バブルはじけました

最大で、一日二万ビューを記録してからというもの、だいたい五千ビューをうろちょろしていた、わがブログですが、とうとう、今の時間で1000以下になりました。

これをもって、
犯罪被害と自衛の精神論 – ある精神病患者の一日
自分らしく生きることになんの意味があるのか – ある精神病患者の一日
 バブルは幕を閉じたと言っていいと思います。

なんだかさみしいような、でも、これで、立派な記事を書かなくても良いからほっとするような気持ちになりました。

わたしのブログはそもそも、精神病患者が書いている日々の記録なので、たいそうなものを書いていたわけではなかったのです。これからも基本は病識の管理(特に軽躁)をするために使うと思います。

ただ、軽躁のときのブログを書く面白さはやっぱり他のものとは代えられないし、買い物をしてしまう問題行動に比べて、軽躁のときにブログを書いて紛らわせるというのはやっぱり良い対処方法だったと思います。

わたしのブログも開設以来十万ビューを越えました。
ありがとうございます。この一ヶ月で、一日二百ビューから、一日悪くても二千ビューに変化したのは、単純に言って、十倍なので、プレッシャーは大きかったです。

でも、おすすめブログになろうと、ツイッターでバズろうと、慌てず騒がず、くだらないこと、つまらないこと、ネタに消化しきれないバラバラとした雑感を書いていこうと思います。

まとまっていてもいなくても、書いていこうと思っています。

それと思ったのですが、わたしは幸せでもなく不幸せでもないということです。

ああいう記事を書いたために、確かに波瀾万丈な人生の一部が表に出されましたが、それは一部のことです。それに、誰にでも、ああいうことは多かれ少なかれあるのだと思っていると思います。
わたしにとって、病気だということは、最近はそれほど大きなことではなくて、工夫していけば良い、と思っていますし、生きるにあたっての障害としては、比較的小さいと思っています。工夫で補いやすい障害かなと思います。

なぜなら、病気の過程で、わたしは、散々鍛えられたからです。

人生への見方は、普通の「大学でて良い企業に就職して、結婚して、子ども生んで」コースが必ずしも自分にとっての幸せじゃないことがわかって、変わりました。自分には実行できないということに対して、それなりの悲しみはありましたし、人生から落伍したと思いましたが、そもそも、人生から落伍したとはなんぞや、わたしは、弱い人たちへそんな思いを抱いていたんだろうか、という気持ちに取って代わりました。普通ができない人のことを今までだって、悪く思っていなかったのだから、自分がその一員に加わったからって、それが特別なことだと思うのはおかしいんじゃないだろうか?

今では、経歴よりも、実際にお金稼ぐ量が大切、と思い始めています。
お金を稼ぐと自己肯定感が強まります。
自己肯定感が強まると、良いことばかり起きます。
健康になるし、人にも恵まれるし、良い仕事が舞い込みます。
自己肯定感が弱まると、泥棒が集まるし、悪いことばかり聞かされるし、利用されるし、良いことひとつもありません。

わたしは、結構恵まれた生活をしていると思います。
昼間は時間があって昼寝もできるし、朝働いて夜働くというイレギュラーな生活も、人によってはうらやましいと思います。
収入も安定する見込みはないですけど、年収ベースで考えたら、非正規で暮らしているにしてはまだ悪くないんじゃないかと思います。

年金も欲しかったですけど、年金なしでも暮らしていけそうだし、時期外れに一週間も休みを取って海外旅行にも行っているし、まあまあ自由に生きているんじゃないかと思います。
映画も好きなときに観に行けているし、結構、幸せなんじゃないかな、と思います。

c71の著書

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