自分の性をあきらめ、折り合いをつけるまで

結婚や性労働が差別の再生産だという言い方にもやもやしていた。

差別をされている側が、差別の再生産をしている、という言い方は、過剰に、被差別側に求めるものが大きすぎる。
生きるためにはいろいろな妥協をしないといけない。妥協でもなく、選び取ることもある。

わたしにとって、結婚制度は、国の管理下に入ることを意味するので、今のところ避けており、籍を入れていない。
でも、そういった選択を望んでも、できない人がいることも知っている。いろいろな事情がそれぞれあるのだ。

差別の再生産をしているのは、差別している側なのに、その責任や結果を、被差別側の振る舞いに求めることは、感覚的におかしいと思う。

わたしは、以前、セックスワークについて、まったく知識がなかった。今も十分にはない。

偏見ばかりだったころに比べて、今は少しましになったかと思うが、でも、十分ではない。

アライという言葉がある。
理解者、という意味にとっている。

でも、わたしは、セクマイや、性労働者に対して、「アライ」という立場にあるよりも、同じ社会に生きる一員としてという意味での当事者としてかかわりたいと思っている。

セクマイや、性労働者は、性的規範や、社会的規範によるスティグマを押し付けられている、という軸で見ると、同じように問題を認識できる。
社会的規範が強固だから、彼らに「問題がある」という風にみなす世の中に問題があるのだ。

性労働者も、それ以外の労働者も同じ労働者なのだ、だから、いろいろな人がいる、というのがわかったことで、わたしの地平は少し広がった。

好きで仕事をしている人もいる、お金のために働いている人もいる、いやいや働いている人もいる。それは、どんな労働者でも同じだ。

ただ、性労働に関しては、労働者としての権利や、安全がないがしろにされている。そこは、みんなで考えて、解決していかなくてはならない。

以前は、性労働を購入する人に、偏見があった。性労働者は、守られるべきだ。でも、利用者は、処罰されるべきだと思っていた。
でも、もしそれを実行したとしたら、結局、性労働者は仕事を失うのだ、と考えていくうちにわかった。

わたしは、生活の中で、自分の問題を考えていきたい。そして、身の回りからでも、改善していきたいと思っている。

性労働と、生活の中でかかわることはとても少ない。しかし、女性差別を考えるうえで、避けては通れない問題だから、自分も社会の一員として、考え続けていきたいと思っている。

部外者だから、考えること自体をよくないとするのは、彼らを排除することにつながる。
自分自身に引き付けて考えることで、性労働者ではないが同じ社会に生きている自分という意味で、当事者として考えることが可能だ。

昔は、性労働者は社会の被害者だと思い込んでいた。今では、そういう人もいるし、そうではない人もいるとわかっている。

女性が、男性と同じ額のお金を稼ぐには、性労働というのは、現実的な選択の一つだ。

労働問題を考えると、女性が、男性と同じ額のお金を、同じ労働で稼げる世の中が必要だ。すべての労働者が、被害者の場合もあるし、そうではない場合もあることと同じように、性労働者について考えられるようになったのは、わたしにとって、成長だった。

考える過程で、間違えることは往々にしてある。わたしはそれを恐れたくない。

わたしは妊娠をしているから、他人からは、おそらく、「性規範に沿っている人間」と思われやすいと自覚している。
しかし、わたしなりに「女」というものに押し付けられた社会的圧力やイメージ、こうすべきだという言葉にならないなにか、社会的規範に違和感がある。それは、誰に言われたとしてもある。

シスジェンダー、ヘテロセクシャル、であっても、性について悩まないわけではない。

このような属性のわたしが、仮にセクマイであると名乗ったとしても、きっと、「お前は違うんだ」と言われるだろうという予測がある。
生きづらさはあっても、死にそうにはなっていないから。

わたしはカップル至上主義が嫌いだ。
愛があればいいとも思えない。

わたしは、何度か性暴力に遭った。治療も受け、回復した。一生の傷になるという言い方には反発したい。被害に遭っても生きていける。そういうことを生活の中で示したいと思っている。

わたしは、シスジェンダーヘテロセクシャルではあるが、社会的性差にはずっと違和感を持っていて、性規範を窮屈に思っている。
そこから、ずっと外れようともがいている。
誰に何を言われても、誰を切り捨てても、実行している。

