双極性障害と進学

進学には苦労した。
体が病弱だからだ。普通の人と使える時間が違う。
だから、短い時間で、勉強をするしかなかった。

成績優秀だったとわたしは言うが、発達障害や双極性障害、そのほかに、二次障害のため体の病気も多く、高校は、出席を免除されてようやく卒業したような状態だ。

健康だったらなんてこともないかっただろうが、椅子に座っていること時代できなかった。勉強をできない時期が、三年以上続いた。その中で、できることを必死で探した自分を肯定したいと思う。
自信の根拠は正直言ってない。ただ、自分自身を正当に評価したいと思う。それは、わたしが双極性障害持っているため、気分次第で、自分を最低だとも最高だと思うからだ。その気分は障害ゆえに、制御できない。だから、よりどころになるものを、恣意的に作り上げた。気分次第で自分の評価が変わると、体が物理的に動かなくなる事態を招く。そのための工夫だ。

そういうことにしておく。
そういう態度をとる。決めたから実行している。

実際に自信があるかどうかは問題ではない。ただ、そうするしかない。生きられない。

わたしは運よく、優れた教育を受けることができた。それには、だいぶ努力もした。
信州大学の時には、まったく意味が分からない授業が多く、講師に、夜十時まで質問に突き合わせてしまったことがたびたびある。
そうしたことが、週に三回以上あった。それほど勉強しなくてはついていけなかった。

学資を二つ取るのは簡単なことではない。
しかも、社会的には全く評価されない。とくに就職では。
学資を持つということが専門性を持つことだと理解されにくい。
大学で得た知識の質は、人それぞれ違うのに、一からげに扱われる。
だとしたら、評価するのは自分自身でしかない。

どうしたら自信を持てるのか。そんなことはわからない。
わたしは日常的に、ほとんど自虐的に、ネガティブに過ごしている。そのままだと死を選びそうだ。
死ぬのは簡単ではない。
だから、消去的に、事実として、誇っていいことを、自分自身に無理にでも認識させている。

双極性障害の苦しさは理解されにくい。
身体障害を持つ父に、そんな障害でうらやましいといわれた。そう思っている人は多いだろう。
精神病は、身体障碍に比べてずっとましだと。

わたしを理解する人は少ない。
わたしを守れるのはわたしだけだ。
だから、自信を持てるところは持とうと努力している。自信を持つにも、覚悟と努力がいる。それを惜しまないだけだ。惜しむほどの余力がない。

c71の著書

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