学歴と生きる力は関係がない

わたしが教えている子で、生活力はとてもある、頭がとてもいいけれど、勉強をする習慣のない子がいる。
その子は、習い事の師範の免状をもらうことも目前らしい。
感心してしまった。その子は特技を磨いていけば、それで生活できるのだ。

わたしは、学歴があった方が、選択肢が多いと思い込んでいた。
でも、社会に出ればそんなことはない。要領が良かったり、人に好かれたりする人の方がうまく行くし、危ないところには行かない野生の感がある人は人生が健やかに、楽に、行く。

「ぎゅうぎゅうに厳しく教えるのと、今まで通りゆったり教えるのとどっちがいい?」
「うーん、そうですね…」

わたしは、成績を上げることこそ善と思ってしまう瞬間がある。
だいたいのときは、勉強を楽しく思ってほしい、自分で勉強できるようになってほしい、というのを目標にしているのだけれど、それでも、ぎゅっと引っ張れば伸びるのではないかと思ってしまう瞬間がある。

実際には、その子のペースに合わせて、その子が、得心がいくように教えないとまったくその子の中に残らないから、時間自体がむだになってしまうのだけれど。

わたしができることは、勉強が面白いと思ってもらえる時間を提供することだけだ。
そして、その子が選ぶ力を持って、自分の人生を選べるようになって、そうして、自分を生きている幸せを感じられるようになってほしいと思っている。
その道具として、勉強が確かにまだあって、それを渡したいと思っている。
勉強と生きる力は、直接には関係がない。

c71の著書

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