個人的工夫だけでは、社会的構造による不利益は解決されない #最低賃金1500円

出産を機に、仕事を辞めざるを得ない人の話をしたら、「公務員になればよかったのにね」と言われた。
そういうことじゃない。

社会的な仕組みによって、それまで働くことができた人が、妊娠、出産をする、という人としてのライフステージの変化によって、仕事を奪われる。または、労働力を安くたたかれる、という問題について話したかった。
もちろん、個人的に、公務員になることで、それを回避することができる人はいるだろう。
それは全然否定しない。
でも、公務員に向かない人や、やりたくない人、民間で働きたい人、いろいろいる。
わたしは、きっと公務員には向かなかった。だから、していない。
出産するとは限らないのに、人生をそれにかけて、チューニングできない。
やりたいことをしたい。

個人的にこうすればよかったのに、というアイディアは無数に出される。しかし、それは、実現したくないことだったり、考慮した結果、却下されたものだったりする。

性犯罪についての自衛についてもそうだし、男女の給与差についてもそうだ。賃金が低かったら、努力すればいいのに、自分からフリーターを選んだんだろう、という人もいる。

しかし、労働力の質と、賃金は、必ずしも、比例しない。たとえば、コンビニ店員は、高度なスキルを必要とするが、低賃金だ。
それを選ばなければいいのに、という人もいるだろうが、それしか選べない場合もある。

人が、生活することができない賃金が温存されているのは、男性が稼ぎ、女性が嫁ぎ、養われるのが前提の社会だったからだ。
しかし、今は、結婚して養われている女性だけではなく、一人で暮らしている女性や、男性も、その賃金で働かされている。

バブル世代と呼ばれているのは、今の五十代後半の世代だ。それ以下の世代は、就職難もいいところで、努力しようが何しようが、どうしても、正社員には雇われなかった。
それは、バブル崩壊後、人を正社員で雇わず、安い賃金で、非正規雇用を増やすことで、企業が生き残りを図ろうとしたためだ。
それを国はバックアップした。
だから、本来、派遣というのは、特定の技術を持った人たちに限られていたものが、どんな職業にも当てはまるようになった。
そして、五割以上のピンハネをされる仕事を選ばざるを得ない人が増えた。
確かに、どんな不況でも、正社員で雇われる人はいるだろう。でも、全員が、そうじゃない。そうじゃない人の割合が多すぎるので、人材が育たなかった。人にお金をかけなかったので、人材が不足している。

これは、国策の問題であり、社会構造の問題だ。個人の努力で生き延びるためにサバイブすることは、もちろん賞賛に値するが、その努力が実らなかった人を非難する理由にはならない。

国は、国民を、文化的な生活をさせる義務がある。その義務を放棄して、今に至る。

デモをする人について、やるべきことをやらないで、怠けて、権利だけをむさぼろうとすると非難する人がいるが、義務を放棄したのは国や社会だ。そして、人権は、義務を果たさなくても、最初からあるものだ。

最低賃金でいくら働いても、もちろん、最低限度の文化的生活を送ることはできない。
だから、それは国の責任で是正する必要がある。その自覚を国がまだ持たないので、気づかせるため、政治活動が必要なのだ。

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