家族は出入り自由な、血からも恋愛からも関係ないものであれ

家族は自分が一緒にいたい相手と自由にいられたらよい。
子供の時代はそうではないけれど。

Aちゃんは、アセクシャルで、恋愛を経由して、家族を求めることができない属性だ。
家族という概念に対しても、いやな感情を抱いていた。

わたしがAちゃんをスカウトしたのは、Aちゃんが困っているときだったから。
それで、家族になってもらった。でも、もちろん、Aちゃんが嫌になったら家族をやめてもらっていい。

恋愛を経由しないと家族になれないと思っていたり、血縁じゃないと家族になれないと思っていたりするのは不自由だ。
恋愛感情を持つのは、とても面白い経験だと個人的には思っているけれど、そのことと家族の要件を、わたしは切り離している。
だって、好きだったらパートナーになる、といっても、いくら魅力的に感じても、破滅的な人と家族になりたくない。そういう打算がある時点で、恋愛だけで家族を選んでいることにはならない。だから、打算だけで家族を選んでも、もちろんよいはずだ。

うちにいる六帖さん(パートナー)に対しても、もちろん、最初は、恋愛感情はなかった。
わたしを好きで好きでたまらないうえに、貧乏で、行く当てがなかったから、じゃあ、うちにいたら?と言っただけだ。
その時点で、恋愛感情があるわけがない。
今では、もちろん、好きは好きだ。でも、わたしには他のも好きな人がいる。六帖さんは、それを承知で家に来たのだから、それを曲げる気もない。
母親になるからと言って、わたしが六帖さん以外にも好きな人をいる現実を変えようとは思わない。
世の中には、不倫をする人を、人間として信頼できないとまでいう人もいるようだけれど。
六帖さんとわたしの間で了解が取れているからそれでよいのだ。

妊娠して、いろいろなことが変わった。
つわりがひどく、体全身がだるくて、起きていられず、仕事も思うようにできていない。
お客さんに待ってもらっていたり、仕事を変わってもらったりしている。
申し訳ないと思いつつ、どうしようもない。
親になるなら我慢しないといけないと、人様にわざわざ言わなくても、体は逃げられないのだから、必然的に我慢している。
我慢は勝手にやってくるので、買ってまではしない。
それがわたしのモットーだ。

子供は親を選べない。わたしも、子供を選べない。わたしが選べたのは子供を持つかどうかだけだ。
すべては偶然だ。
私の子供をかわいそうだと思う人もいるだろうし、いいなあと思う人もいるだろう。
わたしの意思とは関係なく、子供は、わたしのもとで、苦しんだり、楽しかったりして、育つだろう。

大人になったら、家族を選べる。それまでは、わたしの子供は家族を選べない。否応なく、わたしたちのもとにいるしかない。

子供が大人になって(無事に生まれて無事に育てば)、もし、わたしや六帖さんやAちゃんのことが嫌になって出ていくことになっても、受け入れる。そうするしかない。そうしたくもある。そして、また戻ってきたければ、戻って来られるようにしたい。

お金を稼ぐようになれば、どこに住んで、誰と過ごすか、全部自分で決められる。
家族を持たないことを選ぶのも、家族がいると便利だと思う人も、たくさんいる。

家族はロマンチックなものでなくてよい。機能的なものだったら良い。おまけに、気持ちが通い合えばもっと良い。
気持ちが通い合うための条件に、血縁も、恋愛感情も、不必要だ。

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