悲鳴を上げることすらできない

ネットと世間に流れる「少女はなぜ逃げなかったか」に答える:岡山小6少女誘拐監禁事件被害者保護のために(碓井 真史) – 個人 – Yahoo!ニュース
これを読んで、わたしなりに補足できることがあるかなと思って書きます。

犯罪被害と自衛の精神論 – ある精神病患者の一日
これを書いたときに、「普段から自分はもっと気をつけている」「退路をいつも気にして過ごしている、そんなのは当たり前じゃないか」という意見をもらいました。「背後から来ると思うのは当たり前、エレベーターで後ろにひとが来ないようにするのは当然」という意見もありました。

わたしが書きたかったのは、個々の事例ではなくて、病的に、世界に対する信頼感を失ったということです。個人個人が気をつけるのはご自由にと思います。

ただ、子どもにはそれができません。そして、期待してもいけないと思います。
教育することはできます。ただ、彼女たちには責任能力がないのです。身を守ることができないのです。

そんな中で、被害者はよく頑張ったと思います。
こわくないわけがないと思います。

わたしの経験から言うと、襲われたときに声は出ません。のどの奥がしまった感じになります。
おそらく、ナイフを突きつけられたときには、彼女は声が出せる状況じゃなく、「どう生き延びるか」まで考えていたのではないでしょうか。

十歳のとき、わたしには自分の性的価値があることを知りませんでした。それでも容赦なく、男性の大人は、わたしの性的価値を搾取しにかかりました。そして、わたしはその被害を理解したのは大人になってからで、トラウマに悩まされました。

十歳の彼女は、生き延びるためにすべての感覚を封じたと思います。だから、くつろいで、犯人の言うままに過ごして、波風を荒立てないようにしたのだと思います。

十歳と言えば、かなり物事を理解します。難しい本も読みます。わたしは十歳のときには法律の専門書を読んでいました。知的にはかなり洗練されていました。ただし、情緒面では、成長しきっていませんでした。

彼女は、命は助かりましたが、世界に対するおおらかさを失ってしまったかもしれません。そのことを思うと、彼女がこれから乗り越えるべき大きなものに対して震えます。
犯人は、彼女から大事なものを奪いました。ひとが自分を殺そうとするという目にあったのです。ナイフを突きつけられるという経験は、世界に穴があくような経験です。彼女は、自分自身に、性的関心を向けられていたこと、肉体や人生や、彼女の輝かしい時間が簒奪されようとしていたことを、知るでしょう。既に知っているとは思いますが、それがどういう文脈であったのか、その本当の価値を、長く生きるに従ってゆっくりと知っていくでしょう。

理不尽な目にあうとのどの奥が縮小して、声が出ません。そして、声を出したせいで、傷つけられるかもしれないという危惧もあります。

今回は、被害者の方の機転で、命が守られましたが、この幸運が、次もあるとは限りませんし、今まではそうでした。

ネット上では、彼女がなぜ逃げなかったのか、理解できないという声があることを上記のリンクで知りました。
それらの疑問を発するひとは、加害者と同じ発想をしています。犯人は殺しさえしなければ、彼女の人生を奪いさっても、罪はないと考えたのでしょう。それどころか、救ってやるとすら思っていたのでしょう。
これほど身勝手で恥ずべき発想はありません。彼女の人生は彼女のものです。
それをはき違えるひとたちは、すべて、加害者サイドにいます。
それは恥ずべきことです。

大人のわたしがならったことは、「ここは危険だ」と少しでも思った場合は、その場を離れるということです。
雰囲気を壊したくない、相手の気持ちを害したくない、と思う気持ちを捨てるということです。
たったそれだけのことでも、大人のわたしにすら難しいです。
犯罪を起こす方には、たっぷりと準備する時間があります。
被害に遭わないようにするのはとても難しいことです。

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悲鳴を上げることすらできない」への4件のフィードバック

  1. 同感です。自分は大丈夫なつもり、というのは非常に危険な無関心と経験、想像力の欠如だと感じます。
    今関わりがないことだからこそ、出来るだけ冷静に客観的にとらえるべき。大変な体験を踏まえての記事、敬意を表します。

  2. コメントありがとうございます。
    気をつけているから大丈夫だとか、自分も被害にあったから、とかは、あまり意味がないと思いました。
    被害者の気持ちに寄り添えなければ、自分もあった、というのは、ただのマウンティングで意味がないと思います。寄り添うことが大事です。

  3. ほんとうに、被害者の心情を考えると身につまされます。自身の性が欲望の対象となる事にいやおう無く気づかされるのは、特に子供にとっては大きな試練だと思うから。
    かどわかされてから比較的早い段階で見つかったのはよかったと思うけれど、これから外部の世界との折り合いをつけて、どの程度まわりを警戒して生きていけばいいのか模索していかなきゃならないだろうから、これからが被害者にとって大変だろうなとも思う。

  4. 被害者は、最初は平気だよ、みたいな漢字だと思うんですが、時間がたつに連れて、恐怖に陥ると思います。わたしの場合はそうでした。物音がこわかったり、ひとがこわかったり。
    どのくらい周りを警戒すれば良いのか、指針が全く立たない状況って苦しいんですよね。
    これからまわりが支えないといけないと思います。たいへんなことです。

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