フェミニストになったって、人生は楽にならない


わたしは、フェミニストを自認している。
人権問題に興味がある。社会に対して、義憤がある。だから、フェミニストをしている。
でも、だからといって、人生が楽になってはいない。

お仕着せの女らしさや、おんなであるために受ける不当、そういったものに対して、理論武装はできている。
でも、そのことに対して、無傷でいるわけじゃない。別に楽じゃない。

わたしは、男たちに、いいように搾取されてきたから、とても怒っている。
しかし、それらの男たちの欲望を利用してサバイブする人のいうこともわからないではない。

個人的に、女は若いほうがいい、という規範を内面化すると、年を取ったときにきつい、というのは感じるけれど、若いうちには感じない人もいるのだろう。
わたしは、若い時も、ちやほやされようが、一見チャンスに見えるものを与えられようが、全部搾取で、あとから、とりたてが激しく来ることを、恐れていたけれど。

男の暴力や、性規範を内面化した女の世間話から、心はどんどん削られていた。
男の暴力は、腕力から来るものだけでなく、彼らの地位を利用した暴言、セクハラ、モラハラ、なども入る。

何度か同棲したことがあるが、すべて、男たちはわたしに家事をやらせたうえ、雑費というものが、理解できないらしく、そうしたものを負担させて平気だった。家事をコントロールして、何をするべきか考える負担についても、「そんなのたいしたことがない」と意識にも上らせないお十が多かった。全員に出て行ってもらった。

今はたまたま、フェミニストであるわたしがいいと、選んできてくれた人がいるので、そのままのわたしでいられる。
個人的には「女子力」を磨けば磨くほど、それを期待し、女性に対してシャドウワークを平気で要求する男たちが集まる実感があるのだけど。

だからといって、さあ、こちらに来なさいとは言えない。
サバイブの方法は人の数だけある。

わたしは、結構うんざりしている。

ツイッターのフェミニストについては、「いいことを言いたい」欲望を抑えられない人が多くいて、そのために、批判に対して時間を費やし過ぎているような気がする。
批判は大事だ。一人一人に対して訴えるのも大事だ。
でも、みんなでよってたかって、わざとじゃないしても、攻撃を続けるのは見ていて、いい気分じゃない。

批判するときは一人で、批判したい。誰かの尻馬に乗って、誰かのゴーサインを見てから、批判するのは、いじめに見える。

種類の違う同調圧力載っている人を見ると、単に、女性に対する同調圧力から、フェミニスト同士の同調圧力に鞍替えしただけに見える。

c71の著書

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