愛はわたしを救わない わたしが受けている支援

結局遅れたけれどもピラティスには行きました。その上マッサージに行きました。元不動産やさんで、三十分の料金で、一時間もんでくれ、世間話を一時間して、不動産投資の話で盛り上がりました。マッサージはいいです。不動産も大好きです。不動産って本当に考えていると楽しいです。もっと、良く知りたい…。楽しい…。

遅れても行くようになったのはいいことです。行きたくないときには「疲れてるし」「眠いし」と行かない理由ばかり考えていますが、実際は疲れたら寝ればいいし、眠いのは寝てるからなんです。

長期的な鬱について書きたいと思います。
鬱になると、「頑張れ」と言ってはいけない、なぜなら既に息をするだけでその人は頑張っているのだから…という話は浸透しましたが、じゃあ、何を会話すればいいんだ…という問題が残っています。

ただ、相手の話を聞いて肯定するだけでは、相手の恨みつらみがますます高まったり、自殺願望がますます高まったりしかねません。

頑張れというような抽象的なアドバイスを受け入れることができないくらい、処理が小さくなっているので、身近で、具体的にできるアドバイスを少しずつするのがいいんじゃないでしょうか。
じゃないと、長期化するような気がします。
でも、それはお医者さんがする役目だという気もします。
でも、わたしは、「運動するといいと思う」くらいのアドバイスも理解できませんでした。
その辺りを書きます。

愛はわたしを救わないというフレーズを考えたとき、「おお、かっこいい、これでエントリがひとつ書ける」と思いました。

わたしを一番愛しているのはたぶん母なんだと思うんですが、母はわたしの病状を重くしただけでした。

わたしを回復させてくれたのは、お金と、規則正しい生活と、お医者さんのアドバイスでした。野菜ジュースを飲むとか薬を飲むとか運動するとか朝起きるとかそういう基本的なことです。

鬱になると、アドバイスを受け入れにくくなります。否定的な気持ちになるので、アドバイスが自分を全部否定したような気持ちになって、そんなことを言われたら存在してはいけないのではないか…などと思います。例えば「運動はからだにいいよ」ということだけでも「そんなこと、わたしにはできない。わたしにこんなことを言うなんてこの人はわたしに存在しないでくれと言っているんだ…」みたいに。

でも、アドバイス自体がなくなってしまえば、「毎日布団の中で過ごす」生活を十年続けるみたいなことになって、筋力も下がって太って職歴もなくていいことがないです。そうなっても誰も責任をとってくれません。責任というのは自分のからだでしかとれないものなのです。

だから、週に一回とか月に一回とか安定して、毎日は会わない相手に「運動はいいよ」と言ってもらうことが大事なのでしょう。

わたしが運動が大事だと言われた言葉が頭の中に入ったのは、言われ続けてかれこれ十年経ったころでしょうか。だいぶ長いですね。それまで、運動した方がいいと言われていることに気づかなかったのです。

言葉の意味はもちろん知っていましたし、運動しろと言われているのかもしれないなー、と思っていたのですが、どちらかというと、お前は今のままではだめだと言われているに違いないと思い込んで、言い返してはそんなことは言っていない、と言われてきたような気がします。

その繰り返しで、ようやく、運動すると、朝起きられて、夜眠れて、ご飯を三食食べることができる、その上暇だからという理由で間食することが減っていいことづくめだ、ということがわかったのです。

気がつくのが遅いです。

バカの壁の話とかもしていたし、聞いていたし、わかっていたつもりなのに、自分の中にこんなにわかりやすいバカの壁があったとは…という話です。

そして、お医者さんが、わたしの生活の指導を辛抱強く世間話をしながらしてくれていたのは、愛からじゃないと思うんです。信念だったり、思いやりだったり、仕事だからだったり。そして、お金が入るからという理由ではなかったと思うんです。三十分から一時間、とってくれてましたから。

しかも、その間わたしの話を聞くのじゃなくて、自分の話をしてくれるのですね。
変な人だ…。
象の愛情の話だとか、アベ政権はどうかしているとか、戦争は良くないと思うとか、地震があっても人は生きているとか、すぐに行動した民主党は少なくとも自民党よりも偉い、でも政治家自体が腐ってるからあんま違わないけど、とかそういう話を延々していました。

この先生を苦手に思う人も多いと思います。良くなったと感じない人も多いと思います。

でも、わたしはなんとなくこの人が好きでずっと通っていました。

最初パキシルを処方されて、「うっひょい」みたいな感じになって、妄想と幻覚(みたいなもの)がひどいときとかも、報告して「おお、貴重な話だ」と言ってメモってもらったり、地震のときにアルバイトしていたとき、どういう対策をしたらいいか考えて小論文を書いたのを読んでもらって、それを勧められて地震の専門家に送ったのもいい思い出です。

今でも、会うたびに「で、執筆活動はどんな具合ですか」と聞いてくれます。

わたしの長所を伸ばす作戦なのです。できないことは工夫して、逃げすぎないようにする。

わたしが、母を「虚栄心の強い人だ」と気づいたとき、「ああ、そうだね」といって、「なんだ気づいてたのかよ、言ってくださいよ!」と思ったのもいい思い出です。
「娘を精神科に通わせたくないとか言う時点で虚栄心が強いって気づくじゃないですか…。呼んでも一回も来なかったし、世間体が一番大事で、娘の健康はどうでもいいわけじゃないと思うけど二の次の人なんじゃないですか」とのことです。

気づいていたのに、言わなかったのはなんなんだ、自分で気づくのを待っていたのか、それとも、言っていたのにわたしが気づかなかったのか、どうだったんだろう、わたしの十年を返せ、みたいな気持ちになったのもいい思い出です。

