かなり重度のアトピーだった。
眠ると背中の皮膚が、シーツに張り付いて、蛇の脱け殻のように、体の形に皮膚がシーツに残った。
浸出液が止まらず、脱水で、二日に一度点滴をしていた。
二週間、熱が三十八度を下がらないほどの炎症で、血液検査の数値は悪すぎて、手書きだった。普通の機械の桁を越えていたからだ。
死ぬかもしれないと思い、この先生が間違って死んでも構わないと思えるほど、信じたい先生を選んだ。
その先生の治療が間違っていて、死んでも構わないと。
体力は落ち、お風呂に入っても、水圧に負けて、引っ張りあげてもらわないと、お湯から出られなかった。
薬を塗るそばから皮膚が剥離した。
指先から皮膚がずれていった。
手のひらは水疱のなかに水疱ができて何重にもなり、潰れて、真皮が露出した。
箸もなにも握れなかった。
食べ物を食べると、その熱で、炎症が強まり、倒れた。
水が火傷と同じように外側に集まるので、常に寒かった。
歩こうにも、足の裏に皮がなく、痛かった。
髪も抜けた。爪もなかった。
皮膚は、バリアだ。
精神科の先生や、皮膚科の先生が、人から境界線を心の境界線を犯されたとき、悪化すると教えられた。
お母さんはやるべきことをみつけて、生き生きとしていた。
境界線を崩したのはお母さんだけでなく、父や、男や、親戚やいろいろな人だった。妬まれてもいた。
家族に反対されながら、大学にいくために一人暮らしした。
少しずつ改善した。
心の問題がすべてだったとは思わない。
でも、あのころわたしは耐えた。生きてた。
今もだから命がある。
死んでもおかしくなかった。
気の狂うようなかゆみと痛み。
眠れない夜。どんな体勢でもつらかった。
話すと唇が切れた。
内蔵と皮膚は繋がっていたから、内臓にも炎症が起きていた。
治療法はないに等しかった。
寝たきりのわたしを支えていたものがなんだったのか、もう思い出せない。
わたしのからだや顔にはあとが残っている。
シミのような無数のあとが。
普段忘れているけれど、思い出させてくる人もいる。
それはなにか、とか、不摂生したの?こうしたら治るよ、と。
惨めになる一方で、殺してやりたくもある。
これはわたしの戦いの証。
誰にわからなくても。汚いと言われても。
わからない人にはわからない。それでいい。
確かにわたしは今も生きている。
それだけしかわからない。
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