化粧をするときもある。女性らしい服を着ることもある。わたしはおんなだということを今は受け入れている。女性らしい服装をすることは、わたしは今では楽しいが、以前はそうではなく、メンズ服を着ていることもあった。
それは、男になりたいからではなく、「女」から逃げるためには、性別を消すためには、それしか選択肢がなかったからだ。

今ではスカートも履く。でも、「男から見て心地よい女らしい服」ではなく、たとえばツモリチサトのような、形は女性らしくても、女という規範が薄いと思える服を着ている。

社会的性差には違和感があるので、社会的規範をぶち壊したい。そんなことをすると、秩序が壊れるという人もいるが、どういう秩序が壊れて、どんなふうに困るかは、示されたことがない。社会的規範があるゆえに、困っている自分の現実があるから、そんなことには耳を貸すつもりはない。

わたしは、文章を書くにあたって、なるべく自分自身が見たり聞いたり感じたことを書きたいと思っている。
自分に対して嘘をつきたくないからだ。
内外の動きによって、わたしは常に変わる。

わたしはもともと、女性の権利に興味を持った時に、最初に触れたのはウーマンリブだった。だから、学問としてのフェミニズムには、感謝はすれども、興味はなく、生活の中で実践することを通して、戦いたいと思っている。

生活に根差していたい。
わたしの感性は、いわゆる「普通」の部分が少ない。だから、共感を得られにくい。わたしの文章は、だから、遠くにまではまだ運ばれる段階にはない。

LGの人たちは、全員ではないにしろ、性自認や、性規範にもなじめている人が多い印象だ。
Tの人も、自分の性自認ははっきりしている(全員かは知らない)。だから、自分が体と心の性が噛み合ったら、きっと、性規範にもなじめる人が多いのではないのか。

わたしは性規範に違和感をもっているけれど、セクマイはきっと名乗れない。LGBTではない。
わかりやすい意味では困っていない。

学校時代でも、性を押し付けられることに反発して、標準服を着なくてはいけなかった中学生の頃も、ズボンを履いた。男性が優先されたり、女性は理系が苦手だという偏見にも反発した。
教師と何度も言い合いになった。

子供のころ、おっぱいがでかくなって、すごく嫌だった。邪魔だった。生理も嫌で、子宮を取りたかった。いつか、ちんこが生えてくると信じていた。
無性になりたかった。性に関することが汚く感じられた。自分の女というからだ、二次性徴を勝手に進めるからだが憎かった。

あのころには、女性嫌悪もあった。かといって、男性も嫌いだった。ミソジニーもあった。ミサンドリーもあった。

年齢を重ねるにつれて、運よく女性の体に折り合いがついた。
その後、わたしがなじめないのは、女の体ではなく、性規範だと、絞り込めた。それも、運がよかったから、そういう気持ちになれたのだと思っている。
わたしは、シスヘテだ。でも、それなりに性を受け入れるための葛藤の歴史があった。

わたしは性行為に興味がなかった。好きな人もいなかった。

しかし、暴力によって、自分が女だということと無関係にいられなくなった。

性行為が何をするのかも知らない状態だったのに、わたしの体は開かれて、傷つけられて、壊された。

その暴力を薄めるために、意味をなくすために、無茶をして、繰り返し繰り返し、あれは何でもなかったのだと言い聞かせるために危険なこともした。

わたしなりの冒険があった。

暴力を受けた後、すべての男が憎かった。
男たちは、わたしを性的な視線で見た。具体的には胸を凝視したり、いくらで売るのか聞いてきたり、走って逃げても追いかけられた。殴られ、首を絞められ、黙れと言われた。洗脳しようともされた。
付きまとわれ、拒絶すると、拒絶の仕方が悪いといわれたり、本当は俺のことを好きなのに、自分をごまかしているといわれて、わたしの気持ちを無視された。
そういうことが続く頃があった。

人に好意という名の、性的興味をぶつけられることが多すぎて、わたしは、精神の均衡を崩した。そうしたら、メンヘラ、と言われた。こじらせている、生きにくそう、かわいそうな人と言われた。

わたしのからだは、わたしのもの。そう言えるまでには、長い戦いがあった。今でも、わたしの体を支配されることは嫌いだ。
わたしが全部決める。

心も、体も、誰かのものにならない。所有されない。結婚を、所有と勘違いしている人はたくさんいる。恋人関係になったら、所有するという感覚の人もいる。だから、束縛する。

