考えと気分

前から思っていたことなのだけれど、わたしは考えるとき、考える振りをしているだけだ。

考えても結論は最初から決まっている。それを納得させるために、手順を踏んで、それまでの道をわかるように指し示すのだ。

結論はいつでも、うっすらと出ていて、その方向に結論が導きだせるように考えている。
その結論は、気分が決めている。
人を信頼できるか、という命題があったときに、信じられない、と結論を出すことも、信じられるという結論を出すことも可能だ。どちらも不合理ではない。
それは気分が決めている。

論理的に、人を信じられない、という結論を説得力があるように述べることもわたしにはできる。
そういう気分だったり、周りをそういう気分にしたいとき、そうするだろう。

現実はいつでも観測者の視点によって揺らぐ。
何を見たいのかその側面を、どのように見てどのように評価するのかが、結論よりも大事な点だ。
(だから、小論文を書くときには結論をとにかくにも決めてから書くと早く書ける。そうなるように道筋を決めれば良いから)

論理的思考も大事だけれど、気分を整えることも同じように大事で、そうでなければ、間違った結論が出ても気がつかない。

論理的思考とは訓練が必要だ。何がどうなってだからこうなると、人にもわかるように説明しなくてはいけない。
それは、親切でしていることだ。
他人や自分自身に説明するために、考えているのだ。

新しい発想をしたときに、自分でも驚くけれど、本当は自分の内部に、露がたまって落ちるように、それまでゆっくりと準備していたことが、発露したということ。

人は、言葉よりも早く考えられる。
言葉は、未来の自分や、周囲に説明するためのもの。忘れてしまうときのために用意した道しるべ。

そして、さらに、リニアに考えるだけでなく人間は飛躍してものを考えることができる。
それは、よくも悪くも感情に左右される思考だ。

そのとき、真新しい断面を見ることができる。

発想の転換や飛躍には個性が出る。そこに知性が現れる。
考える練習の成果は、論理的思考ではなくて、飛躍のときに現れる。豊かな考えをする人には、豊かな飛躍が現れるし、貧しい思考の持ち主には貧しい差分が現れるだろう。

結論を変えるためには、気分を変えることが大切だ。気分を変えるためには環境を変えること、体調を整えることが大切だ。
それには知性が必要だ。

豊かな知性とは、小さな差異から喜びを見つけ出す手法のことである。

c71の著書

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考えと気分」への2件のフィードバック

  1. うつ病者の方がそうでない人に比べて正確な判断をする、という話を聞いたことがありますが、
    長期的に見て落ち込んだ気分の中でシビアな判断をすることは「論理的ではあっても本当に正しい判断とは言えない」のかなあ、とこの記事を読んで思いました。

  2. コメントありがとうございます。
    シビアに見た方が良い局面と、不断過ごす中で楽観的に判断した方が良い局面とがありますね。
    そして、気分を変えるために大きい決断をして環境を変えたくなるのもくせ者です。。。

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