さみしくてさみしくてさみしくて、手を伸ばす

複数の人に自分の機嫌をとるのがうまいといってもらえたので、信じられないような、意外な気持ちになった。

わたしは暗い青春を送っていて、渋谷に買い物に行こうといわれても華やかな場所が怖いと断ってたくらい。
でも、ほんとはそういうところにいく人生がよかった。

さみしくてさみしくてさみしくて、夜に苦しくなって、そうなると変な人と関わるようになって、トラブルになることも続くんだけど、とにかく大量の人に話しかけて話してだんだん楽しいときも増えてきた。

失敗も多いけど、居心地の良い人間関係を知って、人間関係のことも学んだ。

さみしくてさみしくてさみしくて、どうしようもないときに、ああ、これがあるから人と関わる気になるんだなと気がついてから、だんだんさみしさを原動力だと捉えるようになった。

そして、長い時間をかけて、生活を整えることが、気持ちの荒れをケアすることになると気づいて、部屋を整え、風呂に浸かり、爪を塗り、髪をブローし、毎日洗濯して畳んでしまうようになった。

忙しければ忙しいほど、そういうことが必要なのだ。
忙しいと、できなくなるけど、できなくなるほど忙しいのは、キャパを超えてるから、忙しいこと自体をやめる。

セルフネグレクトをやめるためには、たくさんのことを学ぶ必要もあった。
でも、それもさみしさが原動力。さみしくなければ、自分の欠けている部分に気づかなかった。
手当たり次第になんでもためしてみるのは、さみしかったから。

助けになることがつらいとき、声をかけるだけでも、かけられるだけでも、全然違う。
なんにもできないなんてことはない。
できることがおもいつかないなら、一緒に考えればいい。
孤立せず孤立させない。
それが一番大事なこと。

c71の著書

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さみしくてさみしくてさみしくて、手を伸ばす」への3件のフィードバック

  1. 私は「オマエは心が醜い」「オマエは価値が無い」というメッセージを歪んだ親きょうだいと親戚からこれでもかと叩き込まれてきました。
    あまり洋服に執着は無かったけれど、見た目など一見無駄な事に手をかけて貰っている子達の親からの想いの深さがとても羨ましかったです。

    「世の中には顔が可愛くなくても、性格ブスのいじめっ子でも、いじめっ子に必死に媚びて調子づかせて保身してターゲットのクラスメイトを苦しめるような心の弱い子でも、ドンびくくらい凄い服を着せられて髪型も手をかけて貰って、溺愛されている子もいるのになあ。」と思っていました。

    そして「可愛くないのにって考え方をする自分が醜い。だから私はダメなんだ。」とグルグル考え、「私はクラスメイトをあの子は性格が良く心が綺麗。あのいじめっ子は性格が醜く親のシツケの悪さが見て取れる。こうやって人様を勝手にレッテル貼りして分類している。そういう所が傲慢だから、親にまで憎まれるのだ。」と自分を責め、その内、自分自身を「私はいつか事件を起こす人間なんじゃないか。」と思うようになりました。
    最終的には「私みたいな心の醜い人間が幾ら綺麗な格好な事をしても、それは虚飾に過ぎない。」と思う暗いお子様になりました。

    でも制服期間が終了し、見た目で他人を判断して「コイツには何をしてもいい。」と見做すおかしな人が実在する事に驚きました。
    自信の無さを嗅ぎ付けられ、ズタボロになり、「外見も自分を守る為の手段の一つ。」と考えるようになりました。

    今はパーソナルカラー診断を受けて自分に似合った色の服を選んでいます。
    周囲の方々に受け入れて貰うまでは我慢して化粧をしています。
    白髪も小まめに染めるようになりました。

    「親は自分に自信が無くて、親戚は歪んでいた。それが私の生育環境だった。彼女達は理屈っぽくて色々見透かしたような事を言う子供が怖かったのだなあ。そして、自分と同等の成績・能力・思考回路の方の子供達に安心していたのだなあ。私が悪いのではなくて、親や親戚の方がおかしかったのだ。子供の頃の私は別に悪くなかったのだ。」と自分自身に言い聞かせています。

