかっぱみたい、スキンケアは一切許されない、鏡を見ていれば、自意識過剰、見ても何も変わらない、雑誌は無駄、お小遣いはお父さんからもらいなさいと言われお父さんに会えば小銭をうえからおとす、お年玉をもらえばだれがお返しをするんだと思っているんだとののしられて、「はやりならば鼻水もきれいっていうもんね」と出かけるときに言われて。
サークル参加したときに具合が悪い時には、わたしの本をもって、母親がサークル参加し、友達に会いに行き、高校の卒業式は、母の友達とご飯を食べることになって、写真館で撮った写真は母が前にいて私が後ろ、母はにこにこしていた。

成人式は「高校の卒業式したんだからいいでしょ」と言われた。
レースのブラウスを買ったら、「意味ない、へん、もったいないから返品しなさい」と言われて、服を買うたびにそれをされたのでつらかった。
そういうことを思い出しながら服を買うから、いつも罪悪感と重圧でいっぱいになりながら、その思い出をはねのけようとしながら買う。
今のがしたら二度と買えない、我慢する日々はもう二度とごめんだそう思って買ってしまう。
隙じゃ無い格好をするのは二度と嫌なんだ。
十五年前のおさがりを中高生と着せられて、みじめな思いをしたのを思い出す。服を着るのが怖かった。
外に出たくないから、家にいると邪魔だと言われて、外に出ても、外に出ていたなと怒鳴られ、家の中で気配を消してじっとしていたら、あんたは頭がおかしいと言われる。
とろい、融通が利かない、あたまでっかち、頭がおかしい、変な子、育てにくい子、かわいげのない子、うるさい子、そういう風に言われたことを服を買うたびに思い出す。
わたしは押しつぶされそうになりながら、それに抗おうとする。そうすると買いすぎてちょうどいい量が分からない。
盗られると思う。
わたしの数少ない買った服は、いつの間にか妹が着ていた。
妹はいつもブランドの服を買い与えられていた。成人式にも振袖を着ていた。
おしゃれだといつも褒められていたのは妹、それに比べてどんくさくて勉強だけの姉、気が利かない、何もできない、運動は苦手で無能で心がない、非情な子、非常識な子、友達がいない子、と言われていた。
受験に合格したら、「喜ぶな」「喜んだらそこで満足して成長が止まる」と言われて喜ぶことも禁止され、けがをしたら「とろいから、ほかの人の迷惑になった」
未知で倒れて、救急車を呼ばれたら「いくらかかると思ってるんだ」と胸ぐらをつかまれる。
病院に連れて行ってほしいと言ったら「私のほうが具合が悪い」「近所で噂になったらどうする」「迷惑なのはこっち」「運転したくない」
骨折をしても、病院に連れて行ってもらえず、骨折させた相手に私が謝らされた。わたしがとろいから。
服を買うということは、そういう背景が、わたしにくっついている。
趣味をするときも、勉強以外のことは無駄だから、やってはいけない、無能な、価値のない、お前がというセリフを振り払いながらするから、とても疲れて、過剰になる。
闘わないと、できない。
だからしんどい。
下着を買ってもらえなかった、みんなと同じようではなかった。
修学旅行の時みんなが新しいパジャマや下着、服を買ってもらうようなことはなかった。
みっともないみっともないといわれて、足の白さを人に言われたら「色気があるでしょ日に当たってないから」と言い、母は、わたしに赤ちゃん言葉でしか話しかけないでいて、成人した誕生日のプレゼントは三歳児対象のおもちゃだったから、わたしは泣いたが「泣くなんて意味が分からない、あんたは感謝の心がない頭がおかしい」と言われた。

わたしが、モノを扱うことや買うことについておかしいのは当然だと思う。
でもその当然をほかの人は知らないから、奇異な人間だと思う。思われてしまう。でも、いちいち、こんな説明はできない。
母には、ふろを覗かれ、あんたは肌が白いね、体が成長したと言われて、着替えを見られ、口にキスをされ、触られ、みじめで、自分の体が自分の者じゃないようだった。月経になったとき、パニックになって泣いたら、怒鳴れなじられ辱められた。
眠っていれば、たたき起こされて、眠っている暇があれば、勉強をしろ、ふらふらになれば、這ってでも学校には行けと言われていた。生理用品を使いすぎると言われて、いくら血が出るのか知らないけど、生理用品だってただじゃないんだからね、いくらかかると思っているんだ、変える頻度を少なくしろと言われて、その通りにしたら、同級生の男子に「なんかにおいする」と言われて死ぬほど恥ずかしかった。
母はそういう人で、わたしはそういう「普通」を生きた。

c71の著書

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わたしがくるってしまうのは」への2件のフィードバック

  1. わたしも同じようでした。
    生き延びたことが良かったのか、今でもわかりません。
    生きていてもゴミと二酸化炭素を出すばかりで何もいいことがないような笑笑

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