父が出て行ったあと、婚姻費用も養育費ももらっていたから、金銭的には困っていなかったはずだが、お金に関して常に重苦しい気持ちでいた。
母は家にいて、わたしたちを監視するような子育てに没頭していた。
そのころあった新興宗教やコミューンの名前とほとんど遭遇していた。だから、今でも、自然食品とか、健康のために何とかというのは、苦手意識がある。新興宗教に入ることもなかったし、コミューンに入ることも、運良くなかったけれど、それによる被害はあった。
自分たちに愛情のない人が払っているお金で暮らすというのは、精神的につらいもので、物理的な制約はなくとも、一緒に暮らしていた時から気分屋だった人の気分を損ねたらどうなるのかと思うと、たまに会うことも矯正のように感じられ、逆らうこともできなかった。いわゆる面会交流のようなものだと思うが、会った後には、じんましんと高熱が出て、三日は学校を休んだ。
ストレスで自律神経もおかしくなったし、学校で倒れることもよくあった。
でも、拒否すると、暮らしていけないのではないかと思ってできなかった。
そういう経験をすれば、早く働きたいと思うものだと思うが、わたしは働くのが遅かった。
お金がどこからか、何もしなくても、入ってくるという生活をしていたので、お金のというものが人を支配することは知っていても、自分で稼いだら自由になるのだ、ということに結びつかなかった。
働こうと思ったのは、知り合いのおじさんが「親が死んだら、食っていけなくなるだろう」と言ってくれたおかげで、それでようやくお金と自分が結びついた。
働いてお金をもらうということを見て学ばないとわからないタイプだったようだった。
それからは、働くことに必死だった。
自分でお金を使うとほしいものが手に入るという単純さにひかれて買い物をしまくった。
依存症になってしまった。
今もまだそういう傾向がある。
自分で自分をコントロールできないというのは、恐ろしいものだ。
自分の意思で止められない、かといって、人に言われた言葉でどうすることもできない。
具体的な支援が必要だった。そして、支援とつながった。
家族ではない、行政に支えられるというのは、なんと気楽なのだろう。
愛という名の支配に、顔色を窺って、奴隷にならなくて済むのだ。