人権、搾取、虐待

コメント欄を見ていると、人権について、理解を間違っている人がいるのだと思うようになった。

また、わたしに対して、甘えてくる人たちの中には、女性から虐待、搾取をされていて、その虐待してきた女性を強いと思ってしまったのだと思う。そして、強い女に見える「フェミニスト」を虐待者と重ね合わせているだけだ、という可能性もあるなあ、と思うようになった。

そのへんが未分化なんだと思う。本当に、つらいんだろうな、と思う。
それはつらい。自分に何が起きたかわかっていなくて、誰も支えてくれなくて、支援してくれるところにも繋がれなくて、男性だとそもそもそういうところがないし、訴えることもできないし、それくらい我慢しろよ、と言われてしまうだろうから、きっと傷はいつまでも癒えない。

それは、フェミニストに対して、怨念を抱いている、というコメントを見てそう思った。

わたしの文章は平易だから、絶対にわかるだろう、と思ったエントリで、わけのわからない絡まれ方をしたとき「わかった上で、受け入れられないから、ごねているのではないか」という意見をもらってなるほどそうか、と思った。

みんな、甘えたいんだね。

人権を説明する。
人権は国に対して生まれながらに請求できる権利のことです。だから、義務は伴わないのです。
国って言うのはろくでもないものだから、国民が縛り上げていかないといけない。監視しないといけない。

そんで、国がバカなことをしないように、そして、最低限国はこれをやれよ、というのが権利です。だから、義務はむしろ、国にあるのね。

そんで、国は、人権を保障するんだけど、その人権の中に「セックスする相手をあてがって、結婚させる」というのはないのね。それは、相手の人権を、削っちゃうからです。あてがってもらった人はハッピーかもしれないけど、あてがわれた人は、「うーん」みたいになっちゃうから、誰かの権利を侵害するような要求は国にはできないのです。

法律って国を縛るものです。明文化して、これをしたら、こう罰しますけど、これ以上の罰を国が勝手に決めてはいけない、って。じゃないと、自由奔放に拷問したりするからね、国。そういうのを避けるんです。今でも自由に拷問してて、国連から勧告を受けているけどさ。

そんで、アンチフェミニストを名乗る人って、身近な人から、搾取や虐待されてて、でも、それを話す言葉とか、理論とかがなくて、だから、フェミニストって、目立つ女を、女の代表みたいに思って、それで、搾取した人に怒りが向かないで、いっぱいコメントしたり、いやがらせみたいなことをしちゃうんじゃないかと思った。

アンチフェミニストを名乗る人の中に、虐待されていた人がいるんじゃないかなあと思う。

なんでかというと、自己肯定感が異常に低いから。
推測はいけないと思うんだけど、好意的に思いたいから。

男性が女性から搾取されるってことはあると思います。
そんで、フェミニストはそういうひとの敵じゃなくて、そういう人も助けたいと思ってる。

なんでかというと、男は強いものだ、という価値観にも反対しているのが、フェミニストだから。
そして、強いものが弱いものを搾取することを許さない、って言いたいのもフェミニストだから。
女性の権利は優先になってしまうけど、男性が搾取されて、それですごくイイ!とは思っていませんよ。少なくともわたしは。

だから、わたしは、虐待されていた自分を語るところから、はじめて欲しいと思う。弱者男性と名乗る人にそれを望む。
そうしたら、寄り添う人も現れるはず。
言葉がないから、攻撃になってしまって、本当に訴えたいことからずっと離れてしまうから、それでいて望みを叶えてくれないフェミニストを恨んでしまう、ということは、本当に虚しいと思うから。

だから、語ってほしい。
生きづらさを。
どういうことがあったのか。
具体的に。
それは、あなたを自由にする。
呪いから解き放たれる。
わたしもそうしている。
わたしは自分の呪いを解きたい。

甘えられても困るわたしがいる。
けれど、ともに歩めなくても、きっと同じように歩んでいくことができる、そんな淡い予感を感じた。

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人権、搾取、虐待」への6件のフィードバック

  1. 恋愛における格差は、経済的なそれとは異なり
    「あてがう」ことができない、なぜなら対象が人間だから、
    というのはその通りです。
    だからこそ、わたしは呪詛を吐くことしかできません。
    解決が不可能なのを知っているので。
    そして「ともに歩める」といった淡い予感なども一切存在しません。
    今書いたように、普通に恋愛できるあなたと恋愛できないわたしでは
    決定的に埋められない差があるからです。

  2. 自分から書き込んできてそれはないんじゃないですか?
    呪詛を吐くだけじゃないですよね、
    わたしのブログにコメントするのは、呪詛を聞いてくれってことですよ。
    女のわたしを選んで呪詛を吐くのでは、精神的痴漢と感じます。セクハラです。

  3. 人権についての説明がとってもわかりやすかったです。ありがとうございました。

  4. いつもは独自の平易な文章で綴ってくださるのに、こういう話題になった途端、教条主義的な凝り固まった言葉になってしまうのが残念です。
    私自身、自閉症スペクトラムなので、それなりに嫌な体験を重ねてきて、生きづらさを抱えていますが、 それをいわゆる「うんどー」の言葉で表現したといも思わないし、運動の概念で代弁してほしいとも思わないです。
    フェミニズムは「男も女も解放」と言うけれど、僕はむしろ、解放とか桎梏とか、そういう運動の語彙の重苦しいニュアンスから解放されたい。それが自由なんだろうと思います。

  5. コメントありがとうございます。
    そうですか。
    わたしは思うので仕方がないですねー

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