JKの語源は、未成年搾取の隠語である

この記事は、痴漢抑止とJKという表記の由来に関して書かれています。tarjk.com
JK表記がよくないことを書いていきます。

”JK”の由来は、アダルトコンテンツ、つまり、未成年者を性的コンテンツにしている未成年搾取者の使い始めた隠語です。女子高校生だと検閲に引っかかるので、言い逃れが聞く言葉に変えたのだ。今でもそうです。女子高校生と書かないで、女子校生と書くのと同じです。

コメント欄にもあるように、もともと、未成年者である高校生を性の対象にして、そのイメージを利用してお金を稼ごうとしている人たちが使った言葉だ。

大人が未成年者を性の対象にすることは、虐待である。それが、単なるイメージだとか、表現の自由だとか言う人もいるが、子供を性愛の対象にしてはならないという社会通念を破壊するものなので、その自由は認められないと思う。実際、今私たちの社会や大人の男性たちは、未成年者を性の対象として消費することをためらわない。

自分たちを表すためにJKという言葉を選ぶと、それは、結果的にアダルトコンテンツ扱いしてくる男性たちを呼び込んでしまう。パブロフの犬のように、JKという言葉自体に反応してしまう人たちは存在する。
若い女性たちは、語源について知らなかったり、判断力がまだ未熟だったりする。まだ彼女たちは守られなくてはならない存在だ。自分たちは大丈夫だと思っていても、まだまだ子供扱いされなくてはならない年齢だ。子供扱いするとは、侮るという意味ではなく、意見を尊重はしても、限度を設けて、安全な範囲で暮らせるようにする、大人としての責任を果たさなくてはならないということだ。そして、彼女たちを守るためには、JKという言葉から遠ざけることも大切だ。

子供は子供扱いされることをとても嫌がるけれど、健やかな成長を保つためには、自由を制限することが必要になる(喫煙や飲酒を止めるなどイメージしてもらえばわかると思う)。意味のない制限をする必要はないけれど。

JKという言葉を主体的に引き受けなおしたいとしても、今は難しいだろう。それは、大人の思惑でビジネスに使われる言葉であることがある。また、当事者がたいてい三年で当事者ではなくなるという特殊な事情もそれを難しくしている。もし、JKという言葉を、自分で引き受けようとしても、その未成年者虐待の歴史まで引き受ける必要があるだろうか。

引き受けるということには、悪い面があって、これまでも、いろいろな場面で、「女性が自ら選んだことだから」といって、今まで様々な悪の言い訳にされてきた歴史がある。
それと同じことを繰り返すことになってはいないか。

私が高校生のころ、花の女子高生、JKという言葉が言われ始めたけれど、それは、援助交際に関連しての言葉だった。私は道を歩いているだけで、売春を持ちかけられたり、後を付けられたりしていたので、この言葉に悪いイメージがある。声をかけていた側にとっては、それは欲情の記号として作用していたはずだ。

ある一定の年齢の男性からすると、今でもJKという言葉と、セックスのイメージは強く結びついている。だから、安易にJKという言葉を引き受けてしまうと、そのセックスのイメージまで引き受けたと勘違いされてしまうのではないかと老婆心ながら心配だ。

高校生の間はちやほやされる、と思っている人もいるけれど、それは、幼さや、若さからくる警戒心のなさ、不安定さにつけこんでいるだけだ。自分たちのうす暗い欲望を満たそうとしている人たちがいる。その人たちは、”女子高生””jk”という言葉に、今でも蠅のように群がっている。私はそういうことが心配だ。

学生、未成年というようなニュートラルな言葉で良いはずだ。

インパクト重視で、使われているから、流通している言葉だから、女性の学生自らが使っているからと言って、選んでいい言葉ではない。

この痴漢の話題に対して言えば、痴漢と言えば、性犯罪である。もっというと、痴漢を野放しにしていて、女性を犠牲にしているのは、社会的な虐待である。”jk”という言葉を使ってしまうと、それがもともと性的搾取の隠語だったのだから、それを自分たちから痴漢に関連して使えば、未成年が搾取されることを防ごうという趣旨に反してしまうのではないだろうか。また、単に、そうした言葉を使うことで、性犯罪者たちを喜ばしてしまう。

また、表題のサイトについていえば、「”JK”がしなくてはいけないこと」に絞って運営されていることも気にかかる。本来なら、犯罪者にしてはならないことがあるはずだ。

痴漢は、してはならないことであり、犯罪である。そしてそれは身も心も傷つけ、自分の体を自分のものだと思えなくなる後遺症を産む。

被害者ばかりが、犯罪者に気を使って、がんばるしかないのだろうか。
そういうわけで、JKの表記は良くないものだ。

自分はJKだから、とか、卒業するときにJKブランドがなくなるからババアだとか、JKらしく謳歌してないから、自分はだめなのだ、という言葉が発せられるのを聞いたことがある。

