やりたい仕事をしているね、と言われた

今日父に、「やりたいしごとができているのだから、何よりも幸せだ」と言われた。

ユニクロのバイトを受けて落ちて、今の仕事に落ち着いた。
ちょっとやってみたい位の気持ちで受けたらあっさり受かった。
それが向いていると言うことなのかもしれない。

熟考に熟考を重ねたあげく就いた前職は、まったく向いておらず、楽しいというより苦痛だった。
お金がもらえることと、働くことで自由になれたことが嬉しかった。
病気になって辞めることになって心底悲しかった。

病気にならないように働くことや、病気になったら辞められる状況というのが、大切だと思う。
鬱は治るけれど、ならない方がいいに決まっている。
人に優しくはなれるけれど、つらい。

わたしは、今、やりたい仕事をしている自覚はなかった。

恥ずかしいことに、わたしは、自分がたいした人間で、クリエイティブなはずで、人を動かすことができるんだと思っていたことがあった。しかも、それに無自覚だった。

今のわたしはと言えば、中学生に、勉強が好きになってもらうことを仕事にしている。
まず、わたしのことを好きになって、わたしの言うことを信じてもらって、やってみたら、ちょっと嬉しい、という循環を作ることを仕事にしている。それは、一日ではできないことで、魔法は全然ない。
成績が上がってほしいと思っても、代わりに勉強してあげるわけにはいかない。成績が夢のように伸びることもない。魔法はない。

わたしは人と話すことは苦手だったし、ポジティブなことを言うのも苦手だった。でも、それが仕事だ。
教えることがやりたいことだったのかというとぴんとこないけれど、わたしにはそれができるし、頭の中もそれでいっぱいだ。
それを見て、父は、「やりたい仕事をしている」と言ったのだろう。
向いているかもしれなかった。

c71の著書

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