マイラブリーハズバンドにイライラするといわれても

マイラブリーハズバンドの六帖さんは毎食ご飯を作ってくれる。

なのに、友人は、「いらいらする」とわたしに言ってくる。
わたしに言われても困る。
最近、イライラしたセリフは「餃子焼いても大丈夫?」だったそうだ。
六帖さんは友人のおなかの調子が悪いから、聞いただけだ。
「おどおどしている」「人の顔色を窺っている」と感じて、いらついたそうだ。
自分の調子が悪い時に、六帖さんにイラつくというのは本人もわかっているみたいなんだけど、六帖さんは何も悪くないのに、それを配偶者であるわたしに言われても困る。

そうね、六帖さんにも悪いところはあるかもしれないねと返し続けてきたけれど、限界だ。
わたしは六帖さんを愛している。悪く言われることも許せない。

いらいらするのは自分の問題だ。六帖さんはあのとき、おどおどもしていなかったし、顔色も窺っていなかった。
気を使っている人を見ると、いらいらするらしいのだけど、それは自分の投影だ。
それよりも、他人に失礼なことを言って、その自覚がないことのほうが問題だ。

いらいらするのはともかく、人に失礼なことを言うと、世間を狭くする。
わたしも優しくできなくなる。
できる限りのことをしてきたつもりだ。
でも、失礼で返されたら、愛が枯渇する。

また、復活するときも来るかもしれないけれど、今は無理だ。

わたしに対しても、六帖さんに対しても、ありがとうを言わなくなった。
三食作ってもらっている相手に、いらつくならもうだめだと思う。
わたしは、散歩に連れ出したり、病院を探したり、六帖さんに付き添うように頼んだり、いろいろしてきた。

仕事も探した。

仕事が気に入らなかったら、自分で探せばいい。
わたしは、良かれと思って仕事を見つけて紹介したけれど、会わないと思うのなら、しなくてもいいんだ。
大人なんだから。

わたしが、「してあげた」ということがうざいなら、受け入れないで自分でやればいい。

以前にも、ほかの人に「してあげた」としつこいといわれたことがあるけれど、全部断ることだってできたはずだ、と思う。
実際そういう人もたくさんいる。
距離を保つために、わたしのしたことをあえて、受け入れないでおくね、という人もいて、そういう人とは長く続いている。

善意で動いて、それがうまく書ない場合なんてあるのは、百も承知だ。
でも、受け入れることを選んだのは自分じゃないか。

自分で自分のことを選べない人のことは助けられない。

マイラブリーハズバンドにいらいらするんだったら、わたしは、もういやだ。
六帖さんは天使のように優しい人だ。
その優しさにいらつくのだったら、わたしはかかわれない。

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