困っていることを分散する

妊娠七週目。
冷えのぼせがひどい。光に過敏になって、まぶしくて、いつも右目をつぶっている。
右目の視力が落ちたのは、つわりがひどくてスマホを見る時間が長いから。
睡眠は吐き気と痛みのせいであまりとれない。
股関節周りをもむと、吐き気とめまいが少し収まる。
股関節のところで痛みをこらえているらしく、すごく硬くなっている。

今日六帖さんが病院に電話をしてくれたのだけど「吐き気はあるけど吐いていない。よく眠れている」と説明したので、かなり怒って暴れて、枕を壁に投げつけて号泣した。
吐き気がなくて眠れているなら困ってないじゃん。困ってるから電話したんじゃん。と思った。

困っているときには、大げさに言ったくらいのほうがよく伝わる。
大丈夫なんです、と言っていたら、困っていても助けてもらえないし、助ける側も手の出しようがない。
ヘルパーさんが来る日だったので、ヘルパーさんの前で、暴れて号泣した。
でも、平気ですよ、というよりも困っているところを共有してもらったほうが、密室にならなくていい。

近所にいるAちゃんは、最初一緒に住んでいた。
Aちゃんは、体を壊して仕事をやめたものの、その先がなかった。
だから、100キロ以上離れて住んでいたけど、オフ会であって、スカウトした。
Aちゃんは、退職した会社の近くに住んでいたから、精神的に辛そうだった。

それで、うちに来てもらった。
一か月くらいパートナーの六帖さんとわたしと三人で住んでいたけど、そのころAちゃんは荒れていたので、矛先が六帖さんに向かっていた。だから、近所に引っ越してもらった。

少しずつ、家族っぽい感じになっていった。
三食うちで食べて、わたしが紹介したところで働き始めた。

わたしは愛がなくても、血縁じゃなくても、家族になれると思っている。

Aちゃんはセクシャルマイノリティで、恋愛をしない種類の属性だから、恋愛を経て家族を作ることが不可能だった。
でも、恋愛を経なければ家族はほしいといっていたので、とりあえず家族になってもらった。

Aちゃんは、家族がほしいけど、それは無理だと思っていたらしい。

わたしはといえば、まあ、人が増えたら何かという時に便利だろうと思った。

別に家族なんて簡単になったり簡単に壊れたりしていいと思ってる。
結婚しても、離婚するし、離婚しなくても、心は離れる。

一生同じ組成で家族になるのは難しい。
でも、困ったときに助け合うという観点から見たら、いろいろな人がいる家庭というのはいいと思った。

それから、わたしは妊娠した。
Aちゃんは、家のことやわたしの世話をいろいろしてくれる。六帖さん一人では無理だったろうから、とても助かっている。
Aちゃんも、孤独じゃないし、家を借りる時の保証人やらで困らなくなったからよかったみたい。

わたしは一人でやることは好きだけど、一人でできない時もあるから、いろいろな人に助けてもらいたい。
利害が一致していて、人柄がよければ、家族が増えることに何の異存もない。
助かることばかりだ。

Aちゃんはもちろん、子供を産むことは考えていない。でも、子育てには興味津々だから、手伝ってくれるという。
別に恋愛しなくても家族になれるとわたしは信じていたら、そういう風に生きていたら、そういう人たちが集まった。
六帖さんと一緒に住むことにしたのも、六帖さんがあのとき困っていたからだ。

大人の手が三人あれば、子育てもなんとかできる気がしている。
一人や二人で育てるのが大変でも、子供の親になりたいけど生む気のない人をスカウトして、一緒に経験を共有する試みをこの妊娠でしてみたい。

まだ、人手が足りないから、いいな、と思った人には声をかけている。
もちろん、話に乗るか乗らないかは、本人の意思と決断だから、無理強いはしないけど。

別に恋愛から始まる男女のつがいに限らず、家族の発生は自由であればいい。
社会的な制度がなくても(あったらもっといいかもしれないけど)経済的にそれぞれが自立していたら、家族になるのは可能だ。

血のつながりや体の関係は、家族と切り離せる。
別に集まっていて、お互いが居心地のよい家庭運営が出来さえすれば、血縁であることは、必要な条件から外れる。
子供を産もうが産まなかろうが、結婚しようがしまいが、最後にはひとりだ。

一人でも、孤独じゃない場合もある。家族がいても孤独な場合もある。子供は将来の担保には絶対にならない。
子供には子供の人生があるから、わたしはそういうのと関係なく家族を作りたい。

わたしが子供を産むのは、将来のためじゃない。ただ、子供がいたら面白いかな、という気まぐれだ。
産んだからと言ってうまく育てられるわけじゃない。
子供のころに「c71は虐待しそう」と言われたことをいまだに根に持っている。
それを逆手にとって、子育ては苦手だろうから、わたし一人がやらなくて済む環境づくりを頑張っている。

一人でやることを頑張ると行き詰まる。
それよりも、他人を巻き込んで、一緒に困ってもらうほうが、みんなが愉快でいられると思う。

戸籍が違おうが、セクシャリティが違おうが、人柄がよくて協力し合えるという前提があったら、わたしはどうでもいい。
わたしが家族だと決めた人たちが家族だ。

そうやって、困りごとを分散して、お互いの困りごとを共有し合えば、なんとか生きていけると思う。

c71の著書

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