察する能力と「呪い」の乱用

ツイッターのフェミニストたちが、「この人はたたいてもいい」という見えない合意を形成したとき、一斉に同じ人を攻撃する。

最近は「そのツイートは呪いだ」という言い方が流行っている。

若い女性が、社会的規範を内面化することはよくある。
そして、それに基づいて、発言することもある。
そうしたときに、「呪い」という言葉を使って、何が伝わるのかというと、何も伝わらない。

その人にはその人なりの、生存戦略があり、社会的規範がある以上、それに適応するか、それを拒否するか、その選択はそれぞれにしろ、じぶんなりに生きていくために、社会的規範を意識せざるを得ない。意識の仕方が、内面化するのか、批判対象にするのか、その違いはある。
でも、そのことは他人が責められない。

わたしは、大学時代に人権をこってり勉強したから、人権について考えたいと思う。
今日本では女性の人権は制限されている。だから、それについて、批判する。
その、女性の人権を制限することで、既得権益を得ている層のことも、批判する。

ただ、数を頼んで、たたいてもいいと判定した人を一斉にたたくのは、おかしい。人は一人だ。自分の判断でするべきだ。それがたまたま重なって、同時に同じことを同じように思った人が多かった、と言い切るには、あの現象は不自然だ。

信じやすさや素直さが凶器に代わることがある。

今は、呪いという言葉を使えば、何か言ったようになっている。
でも、呪いなんて、そんなものじゃないものが、世の中を支配している。

呪いってなんだ?
呪いはあるのかないのか、わからない。
それに引き換え、社会的機構や、社会的規範は、厳然として存在する。呪いなんてあやふやな言葉を使わずに、社会的規範を内面化しないほうが楽に生きられるといえばいいんじゃないのか。
いや、これも、語弊がある。社会的規範に反して生きると、生きにくい。そうだ。
人と違うことを恐れる人が多いのだから、そういう人にとっては、社会的規範に反する生き方はしんどいのだ。

規範を批判すること、規範を発信している人、規範の言葉それを批判することと、生き延びるために規範を内面化する人をたたくことは似ていながら違う。

個人的には規範を内面化する生き方はしんどい。今だって、自分が理想の体重ではないことを、わたしは責めている。
責めることで、わたしの幸せは減っている。わたしの体重がどうであれ、わたしはわたしなのに。そういう意味でわたしはしんどい。

だから、規範を内面化して、それをきっちり守ろうと生きている人を、批判するほどわたしはできた人間じゃない。

コミュニケーション能力の高い人は、自分の意見よりも、所属しているコミュニティの意向を優先する。
自分の考えを深めるよりも、影響を重視する。
一緒にいる人の考えに合わせている。
自分が何を言えば受けるのか、評判がよくなるのか、計算しながら、それを優先する。

人の判断を重んじて行って、独自性を失い、道を間違えていく。そうした人と、規範を内面化した人との違いは、ない。

自分自身も、周りの人の意見に影響されて、それを内面化しているのに、ほかの人が違う規範を内面化していることを、たたくのは、矛盾している。人の言うとおりにしている点でどこも違わない。言っている内容が違うだけで、行動様式は同じだ。

同調圧力に負けてるという点で同じじゃないか。
それが社会的規範なのか、コミュニティーの総意なのかの違いだけで。

コミュニケーション能力の高さは諸刃の剣だ。
人の言ったことを察したつもりになって、相手を見ないで、相手の言ったことを理解したような気になって、雑な結論を出し、相手に「こういう風に言いたかったんだよね」と勝手に結論付ける。ずれていても、察する能力に自信があるものだから、訂正は利かない。

察する能力が高いと自負している人は、たとえば、わたしのような人間を、こどものように扱う。
察する、ということをした結果、それが相手の意に沿っているかなんて、察している側の本人にはわかるはずもないのに、彼らはいつも自信ありげだ。だから、彼らを修正することはできない。

コミュニケーション能力の高い人は、わたしを子供のように扱い、諭して、導こうとする。それが大人の世界なのだと。
彼らは、コミュニケーション能力が高いはずなのに、自分ではそういうのに、わたしの不快に気付かない。
彼らはわたしの不快は察しない。そんな中途半端な能力を自信ありげに語る。
話を最後まで聞かない。

幻想の中に生きている。

自分は優れているという幻想だ。

わたしはコミュニケーションは苦手だが、バカじゃない。でも、コミュニケーションが得意な人は、それができないひとを、バカ扱いする。

察するというのは、ときとして、暴力になる。相手の気持ちを無視する暴力だ。

だから、察するのが得意だという人とかかわると気分が悪くなる。

察するという能力があると信じている人たちが、ある、コミュニティを形成すると、暴力が始まり、それを止める人がいなくなる。
同調圧力を批判している人たちさえ、そうなる。

だから、わたしは一人でいい。

呪いなんて言葉は、便利かもしれないけれど、何も表していない。
同調圧力を感じることができる人たちだけの暗号だ。誰にも何も伝わらない。その狭い世界だけで流通する言葉だ。

察することができる、そういう能力があると信じている人たちの暴走が、目に余る。
わたしは絶対に加わらない。加わりたくない。

パターナリズムを批判していても、パターナリズムを発動する人たちもよく見てきた。
あなたのため、よくするため、もっと言い伝え方がある、これはだめ、あれはよい、そんなことを言われることにはうんざりだ。
わたしは間違っていても、自分で考えていきたい。
だから、間違えながら進む人に対しても、ずっと応援したい。

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