双極性の症状のサイクルと世界の小さな謎と影と光

今はうつ状態で、一日のほとんどを眠って暮らしています。
わたしのサイクルは、三日から一週間で躁鬱が変わります。

躁状態になると、「自分を抑えなくてはならない」というプレッシャーがかかって、より、苦しくなります。
鬱状態の時は、焦りつつも、眠っていればいいので、案外楽です。
体を動かしたり、お風呂に入って体を温めたりという対処方法が読めてきたので、なんとかなります。
でも、躁状態の時は思い付きで何をするのかわからないという怖さがあるので、慎重になります。
飛び出したい気持ちを「抑える」」力が必要になるので、とても疲れます。

過剰に集中したり、過剰に活動したりするので、鬱の時に反動が出て、疲れからぐったりしやすい。
波を小さくするために、いかに躁状態の時の「やりたいこと」を我慢するかによって、鬱状態の落ち込み具合が変わります。
それがわかっているので、いろいろやりたくなる気持ちをぐっと抑えなくてはいけません。
その、「抑える」ということがとてもつらいです。

今はうつ状態なのでなにも我慢しなくていいです。
でも、「自分は醜い」「自分は太っている」という声が自分の中からします。

「こうあらねばならない」というのは、世の中のピラミッドの頂上にいる人たちが、自分のサイズの箱を作って勝手に決めたものだから、自分がその箱に納まる必要はありません。

でも、自分の中で、どこかに「その箱に入って収まらないといけない」という気持ちがあります。
ピラミッドの上の人以外は、誰だって、箱に入りきらず、はみ出るというのに。

みんな、箱があると安心します。その箱に入れれば、見ないでよいことがたくさんあるから。
世の中になじめていると錯覚できるから。

しかし、大切なのは箱に入って「世の中になじむ」ことよりも、自分が幸せになることです。

世の中になじんだところで、幸せは保証されません。世の中に殺される人がたくさんいます。

わたしは病気だから、はみ出し具合が自覚しやすいです。だから、あきらめることもできます。

しかし、箱に入る条件が整っていると見える人は、年齢だったり、仕事上の成功だったり、そういう目に見える簡単なことに騙されます。
年齢なんて、誰かが決めた勝手なことだから、それに合わせる必要は一つもないし、仕事の成功も、狭い世界のことです。

勉強をしていると、世界でわかっていないことがたくさんあるとわかります。
それをわかりやすくして、わかったふりをしていても、何の意味がないとわかります。

わからないからこそ、面白いです。もっと知りたくなります。わたしは、世界の謎を解き明かすことなく死ぬと思いますが、自分の謎を一つ一つ、ほんの少しでもわかりたいと思って生きています。

世界の不思議に比べて、人間の世界の謎は小さいです。
小さい謎に苦しんだり、殺されたりします。

小さい謎から逃げることが大切です。

わたしは、人の気持ちもわからないし、世間もわかりません。
わからないなりに、あがいて、逃げて、折り合いをつけています。

人の気持ちがわかる人なんて本当にはいません。いるのは、人の気持ちをわかろうとあがいている人だけです。

わたしは、自分の狭い能力の中でそれを目指していきたいと思っています。

わたしが分かる可能性があるのは、自分の病気とともに揺れ動く感情だけです。

けれど、この可能性を書き続けていったら、誰かの小さな謎を解き明かすヒントになるかもしれないと思うのです。

わたしの心の中で動く、躁うつ病という不思議な波は、わたしに様々な経験をさせます。
それは、誰かと交換できません。

誰の人生も交換できないのと同じように。

誠実であればあるほど、暗闇を見てしまいますが、それと同時に、美しい光も同じくらい見られるはずです。

影からは逃げられません。

わたしは病気という形で持って、影と向き合い、光を探したいと思います。

c71の著書

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