産む前のつらさ

体がだいぶしんどくなってきた。
おなかが日に日に、一日ごとに大きくなっていて、驚く。
膝に負担がかかり、ふくらはぎがつる。
むくみがひどい。
腰も痛い。
おなかが重たい。
膀胱や胃が押されて、痛い。
体重管理が難しい。
イライラしてしまう。わけもなく泣いてしまう。

親に、自分の子供を会わせないといけないかどうか、一瞬考えた。
でも、それから一晩落ち込んで眠れなくなってしまった。
たくさんされた、ひどいことを思い出した。
今、中学生や高校生を教えていると、明らかに子供で、幼い。
あの、幼い人たちに、ひどいことをすることは思いつかない。
でも、わたしはされた。

おなかにいる子供は、明らかにわたしと違う生き物だ。すでに意思のようなものがあり、わたしの思う通りにはならない。
他人だとつくづく思う。
だから、死なないように、育つことを手伝いたい。
育てる、ということは、できないと思う。子供が、勝手に、自分の力で育てるように、わたしがサポートするのだと思う。

わたしは、勉強以外の娯楽を禁じられていたので、勉強に面白さを見出した。
何かするときは必ず母親が同伴だった。
いつも、お母さんがかわいそうだった。
かわいそうだと思わされていたのだ、と気が付いて、ああ、人生をそのせいで、ずっと盗まれていたのだと気づいてからは、怒りが止まない。
盗むための手段として、泣いたり、怒ったり、脅したり、ありとあらゆることをされた。
彼女の人生に対する欲求不満を、わたしにぶつけられた。
父は、愛人を作り、出て行った。大人になればわかると吐き捨てられたが、いまだに理解できない。
面会交流を強いられたが、断ったら、養育費を払わなくなるのだと思って、応じていた。そのストレスで、病気になった。

母はわたしにしがみつき、父はわたしを捨てた。
都合のいい時に、暇つぶしのようにかまっては、飽き、自慢できるように、育てられた。
わたしが何かを成し遂げたときに「喜ぶな」と言われた。
それでいて、親はわたしのことを自慢し、「いい親御さんですね、育て方がいいから」と言われてはにたにたしていた。
わたしの努力なのに。盗まれた。感情を。

わたしは、生きる手ごたえを失い、感覚がなくなり、幻聴と幻覚を見て、自分から乖離した。
そのために、さまざまな事件に遭って、何度も死にかけた。

逃げればよかった、と言われた。愛人から後妻になった人からも言われた。
でも、わたしは、逃げられなかった。
逃げられないように、感情や判断力や、情報をコントロールされていたし、体調が悪くなるように仕向けられていたからだ。
今思うと、具合が悪くなったりけがをするようにさせられて、そして、罵倒され、看病されるというパターンがあった。
救急車で運ばれると、胸ぐらをつかまれ、罵倒されたことがあった。
病院には、連れていかれなくなった。
お年玉で病院に行った。
祖父の介護を休みを使って手伝わされたが、母はしていなかった。
そして「老いて死ぬことを勉強させてもらってよかったね」と言われた。
わたしの経験のために、祖父は老いて死んだわけではあるまい。
それは、愛犬が死ぬときにも言われた。
母や、そのほかや、とにかく誰かのケアをさせられた。それをさせるために、「かわいそうだ」という感情を刺激された。
就職することも、「やめなさい」と言われた。
「あなたにはできない」と言われた。
父にも、「お前には、自動車は運転できない」ということを言われた。

以前、離婚したとき、堕胎をするかどうか、悩んでいた。
それを父に相談したら堕胎を勧められた。
フォローはできないと言われた。
結果的に、自分の判断で堕胎をしたが、常に、そのような目に遭ったことの「責任」を理解しろ、と言われた。
でも、思えば、父も離婚をしただけじゃなくて、婚姻中に愛人や子供を作り、わたしの母の悪口を方々で言っていた。
その人に、ただ、離婚するだけで、ああいわれることには、今では納得がいかない。
その時には、母には「ご勝手に」とだけ言われて、電話を切られた。
それ以来、連絡していない。
母は、何か相談すると、わたしを突き放し、傷つけ、動けなくなってから、それでも、わたしがすがって、手助けを頼む、というパターンを常にしてきた。
だから、あれも、その一環だったのだろう。

わたしは、本当に、どうして、親が、ああいう風にわたしに接したのか、理解できない。

わたしの体内にいる小さな人間に対して、コントロールしたいとか、傷つけることをしたいとか、思わない。
でも、彼らは、わたしにひどいことばかりをしたり言ったりした。

父方の祖母が、わたしに最後にかけた言葉は「あんたは非情な子だね、非情ってわかる?冷たい、ってことだよ」だったし、継母がわたしに最後に言った言葉は「あなたに会うと動悸がするから、家に来ないでください」だった。
でも、彼らはそれがひどい言葉だとは思っていない。

わたしは、これから子供を産む。
わたしは、彼らに一生子供を会わせない。
彼らは必要がない。

それでも、わたしは、思い出す。
そのたびに、その時に戻ったように、苦しい。
もう、終わったことだとは思えない。
わたしの中で続いている。

c71の著書

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産む前のつらさ」への1件のフィードバック

  1. おっしゃるとおり、育つのは子ども自身だと思います。
    その、子どもという他人に、親の方も親として育てられるわけですから、
    葛藤も含めて、それがお互い成長だと思います。
    お互いに一緒に時を過ごせるということほど、
    幸せなことはないでしょう。それが大前提にあります。
    実は、読んでいるこちらの方こそ、今から生まれてくるのが楽しみで仕方ありません。
    本人の気苦労をそっちのけで申し訳ないけど。
    きっとそれは、生まれてくる赤ちゃんも同じで、
    お母さんの気苦労なんて微塵も知らないでしょうから、
    勝手にすくすくと育ちます。
    このブログでc71さんの生徒さんへの接し方を読んでいる限り、
    まったく心配ないと感じています。
    むしろ、c71さんが生まれ変わるような気すらします。
    ただし、赤ちゃんにジェンダー論を教えるのだけはやめてくださいねw

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