母は母。わたしはわたし。もう、傷つけられない。

中学生の時、生理痛がひどく、道端で気絶し、銀行に保護された。
救急車で搬送され、点滴を受けていたら、母親に胸ぐらをつかまれ、いくらかかるんだと思っているんだと怒鳴られた。

中学校では、早退を許されず、歩いて移動できなかったので、四つん這いで歩いた。
みじめだったので、生理の日は、学校を休ませてほしいと頼んだが、「生理がばれる。恥ずかしいのはあなた。わたしは這ってでも学校に行った」と言われた。実際に這ったわたしは、そういうの、やりたくなかった。

母は、わたしが成人してからも、家を出るまで、赤ちゃん言葉で話しかけた。風呂を上がろうとすると、脱衣所に来た。

そういうことに折り合いをつけられたのは、自分が大人になり、一緒にいる相手を選べ、もう、自分が傷つけられないとわかったからだ。
会わなければ、もう大人だから、傷つけられない。

会わないという選択肢が、ある。

自分の母との問題が分かってからも、わたしは主治医の前で母の言うことをオウムのように繰り返し続け、ほめたたえていた。
主治医はわたしに、「バリア」を作って、いい言葉だけを自分の中に入れるようにしなさいと言った。

自分の人生を奪われたことが悔しい、若い時代を奪われたことが苦しい、殺してやりたい、といったら、まだ若いのだし、気が付いた時から始めればいいのだといわれた。でも、全然納得ができなかった。

そうして、悔やみながら、もがきながら、過ごした時代は、過去のことを考えていたばかりで、そうしているうちに、現在も未来も、あっという間になくなった。具体的には母のことを考えているだけで、十年が経過した。
そうして、ようやく、母のことを考えること自体が、ばかばかしいのだと気付いた。

その後、父と半年暮らした。父が母を壊したのだった。

だから、もう、関係なく生きようと思った。

もがいている最中の時代を、むだで意味がないと思った。
でも、そうじゃなくて、もがいている最中に出会った人がいたから、人を信じ、愛することを怖がらなくなった。

むだじゃないといえる。
でも、わたしには無駄だった。もっと、いろいろなことをできた。可能性があった。可能性を悔やむ。
可能性を悔やむこと自体が、過去に対して考えることで、その最中にも、今という時間は消えていくのだった。それを主治医に指摘されても、どうにもならなかった。

母がしてくれたことはたくさんある。それでも、もう傷つきたくない。
あのころ、わたしは、たいへんだった。骨折をしても、病院に連れて行ってもらえなかった。

今は自分で行ける。

折り合いはついたのか、というと、ついた、とはっきりいえる。
わたしは今自分を生きている。
自分の選んだ人といる。
尊重されている。

わたしは壊れた親に育てられたが、壊れていない部分もある。壊れた部分があったとしても、それを受け止めてもらえる相手がいる。
その相手を選んだのも、わたしの力だ。
だから、わたしは、もういいんだ。
母のようになる可能性はゼロだ。
だってひとりではないから。もし、母のようになる瞬間があっても、反省して、見つめなおして、修正するだろう。
わたしは、自分を、信頼する。
疑いながら、それをバックアップしてもらえる環境を構築して、防ぐ。
だから、わたしは、過去のことを懐かしく、慕わしく、思い出すけれど、つらいことも、悲しいことも、ひっくるめて、もう、いい。

大人になったから、自分を守れる。
自分を守るのは自分。
もう、わたしは十分にもがいたのだ。

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母は母。わたしはわたし。もう、傷つけられない。」への2件のフィードバック

  1. わたしも一番苦しかった時は、自分の人生の大事な時期を母に全て取られたように感じて、返せー!と泣き叫んでいました。
    でも10年近く経って母と距離を置いて平和な日々を送っています。
    返って来ない物もありますが、それを悔やむ時間は格段に減りました。

    1. 返してもらえないんですよね。
      それを思うと殺したくなります。
      ほんとは今でも。

      会わなかったら、忘れられるようになったのはありがたいです。

      殺人犯にならなくてすみます。

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