思春期をやり直している

思春期をやり直している。

遅いだろうか。

遅いかもしれないけれど、わたしは自分の持っているカードでやりくりしないといけないから、これでいいんだ。

わたしは、自分の年齢に見合っていない服装をしたがる癖がある。

自分が年を取ったことを飲み込めないのは、十代のときに十代らしい格好を楽しんだりしていなかったから、あとから、したくなってきたんだと思う。そのとき、その年代でやるべきだったことをできなかったことがわたしのコンプレックスだ。

わたしは、コンプレックスを減らしたい。

綺麗なものを身につけたい。
鏡を見るたびに老けた自分にぎょっとする。

鏡なんてゆっくり見ていなかった。
プライバシーなんてなかった。

わたしは母親に会いたくない。
そればっかり思う。

わたしは、趣味を始めたい。
趣味と言う単語を聞くと今まで持てなかったことに、後悔と悲しみを感じて胸が押しつぶされそうになるけれど、人生が今始まったのだと思いたい。

周りの人は親の面倒を見ろと、そうでなければ自分が年を取ったとき面倒を見る人はいないと考えろと言ってくるけれど、今母親は元気だし、面倒を見ようとしたらわたしは死んでしまう。

母親の面倒を見ろと言われたので父にも会いにいくのを辞めてしまった。

それでいいと思う。

物欲に縛られないのがいいと洗脳されてきたけれど、物欲あっての人生だと思うようになってきた。

欲しいものがあると生活に張りが出るし、生きていってもいいと思える。

わたしはずっと、そんなことでは生きていけないよと言われ続けてきたけど、そもそも、生きたいと思っていなかった。
早く死ねるなら死にたかった。
だから、生きていけないよ、生活していけないよ、と言う言葉がピンとこなかった。
でも、なかなか死ねないのだ。首を吊っても死ねない。

なかなか死ねないのだったら、楽しく快適に生きたい。
わたしは快適に生きられればいい。

快適に生きるために物欲という目標がなければ、生きている意味がなくなってしまう。

わたしはカメラなんてちっとも欲しくないし、写真の楽しさなんてわかりたくもないし、わかる気もしないけれど、カメラを買おうと思う。

それは、意味のない先行投資になるかもしれないし、無駄になるかもしれないけれど、買おうと思う。

百万円貯めて、400くらいのバイクも買おうと思う。
それは、わたしに扱えないかもしれないけれど、買おうと思う。

無駄だと思う。

無駄だと言われるしそうなんだと思う。

c71の著書

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