性嫌悪やその他を妊婦や子連れにぶつけないでおくれ

新聞の投書で、二十三歳女性が、新聞に投書した内容が、「お店で授乳はおかしいという意見を知ってくれ」のがあった。

おっぱいは、性的なものだから、隠してほしい、という願いがあるように感じた。
それって、性嫌悪だったり、自分の羞恥心だったりするんだろうけど、それは、子連れの多い店でバイトをするのをやめるなり、見て見ぬふりをして解決をして、他人に何かを求めず自己解決してくれと思った。

他人を変えるのが難しい、という話もあるけど、それ以上に、子供を妊娠した時点で、何もかもままならない。

わたしは、つわりでも結構食べられるほうだけど、一日に四回くらいは吐くし、吐いてもすっきりしないし、食べても胃が痛いし、食べなくても胃が痛い。
おっぱいはわけわからないくらいに膨らむ。骨盤もゆるゆるになって、不都合出まくり。

妊娠する人が、全員セクシャリティに納得しているわけじゃないんだ!
ちんこをまんこに入れたら自動的にこどもはできるので、「わたしは女であるぞ。だから、すべてのことを受け入れられるぞ」という人ばかりじゃない。それは、普通の人たちのセクシャリティがばらばらなのと同じ割合で、それぞれの「母」になった人も同じだ。
母になったらいきなり全部受け入れられる超人にメタルフォーゼするわけじゃないんだぜ。

違和感も不快感もありつつ、我慢しているだけだ。

で、自分のちょっとの我慢も耐えられず、「母」の属性を持つ人に、甘えるのは「子供」であるが、「お前を産んだ覚えはない」と言いたい。
(まだ何も生んでないけど)

葛藤がありつつ、でも、子供いたら面白いし、子供増やすためには自分の子宮を使うしかないんだ。それでもって、「女」という属性すべてを受け入れて受け止めて、メジャーな感じになるわけじゃないのだ。

変わってもらえないから仕方がないのだ。

性嫌悪があるなら、それは自分で何とかするか、仲間内で何とかするかして、見知らぬ「母親」に対処を願うのは「甘え」だ。
その甘えはいい甘えじゃない。人の自由を制限する甘えだ。

ただの個人が勝手に思うならいざ知らず、子連れ歓迎のお店にいて、その店員がそういう風にいると、「安住の地はない」と思うし、その店にはいきたくないが、どの店がそういう方針なのかわからん。店員がそういう風に言う以上、ある程度、その店ではその価値観が普遍性を帯びているのだろうと思うのだった。

母親だからって他人の要望や欲望を受け入れられるようになるどころか、どんどんぎりぎりになって狭量になるんだくらいに思ってもらわないと困る。

どうして、子供は社会の宝だと思えないのかな。
それも、よくわからない。

別に子供をリアルに好きになれとは言わないが、子供いたほうがいいじゃないか。
日本が滅ぼうと何しようとどうでもいいけど、世の中に生まれた子供ができるだけいい感じに育つように応援することが、自分の苦しみを減らすことになると思うんだけどいかがか。
自分が得られなかったものを、次の世代が得られるならそんな素晴らしいやり直しはないじゃないか。

性嫌悪でも、常識でもいいし、そういうのは、自分の内部で解決してくれ。
誰も、自分が産んだ人以外の母親にはなれないんだよ。
自分を産んだ母だって何もかもは受け入れられないんだから、甘えるのもいい加減にしろと思ったのだった。

c71の著書

スポンサーリンク
広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください