家制度に固執する「誰も懲りない」


中村珍さんの本です。
この本は、お父さんがとにかく大好き!殴られても大好き。
で、お母さんは浮気して出て行ったから悪。
と言っている。

で、なんで悪なのかというと最初よくわからなかったのだけど、よく読むと「藪家」を捨てて「名前」を変えたからってわかる。
殴られたこととレイプされたことはとても悲惨な虐待なんですけど、失うべきものがたくさんあってうらやましい……という感じ。
健康な体や傷のない経歴、不足のない経済、とかね、もともとないから普通の人は。たいてい。
そんで、お母さんの頭をお母さんの彼氏の前で踏むんですけど、その数か月後にのこのこ会いに行って、その場に彼氏が同席していたからって「誰も懲りない」ってコマが出るんだけど、自分の彼女が自分の娘に頭踏まれてたら、次回から合わせないか絶対目の届くところでってなる。

そんで、自分の選択でもずっと不幸っていってる。
でも自分で父親と暮らせねえって出て行ったことも、高校辞めたのも自分の責任じゃん。
そりゃあとから、この選択肢じゃなければよかったと思うことはあれど、高校に行くチャンスがあって、でもやめられて、自活できて、その後バイトして、血縁から借金を負わされることもなく、専門学校行けたんだからいいじゃん……。自分の金だろうけど。

この作品はノンフィクションなのかフィクションなのかわからないから、安心して読めない。
どっちでもいいということなのかな?
わたしはわたしの「ものさし」で測らせてもらうけど、家制度の上の家族に固執しすぎ。
離婚したら夫婦じゃねえし。
死んでも同情されないし。
愛がなくても家族にはなれるし。
愛があっても暴力があるときはあるし。

女にすげえ冷たい。
男が悪さしてても全然悪く言わないのに、おばあさんやお母さんに暴力ふるいすぎ。
その理由もぼけたとか、男作ったとか、普通の悪いことじゃないのに、お母さんが離婚しても彼氏と続いているからって暴言吐きすぎ。
というか、お母さんが離婚するのも、彼氏作るのも人生的に自由だから。

離婚したらお母さんは藪家の妻じゃない。結婚いいやだったらだれでも出て行っていいし。人間だから藪家に虐げられたまま死ななくていいのに、お母さんに離婚するよりかは結婚したまま死ねって言ってるよねこの人。死ぬべきだったみたいなさ。
離婚したからって娘に頭踏まれるのっておかしいよ。

一番お母さんに怒っているところはお母さんの名前が変わって、彼氏を紹介されたときなんだよね。
なんか自他の区別ついていない。家制度上の中では自他は混然一体になるけど。家制度には人格ないからね。
一家の大黒柱のためにほかの家族が耐え忍ぶのが素晴らしいってやつだから家制度は。
そこからはずれて自分の幸せ探しに行ったお母さんのこと憎いんだろうけど、そのあと一緒に暮らしているし。

女すげえ嫌いなんだなと思う。子供を産んだのは「お母さん」だから「お母さんが選んだから自分がいる」みたいなことを書いているんだけど、お父さんはどこに行ったんだよ、と思う。

なんつーか、続けて読むと「家制度に忠実」という意味で「お母さん二人いてもいいですか?」と同じなんだなと思った。

「お母さん二人いてもいいですか?」でも思ったんだけど別にヘテロカップルでも外で子供作れるから。
わたし一人目は六帖さんの子だけど二人目はどうするかわからない。
そんなの、家族によって形は自由だし。
ヘテロはみんな同じだと思ってるのも思い込みだろうと思う。

家族の理想の形が強固にある。
みとられないで死ぬのは悲しいとか、離婚は許さない、とかね。
でも、そんなのないから。

c71の著書

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