母とわたし

母と会わなくなって、少しずつ、「会わなくていい」「会いにいかない」ことを繰り返すことで、火が燃えるような激しい怒りに我を忘れることも、だんだん少なくなってきたように思います。
わたしは一度、怒りと一生ともに生きることを覚悟したのですが、あれほど激しかった怒りも、少しずつ忘れてきています。

母がしたことは、わたしの一番良いはずだった時代を奪ったことです。
友達と遊ばせず、友達の悪口を吹き込み、テレビを見させず、睡眠時間を十分与えず、趣味をさせず、常に見張り(冬でも部屋の扉を閉めることを禁止されていました)、楽しませないこと…。下着の素材、柄、種類まで決められていました。それくらい自由がなかったのです。自分で選んだ下着を履くと、赤ちゃん言葉で、ちくちくと責めるのです。

それは、異常なことでした。絶対に許されることではなく、わたしは、母を許しません。
わたしは、母に会うと、体調が悪くなり、生きていくことが難しくなります。
決意とは関係なく、わたしは母と会えば死んでしまうかもしれません。簡単に、「お母さんも心配してるんだからわかってあげれば」という人がいましたが、距離を置きました。
母に会えと言う人は、わたしに死ねと言うのも同じようなものです。

母は、妖怪のようにわたしの人生に覆いかぶさり、わたしの人生を簒奪しました。
わたしが当然得られるはずだった、経験や、自尊心を奪うことで、わたしが母から離れられないよう依存させ、支配させたのです。
そして、依存するわたしのことを辱めました。
そうやって、わたしの人生を簒奪して、彼女の人生が、より意義深いものになったかと言うと、それは全然なっていません。
本当に無駄だったと思います。

わたしは、母から離れてようやく得た健康が本当に尊いものだと感じます。
その日暮らしと言えども、仕事があり、ストレスもなく、居心地よく生きられること…。母から人生を切り離しただけで、こんなに幸せになるとは、思ってもみませんでした。今では、自分の好きな下着をつけることができます。それは、本当にすてきなことです。
自分の好きな下着を身に着けることが、こんなにも心を和らげるなんて、わたしは知りませんでした。
毎日が、発見と喜びに満ちています。
普通の人たちが、こんな風に、生活を、喜びに満ちて経験していたのかと思うと、わたしが失ってきた日々が、恐ろしく思われます。

母は、ずっとわたしを「こうしないと不幸になる」と脅し続けていましたが、母は、単に、自分からペットが離れることが許せなかっただけだと、今はわかります。

わたしは、母の分析を、今はあまりしないようにしようと思います。
それは、自分の中に、「母のことがわかる」と思う気持ちを育てる気力がないからです。

c71の著書

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