”JK”じゃなくなっても、そのあとの人生も素晴らしいよ、と言ってあげたい。高校生じゃなくなっても、人生は楽しいよ。

なぜ花のJKという言葉が必要なのか。”JKブランド”という言葉を当事者が使うのかなぜなのか。それは社会が若さに価値を置いているからだ。そんなのは間違っている。

JKという言葉は、エンパワメントにならない。存在するだけで、自尊心をそぐ言葉だと思っている。若さに価値を置くはめになったのは、社会に問題があるからだ。たった三年だけが輝く季節ではないのに、そういう風に思いこまされている。ただの学生時代をそれが終われば普通の人に戻ってしまう特別な期間と思い込まされるために、その後の人生も続いていく上に、その先にもっと素晴らしいことがたくさん待っているのに、それを信じられなくさせられてしまう。
だから、痴漢防止や、痴漢に対してのアクションに使う言葉としてはふさわしくないと考えている。

(´-`).。oO(女子高生AIが話題になってますが当アカウントはリアルJKが運営しております。ラストJKになりました。)

— 立ちあがれJK! -痴漢抑止バッジ- (@tar_JK) 2016年4月7日

リアルJKというブランドを利用することは、結局、搾取者に対してのサービスだ。学生が運営していることを特別にしないでほしい。
言葉を大切に、自分を大切にしてほしい。
JKという言葉を聞いて、性的に興奮する人たち、それだけでは済まない人たちが確かに存在する。

若い女性の判断力が未熟じゃないと思いたいのは、子供の判断力を利用したい人だ。
自分の責任を、子供に転嫁したいだけだ。
子供は子供で、守られるべき存在だ。
子供の意思を尊重する行為というのは搾取とは別の世界で行わられなくてはならない。
それは、大人のセックスのために存在しているわけじゃない。

また、被害者に泣き寝入りをするな、という言葉も問題があって、我慢したり、やり過ごしたりするしかなかった子がより傷つくことも心配だ。
痴漢をされると恐ろしい。殺されることも考える。
泣き寝入りすることは悪いことじゃない。できたら、声をあげられたら一番良いのだけど、今の社会はそうじゃない。
被害にあった子たちの中には、このメッセージを、つらいものとして受け取る人もいるだろうと心配だ。
具体的には、告発しなかったことを責められていると感じて、より追いつめられる被害者もいるということだ。

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JKの語源は、未成年搾取の隠語である」への4件のフィードバック

  1. 信じてもらえないでしょうが、ぼくがJKという言葉を最初に使いました。ぼくはSM系雑誌の編集者&ライターをしていて、ロリコン雑誌を起ち上げました。その中で、「女子中学生」というものを取り上げたかったのですが、まさかその言葉を使うわけにはいきません。
    というか、そもそも当時、女子高生は「女子校生」と表現されていました。この女子校生というのは、「いや、これは女子大生(成人)のことです」と言い逃れるための造語でした。
    でも、女子高生を女子校生と表記するのはなんか嫌でした。ストレートじゃないですからね。
    どうしたら女子中学生を表現できるだろう?そう思ってぼくが考えたのが、JCという言葉でした。JK、JSは、その後で作りました。もうずいぶん昔の話ですし、いまさら誰も信じてくれないでしょうけど、ほんとの話ですよ。
    ちなみにその雑誌は、三和出版の「変態少女時代」という本です。1号か、2号の記事で作りました。

    1. 信じない理由がないので、信じますよ!
      本当は、子供を性愛の対象にしてほしくない、という立場ですが、もともとは隠語として使われていたもので、子供自身が自称する事態になることを予測して作られたものじゃないんだろうなと思います。

  2. JKという言葉の語源が未成年搾取の隠語として使われたのは間違いないですね。
    およそ15年ほど前、出会い系サイトや痴漢掲示板等で女子高生をJKという隠語で表記していたのを覚えています。
    あれから長い年月が過ぎ、現在ではJKという言葉は、女子高生の略語として世間一般に浸透し、あらゆる場面で使われるようになりました。
    もうJKという言葉は、語源は未成年搾取の隠語だったとしても、現在はそういう使われ方よりも、女子高生の略語として成立しています。
    ですからJKという言葉は、日常で使っても差し支えない言葉だと思います。
    JKという言葉以外にも、現在普通に使われている言葉で、JKのような語源を持つ言葉があるかもしれませんね。

    1. 証言が得られてうれしいです。そうですよね。
      軽く使う人はたくさんいます。差し支えないとも思います。
      ただ、わたしは、どうして、女性の学生だけフォーカスされるのか、彼女たちに価値を感じる大人がいることを考えると、使いたくない言葉です。
      なぜ、子供に価値を感じるのか、と、厳密に考えていくと、彼女たちにとりわけ価値を見出す側に問題があることが見えてきます。
      JKという言葉は、それを見えなくします。

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