【毒親の子が親になった】にレビューが付いた

昨日からメンタルの調子が悪くて、しんどかったので、朝は掃除をしたり、体を動かしてみた。
そして、おととい出したキンドルの本のレビューが増えていたので見たら、的確なレビュー(残念だけど☆一つ)だった。
書いてあることはその通りで、わたしは、偏っており、攻撃的で、パートナーにモラハラ的なことをしてしまう人間だ。
確かに腹の子のことまでネタにしている。
全部その通り。

きれいごとっていう評はちょっとわからなかったな。
子供を黙らせたいと思ったこと、育てられないかもしれないと思ったこと、親に感謝しなくていいし会わなくてもいい、かわいそうなのは虐待されたわたしであって、孫に会えないのは親の自分でしたことの結果で自業自得という内容だから、一般的に言ってあまりきれいな内容でもなく、一般的な内容でもない気がする。

わたしがなぜ、自分のことを書くかというと、自分の経験したことを、整理しきれないので、外部化して、すっきりしたいから。
実際、本にしたことは、書いた直後は混乱して、具合が悪くなるけれど、一年くらいたつと、忘れてしまう。
わたしは、嫌なことがあると、いつまでも忘れることができないので、本を書くことで忘れることができると、とても助かる。
赤ちゃんのことを書くときには、プライバシーに配慮して、一般的なことしか書かないようにしている。
写真も出さない、生まれた日も公表していない。今のところ、性別の書いていない。

ただ、自分なりに、自分の攻撃性について考えることは多いのだけど、それは、先に攻撃されている(と感じている)ので、やり返す、ということが多い。
客観的にみて、わたしが攻撃されているかどうかよりも、わたしの感じたこととして、不当なことをされた場合、わたしは攻撃したり、怒ったりする。
わたしを面倒な人間だと思う人は、近寄らないでほしいと願っている。
わたしは生きることに精いっぱいで、それは誰でもそうだと思うけれど、だから、理解されないことも共感されないことも、どちらかというと、そっちのほうが多いことはわかっている。でも、生きる上で必要だから、本を書いている。
生きる上で必要じゃないことって、ないのだと思う。失敗も含めて。

昨夜は調子が悪くて、眠ることができなかった。体を動かして、調子が良くなって、それからレビューを読んだ。
とてもいいレビューだと思った。
よく読んでくれて、率直で、素晴らしいと思った。☆が一つなのは、ちょっと悲しいけれど、でも、よく読まないとあのレビューは書けない。感想を書くには、時間も心も使うから、素直にありがたいと思った。

レビューについて、あれこれ作者が言うのはどうなのか、わからない。
わたしも、パートナーへモラハラをするんじゃないか、しているんじゃないか、心配だから、よく、そのことについて話し合っている。だから、彼について、心配してくれていることもありがたいと思った。

わたしは、たぶん、偏った思考というのが目立つと思う。
わたしから見ると、いわゆる「普通」「偏ってない」という人こそが、偏って見えることも多いし、どうしてそうなるんだろう?と理解できないことも多い。距離があるということ。だから、その距離分、向こうから見たら、わたしは「おかしい」と感じると思う。

たぶん、あの☆一つの、良いレビューを書いた人には、わたしの文章を書くことへの衝動は理解できないのだろう。
恥をさらして、周りに迷惑をかけて、怒って、荒れて、病んで、それを公開しているんだから。
わたしだって、そう思うくらいだ。
わたしも、わたしのことが理解できない。そういうことはよくある。

わたしは、わたしの衝動も、戦い(戦いだと勝手に思っていること)も、なんでなんだろうな、とあきれることがある。
でも、それをしないと、もっと苦しくなる。
わたしの文章が下手で読みにくいのは申し訳ないと思った。混乱しているつもりはないけれど、あなたは混乱しているんだ、と言われたら、たぶんそれも当たっている。その通りだと思う。
ただ、わたしが混乱から覚めていたことは、人生においてなかった。
文章を書くことで、多少ましになる。