わたしは所有されない。それを崩されたなら、死ぬ。
悩まず、怒らず、それが幸せだという人もいる。常に怒っているわたしを見て、気にしなければいいのに、という人もいる。
大きなお世話だ。わたしは怒っていたい。それが幸せだ。わたしは自分の死を拒絶する。

性労働者に惹かれるのは、自分の体や自分の心を自分のもだと、売っているのはサービスだと、言葉にしてくれた方がいたからだ。

わたしが奪われたのは、心や体ではなく、相手の妄想による、なにか。わたしの所持する、自己肯定感だ。

わたしを、怒っているばかりで幸せそうじゃないと揶揄する人がいる。でも、わたしの幸せは私が決める。
わたしにとっての幸せは怒ることを通して、自分の境界を常に明らかにすることだ。それが前提だ。怒らずともわたしの境界を尊重してくれる人に対しては怒らずに済む。
わたしが怒るのは、わたしの作る境界を壊す人に対してだから、そういうことをする人が悪い。

疑問を持ち、戦い、表現し、考え、その繰り返しによって、わたしは自分の世界を広げてきた。それがわたしの幸せだ。

わたしは、性や恋に興味がなかった。でも、暴力的に介入され、暴力行為をした人を好きになれ、愛せと強制された。私の心はバラバラになり、乖離した。

それに比べて、怒っているわたしはどれだけ幸せだろうか。

強姦され、わたしはどうあがいても女だと思い知らされた。女だということを憎んだこともあったが、男を憎むほうが健全だとわかったので、男を憎んだ。

性欲があるからと言って、男の暴力は肯定される。わたしはそれを壊したい。

そして、わたしは女として生きることになった。
女の戦い方を知りたかった。
自分の体は自分のものだという感覚を、失って、そこから、自分の体という感覚、すみずみまで、わたしの体だ、という感覚を取り戻すまで、長い戦いがあった。

その渦中、やり方が悪い、訴え方が悪い、伝わらないように言わないといけない、もっと女らしくあれと言われた。優しく伝えろ、というのは、わたしには女らしくあれと響いた。そんなことはご免だった。

わたしは女かもしれない。でも、期待されるような、男の妄想に合わせた女になるつもりはなかった。

やり方にあれこれ言う人は、わたしの苦しみを知らない。
わたしは死を考え、ひりひりと生きた。着るもの、動作、話し方すべて、何もかもから、彼らはわたしが女だというメッセージを妄想的に受け取った。わたしは、わたしのすることすべて、形を、自分のものだというために戦いたかった。

戦いの結果、今では強姦のことを思いだしても、つらくなることはあれども、フラッシュバックはほとんどしない。つらい思いはそのままでも、戦いの意味があった。
戦わなくては、生きられない。そういう人間もいる。

わたしがターゲットにされた理由を、聞く人がいる。わたしの瑕疵を知りたがる人もいる。わたしはそれについて考えたくない。
考えない。

大人に性被害を訴えたとき、未成年だったわたしに「女として魅力があるということじゃない?ポジティブに考えなきゃ」という人や「被害を聞いて興奮した」という人や、「ネガティブに考えると損だよ」という人がいた。

性被害の告白を自慢に取った人もいた。男に欲望され求められているじゃないかと。私はそういう人たちを捨てた。

わたしは、あのころのわたしのために考えたいのだ。

殺されかかった経験も、わたしは水に流せない。水に流せばいい、忘れればいいという人がいるが、しょせん他人事だ。
何をしてくれるわけじゃない。ただ、そういう現実から目をそらして、きれいな世界を維持したいだけなのだ。

わたしは、子供のころ弱かった。でも今も生きている。そういう意味で強い。逃げられなかった。あの頃でも、わたしは死ななかった。

男には性欲がある。だから、強姦する。というのも、性規範の一つだ。性規範は毒だ。害だ。
これは、わたしの人生だ。わたしの命の戦いだ。

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自分の性をあきらめ、折り合いをつけるまで」への2件のフィードバック

  1. 自分の性をあきらめ、折り合いをつけるまでを読んで。
    はじめまして、ネットサーフィンの上たどり着きました。
    まるで自分が書いたような文章に、なんだか落ち着いた気分になり、嬉しくも思い、コメントをしてしまいました。単純に嬉しかったです。

    1. わあ、ありがとうございます。
      こつこつ書いていた甲斐があったというものです。
      また、来てくださいね。

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