常識との攻防

音楽を聴いている。珍しいことだ。今度音楽を聴く機械が欲しいなあと思います。

常識はわたしを責めるものだと思っていました。

彼氏が「人間が快適に過ごすための約束事」と言ってくれたので、「常識がわからない人を責めるための道具」という認識を改めようと思います。

わたしは、常識が恐ろしいし、自由でいたいと思います。

そして、常識を使って、人を裁く人にならないでいたいと思います。

だけど、常識を便利に使うことと、常識のないところで自由に過ごすところは、両立できるんじゃないかなあと思いました。

母は、エゴグラムをわたしにやらせて、フリーチャイルドが低くて、順応性と、支配性と、論理性が高いから、ダメなんだ、フリーチャイルドを高くしないとね、と言っていました。

母なりに、わたしを良くしようとしていたのだと思います。でも、今思うと、フリーチャイルドが低くなるような育て方をしたのは誰だと思うし、自分に責任はないのか、とも思ったし、フリーチャイルドが自由になるような環境じゃなかったから、家を出てからフリーチャイルドも成長しました。

わたしは、育って来たフリーチャイルドを封印するのがいやで、常識をシャットアウトしているんだと思います。

でも、「常識=彼氏」という構造を考えると、常識はそこまで恐れなくても良いんじゃないかと思います。

自分を変えたくないです。今の自分はせっかく獲得したものだから、元に戻るのがいやなんです。

でも、暖かい服を着ることが、常識で、快適にすることが常識なんだったら、ちょっと歩み寄っても良いかなあと思います。

知りたくない常識は知らないままで良いかなあと思います。

わたしはとっさに、言葉がうまく出ないときがあります。場面にふさわしい言葉がわからないで、とにかく「ありがとうございます」と言えば、丸く収まるように思っているのです。

そういう風にソーシャルスキルが低いです。

でも、常識を知れば、常識がある程度わたしを守って、人をわたしの内側に入らせないですむ効能があるように思いました。

だったら、自分を殺さない範囲で、常識を知っていくのも良いのかもしれないと思います。

彼氏は常識的な人です。だから、彼氏を恐れないように、わたしが彼氏を受けれることができるように、常識にも寛容になりたいと思います。

それが、わたしにどんな影響を及ぼすかわかりません。

でも、勉強すると世界が広がるように、常識を知ったら、世界が広がって、不自由が減るかもしれません。

これは大きな挑戦です。恐ろしい気がします。

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