    子供時代を上手く卒業できていない私は、大人の女性の格好をするのにとても抵抗があります。
    「私はお母さんのお母さんをしてあげないといけなかったのに。それどころか父親の役目も負わされたのに。私は親に甘えられなかったのに。何でこんな大人の格好をしないといけないの?」と思います。
    でも、周囲の教授や同僚に自分の理想の完璧な父親や母親を求めると、それがトラブルに繋がりました。
    学校や職場の集団を疑似家族のように捉え、機能不全家庭の歪みを背負わされた実家や一族と同じ立場に立つ羽目になりました。

    現在、私は自分が子供の頃の傷ついた自分の親となり、自分自身の心のケアをする努力をしています。

    アラサーに相応しい格好をして、まずは形から「私は自分自身を守れる大人だ。」と言い聞かせ、その一方で子供の頃の私と対話し、子供時代の孤立無援でさみしくて常に敵(家族親戚)に囲まれて戦闘状態でピリピリしていた自分の味方になり、柔らかく肯定したり諭したり子供の頃の自分の主張をウンウンと聞いたりしています。
    親に電話して子供の頃の自分自身を守る為に喧嘩する事もあります。

    c71さんは優しさが高すぎる部分や責任感が強い部分や純粋な部分が周囲とずれていて、そこで色々と誤解を受け、優しさを踏み躙られ、搾取され、親御さんにまで心無い言葉を沢山ぶつけられてきたと思います。
    でも、「c71さんはそういう想像力の無い方々に貶されるような人物ではない。」と思っている人間もいます。
    特に、利己的幼稚な人間にたかられて散々苦労させられてきた人間・エゴグラムのNPが突出しており優しさの気質の異常な高さ故に苦労してきたであろう人間達は、c71さんが何故色々と巻き込まれるかがわかると思います。
    でも逆に、優しさの気質が低い人は、何故c71さんがそこまで人間関係に苦労なされているかわからないかもしれません。

    人は傷つきたくないから、自分を受け入れてくれそうな人間に無理難題を押し付けます。
    心の弱い我儘な人は尚更その傾向が強いです。
    我儘身勝手な人間は、自分の要求を受け入れてくれなさそうな人間には最初から見向きもしません。
    だから、元々優しさの気質が低くて尚且つ自分で自分の事を処理する思考回路な方々は、あまり依存的な人間に執着されることなく、人間関係であまり苦労をしないようです。

    c71さんは優しい上に色々と能力も高くて勘定に入れられ、更に他の定型発達者なら怒って跳ね除ける事でも障害特性から気付かずスルーしてしまい、それで狡い人間達に沢山搾取されてしまった事でしょう。
    でも、御自分の価値と特性をもっと分かって、御自分を大切になさってください。

    とりとめのない文章になりましたが、言いたい事は、「c71さんは色々酷い事をされているけれど、貴方は自分を大切にしていい。私は貴方に御自身や御家族御友人と笑顔で過ごして欲しい。」という事です。

    1. 》見た目など一見無駄な事に手をかけて貰っている子達の親からの想いの深さがとても羨ましかったです。
      これ、ずっと思っていました。
      でも、生徒と接するうちにだいぶなくなりました。
      わたしがうまくいかなかったことを、生徒たちに託して昇華しているのかなと思います。

      本来はしないほうがいいと思うんだけど、短時間のことだから、そこまで害じゃなくて、わたしの過ちと同じ轍を踏まないでくれたらなと思います。

      わたしが優しいかどうかはともかく、親切にしすぎると、感謝されないどころか、恨まれるので気を付けようと思います。
      人の距離がおかしいんですよね。

  2. コニーさん、明けましておめでとうございます。数年前から折に触れ、このブログを拝見しているものです。コニーさんの、前に向かって進んでいく柔らかなひかりのような文章を、今年の初めに読めたことに感謝しています。2018年がコニーさんとお子さん、パートナーさんにとって穏やかで良い一年になりますように。

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