妊婦になっても幸せにはならないよ


妊婦になってから自分をコントロールできないので、自尊心がごりごり削られていく。
体調の悪さもそうだけど、体重の増加、体形の変化、そういうもので、プライドが痛む。

パートナーに代わりに生んでくれ、と何度言ったことか。

人生の設計ミスだ。
なのに、身ごもっただけで、母親という別人格になれという圧力よ。
検診、穏やかさを求められる。毒舌なわたしは、妊婦のくせに「かわいそう」とか言われるよ。
毒舌なのはもともとだ。それに、それがわたしの独自性だ。わたしは自分の独自性を情報として売っているので、商売の役に立っているのだ。そういうの削らないでくれよな。

わたしは、かわいそうだよ。妊婦なんかになっちゃって。
好きで妊娠したけどさ。だからといって、苦痛ウエルカムになるわけない。

だってさ、仕事で大変な人って自分から就職したくせに、って言われたら苦しいでしょうが。
自分から選んでも苦しいことってたくさんあるんだよ。

そういう妄想殺していきたい。

幸せになるために子供を産むわけじゃない。子供は別人格だから、わたしを幸せにするアクセサリーじゃない。
道具でもない。
勝手に産みたいんだ。その動機を忖度されるのはプライバシーの侵害だ。

しんどいのは想像していても、リアルタイムのしんどさが緩和されるわけじゃない。
文句言うな、っていうのは、自分が見たくないものを見たくないってわがままじゃないか。

社会的な問題について、問題だというと、怒る人たちは、個人的に思った、ということにしろとうるさい。
でもさ、社会的な設計のミスで苦しいんだから怒るのは当たり前だ。矮小化するなよって。
自分の苦境は自分のせいだ、と思うのは勝手だけど傲慢だよ。

自分のもろさを認められない人は、生きている感じが減ると思う。わたしの場合は、自分のもろさを感じて、それをなんとかしようとするとき、生きていると実感するよ。

子供を産むと幸せになるというイメージは全然ない。やりたいことは制限される。そういうイメージだから、不幸に近づくと思ってる。わたしは、やりたいこと多いんだ。
時間的なリミットと、好奇心で生むことにしたものの、マタニティーブルーは勝手にやってくる。

暇だから何かやりたいけど、できない。気力がわかない。ていうか、起き上がれない。でも暇。

PTSDがあるから、受動的な趣味の代表である映像作品を見ることも叶わない。

わたしには悪趣味があって、男向けのエロ漫画を読む。

そういうのには「中出しされると女は絶頂に達する」「支給校を自分の意思で占めることによって、受精を拒める。ただし快感が強い場合にはそれができない」「中だしは女にとっても気持ちがいい」「精液は子宮に直接入る」などのドリームがたくさんある。

そういうの、信じている人いるはず。

ノンフィクションとフィクションの間は、結構あいまいで、ノンフィクションと銘打たれていても、わかりやすく整理するために虚構は絶対にある。でも、そのことも知らない人は多い。

何度も同じものを見ているうちに、現実とは違っていても、それが本当だと信じる人もたくさんいる。

どぎついエロ漫画やポルノに影響軟化されないよ、という人いるけれども、刺激を求めてそうやっているうちに、そうじゃないと満足できないのって、すでに、フィクションが現実に作用している。そういうの、なしにして、区別ついていると言い張るのはおかしいよ。

妊婦に関する妄想もそれと同じで、妄想を言い続けているうちに、本当のことだと思い込んで、現実の人に押し付けているのって同じ構造だと思うよ。

そういうのを許している空気、て、社会的なものだから、個人的に言えばいいじゃないか、ってやっぱり変だし抗っていきたい。

c71の著書

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