わたしのからだはわたしのもの


しんどいことがある。
妊娠初期の可能性があると話したら「セックスしているなんてきもちわる、と思った」と言われた。
本人は言わなきゃよかったと反省していたけど、言葉は消えない。
わたしは傷ついた。怒ってもいる。

マタハラだ。わたしを尊重していない。
ヘテロセクシャルでパートナーがいたら、セックスをするのは当たり前だ。
その当たり前を尊重されなかったら、わたしのほうでも、尊重できない。
尊重には尊重で返せるけれど、尊重されないなら、もう尊重できない。

わたしはレイプされたことがある。
友人にはいきなり、馬乗りになって、ハグをされた。
許可なくわたしの体に障られたので、わたしは茫然とした。
怖かったし、気持ち悪かった。わたしの体の領域を冒されたので。
馬乗りは、同性であっても、性被害だしレイプだ。
挿入がないだけで、体の領域を犯したことに変わりはない。

六帖さんも、その人も「茫然としているね」と言っていた。
わたしは、いろいろなことがフラッシュバックしてとても怖かった。

ハグは嫌いじゃないけれど、お互いの了承を得てするものだから、その前のアクションで予測できない行為をされたら、驚くし怖い。
それは、性別に関係がない。

妊娠初期の可能性があるのに、おめでとうじゃなくて、「気持ち悪い」と言われたのはやっぱり、許せない。その場では流したし、正直に言ってくれてありがとうと言ったけれど、やっぱり無理だ。

人とかかわるのは大変だとわかっていたけれど、礼節を守られない、ありがとうを言われない関係になってきたので、わたしの心は限界だ。
怒ってもいる。

その人が変わるかどうかは、わたしには関係がない。変わってくれたらまた仲良くできるけれど、しばらく距離を置くしかない。

大人になっている人だから、本当は何でも選べるし、幸せな状況を喜ぶこともできるのに、悲しいこと不幸なことつらいことを思い出して、それに耽溺して、わたしたちに、ちらちらと、様子をうかがっているように見える。

言語化されない感情の面倒までは見れない。
わたしは、熱もある、睡眠障害もある、二次障害で、気分がうまく操れないし、体調もいつも悪い。

何でもできるように人には思われているけれど、できることだけを必死でやってきただけだ。
それは、自分で考えて、生存戦略を立てて、自分でできることを、苦労しながら積み重ねてきたのだ。
その結果を、今すぐまねできると思われるのは心外だ。

積み重ねが大切なのに、それをすっとばして、結果だけ見て、わたしが幸せそうだと思われるのは、友達だったら、わたしの事情を分かってもらわないことには、どうしようもない。

時間をかけてもわかってもらえなかったら、それはやっぱり、友達ではいられないということだ。

わたしの体も、わたしの選択も、わたしのつらさに対する対処も、わたしが戦い抜いて、得たものだ。
簡単じゃない。

自分のほうがつらいとアピールされても、自分で何とかしてもらうしかない。

わたしだって、つらかったんだから。つらいけど、弱いながらも、強くあろうとしてきただけだ。
わたしは、最初から強かったわけじゃない。
強くなることを決めて、明るい面を見ることに決めて、できる範囲のことを模索しながら生き延びたのだ。
それがわたしだ。
わたしはわたしのものだ。その思いがあるから、生きてきた。
それをわかってもらえない人とは一緒にいられない。

c71の著書

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