一応、わたし自身についてはともかく(そして、わたしが不当だと思うようなことをする相手に対する攻撃については除く)、周りについては、プライバシーなどを配慮していくつもりです。

たぶん、わたしのことが好きじゃないんだと思うのに、ダウンロードして、読んでくれて、感想を書いてくれて、ありがとうと思った。
この感想は、たぶん、いろいろな人の参考になるだろう。
読みにくく混乱した文章なのに読んでくれて。

今日は、晴れて、暖かい日で、赤ちゃんも、保育園に喜んで出かけて行った。
パートナーは少し元気がないので心配だ。わたしも風邪をひいているせいか、抑うつ状態だ。
でも、今日も一日頑張ろうと思えた。

わたしや、わたしの書く文章が、役に立つこともある。わたしの攻撃性は、わたしは悪いものだと思っていない。良いものだと思っている。考え方が偏っているのも認める。(偏っていない思考っていうのが存在するのかは疑問)
偏った考え方に、価値があると思うのがわたしのスタンスで、周りの人が「ユニークな考え方」をしているとうれしくなる。
わたしは、「偏っている」という言い方よりも、「ユニーク」という言い方を好むかもしれない。

フォロワーの人は、わたしのこと否定したら面倒だと思っているのかなあ。面倒だったら、フォローもしないだろうし、コメントもしないだろうし、いいねもしないと思う。
わたしはそう思うんだけど、それはフォロワーの人自身に聞いてみないとわからないから、なんで納得するのかはわからないなあと思った。
(ツイッターでは基本的には相互フォローです。)

制御できていない、偏りがある、というのも、「世界は広いからそういう人もいる」って思ってもらえたらいいなあ。
世界は広いから、わたしを見て「試行錯誤している、ユニークな考え方をしている」と捉える人もいる。
(わたしと接する人が全員嘘つきであるという仮定をしたらひっくり返ってしまうけど。そこまで考えるとちょっと足元が揺らいでしまう)

攻撃性が高いと思われるのは、たぶん、わたしが「しんどい」ので、「しんどい」ことと戦うと、それが人であれ世の中の仕組みであれ、具体的なものであれ、抽象的なものであれ、「変わってくれ」と願うので、それで攻撃性が高いと思われるんだろうなと思った。
実際、攻撃としか言いようのないことをしたこともあった。でも、わたしにも理由があった。
不当なことをされたと思ったから、攻撃した。
やり返さないと、心にダメージが残る。
死んじゃいそうだから。

心の中が、朝から、ごちゃごちゃしていたけど、このレビューはわたしにショックと納得を与えてくれた。いろいろな人の参考になると思う。わたしの参考にもなった。

☆四つのレビューを書いてくださった、二人の方も、本当にありがとう。
感想をもらうのは、とてもうれしい。肯定的な乾燥に対して、同じくらい長い文章をかければよかったんだけど、なんだか、そういう風にはならなかった。

反論のつもりはなくて、納得したけど、感じたことを書いたので、やっぱり、これも、攻撃や、反論に見えるのかもしれない。
どうも見えるのか、予測がついても、わたしはわたしの人生を生きていて、ほかの人もそうだよね。
あ、でも、やっぱり、反論あるな。
パートナーへモラハラしないか、わたしもいつも心配している。
聞いてみたら、モラハラされている実感はないと言っていた。
わたしが彼を「モラハラを感じることができないほど洗脳していたら」モラハラをされている実感がなくても、わたしがモラハラをしていると言える。だけど、たぶん、洗脳まではしていないから、彼の感じ方を尊重すると、モラハラはしていないんじゃないかなと思う。役割分担を我が家なりにしていて、不満はその時に話し合っている。

たくさん書いたけど、ありがとうという気持ち。
あおりとかじゃなくて、ほんとに。一生懸命書いてくれたんだなと思った。もちろん、しんどいはしんどいけど、受け止めます。

しんどいときの、わたしの対処方法は、「文章に気持ちを書く」ことなので、こういう風に書いてしまいます。
それは申し訳ないです。

今日はしんどいなあ。

c71の著書

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