母を殺したいけど殺さないでいる

すごい人になりたかったけどなれなさそうだなーと思いました。

すごい人っていうのは、曖昧模糊としていて、なんだか知らないけど賞賛される人っていうイメージです。
有名人とか。

でも、わたしはよく考えたら有名人になりたいわけじゃない。今の暮らしに不満もないです。
父に金銭的援助をしてもらっているのはこれから改善したいところだけれど、好きなネイルをして、好きな髪型をして、好きな服を着て、食べたいものを食べて、静かに暮らすのはとても楽しいことです。
時々友だちに会って、話すのもとても楽しいです。

今日は、ヨガに行きました。ヨガのテーマは、体を強くすることで、ストレスに強い心を作る、幸せを感じるということです。
インドは環境が厳しくて生きるのが苦しい国です。でも、環境を変えるのはとても大変だから、ヨガが発達したそうです。自分を変えるしか選択肢がないから、ヨガをする。

ヨガをすると体が伸びて気持ちがいいです。

小さい頃には体が自分のものという感じがありませんでした。
今この文字をうっていたら、母親に、わたしの体を母の所有物みたいに扱われていたことと関係があったなあと思います。わたしは成人してからも赤ちゃんとして扱われていたので、自分の体の感覚という物を手放していたのです。

わたしは母と縁を切ってから、自分の体の感覚を取り戻す旅に出たのかもしれません。
母と暮らしているときはアトピーがひどく起き上がれないくらい悪かったのです。
それを理由に母はわたしと別れて暮らすことをずっと阻止してきました。
母と縁を切ってからアトピーが劇的に改善しました。
アトピーは母と絶縁したいという体のメッセージだったのだと今は感じています。
主治医も母が私の病気の原因だと言っています。母と別れたら、いろいろな人と友だちになって世間の価値観を学んで、鬱も良くなると言っていました。でも、わたしは母とはなれられなかったのです。それは、母がわたしと離れたら死んでしまうと思い込んでいたからです。母は全然死にませんでした。とても残念です。めまいがするほど死んでほしいと思っています。心から…。死んでほしい…。これ以上わたしに迷惑をかけないでほしい…。

アトピーはわたしと母との輪郭の違いをはっきりさせるために発症したものだったみたいです。でも、母はアトピーを通して、わたしにより侵入的に接しました。具体的には体にべたべた触りました。

鬱病適応障害も不安もパニックも解離も母といると起きました。
母はわたしを虐待していたんだと思います。性的にも侵入的でした。母が娘を性虐待するなんて、わたしも信じられないし、言葉にするのも緊張します。

だから、わたしは体の感覚を手放していたんだと思います。

昔のことを考えると怒りで頭が沸騰しそうになり、すぐにでも母を殺さないといけないと思い詰めそうになります。とても激しい感情が起き、身体的にも臨戦状態になります。わたしができる最大の努力は母を殺さないことです。母を殺さないでいることはとても難しい困難なことですが、殺すためには会わなくてはならないので、それだけは嫌だということでなんとか阻止できるような気がします。

今は幸せで、幸せだと母への憎しみをうっかり忘れてあの人にもいいところがあったのかも、わたしが虐待されていたのは、わたしの記憶違いだったのかもと思います。

でも、わたしはそんなことを確かめなくてもいいのです。
心の中でそっと殺したあの日から、わたしは少しずつ母の呪縛から自由になります。
誰に何と言われても、母にはもう二度と会わないです。

わたしは髪の毛が綺麗だとほめられます。肌も目も綺麗だと言われます。
わたしは中年にさしかかっているのですが、十代に果たせなかったことをしたいのです。
美しく身を飾って賞賛されたいのです。母がわたしに経験させなかった、邪魔して、ひがんで、怒鳴りつけ嫌みを言ってきたことを全部したいのです。反発からではなくて、私の幸せのために。

わたしは心の中で、母を殺したので、現実では殺さなくていいはずです。

わたしはマッサージにもヨガにもピラティスにも行きます。体の感覚を取り戻します。
わたしはわたしのはっきりした輪郭で、わたしの価値観で彩って、鮮やかに生きる資格があるのです。

わたしは世界を豊かにするたった一人の旅人です。

c71の著書

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