気づいていたら、どうだったのか、という話もあります。

二十代のときに「わたしは自分の人生を生きていない」ということを既に気づいていて、さんざんその話をしていて、「五十代になって気づくひともいるから、今でも遅くない」「気づいたときからはじめたらいい、それしかない」「家を出たらいいと思うよ」と言われていたのに、それが実行できなかったわたしです。「おかあさんは大人なんだから、捨てても死なないし、勝手に幸せになってね、で、いいじゃないですか」と言われ続けていたのに、わたしが出て行ったら、おかあさんは死んでしまう、と思い込んで二十代を無駄にしました。

よく考えたらすごく健康な人だったんですけどね、なんでしょうね、おかあさんが死ぬくらいなら、わたしの人生を犠牲にする!という信念は。

どちらかというと愛はわたしを不幸にしていたと思います。

そして、「二十代のときに気づいていたのに結局家を出なかった、損した」と先生に言ったら「それを気にしてまた十年無駄にするより今からはじめたらいいんじゃないの?公務員とか一流企業に勤めていて、はたから幸せそうに見えても、肩たたきされて初めて、ようやく、俺の人生なんだったんだ…ってなるひともいるし、気づかないで一生終える人もいるし。まだ若いじゃん」
と言われました。
「もう、若くない…」と言ったら、「ボクよりは若い」と言われました。
「先生は地位も名誉も手にしてるじゃないですか」
「ボクはね、毎日椅子に座って、人の楽しくもない、言っちゃ悪いけど、似たような、って思っちゃうんですけど、不幸な話を十時間も聞いていて、足も腰も痛いし、耳も難聴気味になってきたし、ストレスですよ、ストレス。あなたなんか、毎日楽しそうじゃないですか、いいなあ。医者なんてね、結構もうからないもんなんですよ。うちのクリニックだってスタッフの給料も考えないといけないし、開院したときなんか、患者さんいないし、増やしても質が下がるのは嫌だったから、いっぱい患者さんが来ても診きれないし、だから、見切り発車でいずれうまくいくと言い聞かせてやってきたんですよ。旅行に行きたいって言っても、死ぬーみたいな人から電話きたら対応しなきゃいけないし、それで人の命、救っても、外科みたいに先生ありがとうございましたなんて感謝されることなんてあり得ないし、当たり前と思われるし、下手したら恨まれるし」みたいな話をしました。
「でもなあ、いいなあ、地位と名誉、わたし、最近地位と名誉に目覚めたんですよ、あとお金、お金は本当に素晴らしい」
「お金はあとからついてくると考えた方がいいんじゃないですか」
「地位と名誉ですよ!」
「地位と名誉を手にしてどうするんですか…意外と虚しいですよ。県庁に勤めてて鼻が高くなってる連中なんて、何も本質を見ないで書類出せって、先生をいじめるんですよ。もう、書類書きたくない…いっぱいたまってるんですよ。書類書くために時間とられて、意味ない。もう、先生死んじゃう…。死んじゃいますよ…。それよりもあなたの仕事みたいな子どもの役に立って、日本の未来を担うような仕事の方がいいじゃないですか、楽しそうだし。そういう仕事を地に足の着いた仕事っていうんですよ」
「えー…。自慢できないし…」

というような会話を十年間続けている先生は偉いと思います。
愛はわたしを救いません。
医療でもないところの不思議な巡り合わせがあると思います。

c71の著書

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愛はわたしを救わない わたしが受けている支援」への6件のフィードバック

  1. こんにちわ。はじめまして。
    勝手に自分にそっくりだと思ってしまったのでコメントします。
    僕はまだ二十代ですが、愛のきゅうくつさから逃れられないでいます。お金が最高だとか書いていないと母親の世界に飲み込まれそうになります。心から落ち着いたことがありません。
    いつ死んでもいいやって感じでわがままに生きてます。
    まともなコメントじゃなくてすみません、応援してます。

  2. はじめまして!
    コメントありがとうございます。
    わがままに生きるのは最高ですね。素晴らしいです。それを続けてください。
    まともなコメントですよ!
    親なんて捨ててください。意外と丈夫なものです。嘆き悲しんだらそれはその人の趣味なんです。
    一人暮らしするのが一番いいと思います。
    応援されて嬉しかったです。ありがとうございます。
    お金は大事だと思います!自由を作ってくれます。

  3. ありがとうございます。
    半分、一人暮らし状態なんですがまだ迷いがあります。どこかで吹っ切らないとダメですね。
    いくつか記事を拝見したんですが、‥何ていうんだろう?書いてくれてありがとうって思いました。とてもあなたのことが好きです。(もう十分頑張ってると思いますが)頑張ってくださいね。

  4. はわーはわわー
    告白されてしまいました!!!!ありがとう!
    素直な方ですね!
    うおお、書いてよかったです!
    しょんぼりして書きたくないこともあって、一年くらい書かないときもあったんですが、書いてよかったです!
    人と比べたら、水上の範囲では頑張ってないと思うんですが、水面下で頑張ってること(黄色い車を目で追わないとか)はあると思うので、生存に努めます。

  5. はじめまして。今日、ツイッターからこちらのブログを見つけ、拝読いたしました。
    この記事の、
    >そうなっても誰も責任をとってくれません。
    >責任というのは自分のからだでしかとれないものなのです。
    >「おかあさんは大人なんだから、捨てても死なないし、勝手に幸せになってね、で、いいじゃないですか」
    という文章が、ほんとに痺れるほど素晴らしいなあと思ったので、コメントさせていただきました。
    c71さんの考え方や言葉遣い、なんだか好きです。

  6. こんにちは
    好きになっていただいて、ありがとうございます。
    親との距離は難しく、勝手に幸せになって出いいなーと思っています。

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