マサキチトセさんの講演会「働くLGBTのホンネ」に行った

なかなかない機会なので、マサキチトセさんの講演会に行った。
最近個人的に「マイノリティは人を成長するために存在しない」ということをもうちょっと煮詰めて考えたいなと思っている機会だった。

楽しかった。知らないことや基本を教えてもらえて、気分がすっきりした。

ダイバーシティとは、取り組むものじゃなくて、取り戻すもの。
わたしたちは、集団で社会を作っている。
その中に、「徴」をつけられるもの、つけられずに済むものが分けられる。
複数のしるしをつけられる者もいる。そういう人たちは複合マイノリティという。
数で言えば、有徴の数のほうが多く、無徴の者の数は少ない。
マイノリティという言葉は、数の多寡ではなく、力を持っているかどうか、で分けられる。
有徴の者は、周縁、つまり、集団の恥に寄せられる。

ダイバーシティとは、優しくして受け入れることではない。
すでに、ダイバーシティはどこにでも存在している。しかし、すでに存在しているものを、見えなくして、端に追いやる力が働いている。

それが、ノーマティビィティである。
nomativityとは、nomal、規範から来た言葉である。規範とは、普通じゃないものを周縁に追いやることである。
ノーマティビィティは、減点、脱落方式。だから、少し何かあればノーマルではなく、有徴だ、ということにする。

ノーマティビィティの表れ方の一つとして、履歴書がある。名前で、性別民族人種が分かる。
写真で美醜が分かる。若さもわかる。
ノーマルから引き離される。それが生きづらさを産む。

LGBTとはLGB/Tなのだ、という話を聞いた。
前者は、性的指向である。性的指向とは、他者に向かう欲望である。それは、相手の自認や体に関わらない。

Tは性自認である。自分に向かう認識のことである。

ところで、同性愛、両性愛、無性愛、全性愛、非性愛、班性愛、など分類やカテゴライズに限界が出てきている。
これは、わたしも疑問に思っていたところだ。

人は、カテゴライズされるために生きてはいないから、その中間、さらに中間、というように、スペクトラムが存在する。
だから、カテゴライズには、問題があると思っている。また、カテゴライズというのは、一般的に、「権力を持つ側」がするものであるから、そのことにも問題があると思っていた。

それにも、触れてもらえた。

無徴の人が、有徴を名づけていた。だから、無徴にも名をつけた。無徴も、当事者だということだ。そうして、シスジェンダー、ヘテロセクシャル、という言葉が生まれた。分類には、誰もが入ることを示した。

同性愛、という言葉が生まれた背景には、結婚、家庭、生殖をパッケージ化した、1830-1860年ころに起きた、近代化の動きがあるそうだ。
差別を求めて、「あの人たちはおかしい」ということを示すためにできた言葉だそうだ。
それまでも、もちろん、男好きの男や、女好きの女、いろいろいただろうけれど、はっきりと分けられていなかったそうだ。
性的な欲求が、人間としての、大きな特徴とされた。
本当は、人間の一部分にすぎないのに。

LGBTは、流行の枠組みというだけで、人の生を理解するには、限界がある。LGBTは特に目立って、差別を受けてきたカテゴリーだから、歴史や時代によって変化しうる。

マイノリティでも、嫌っていい。それは、ある人が嫌いだとして、そのある人がマイノリティだから、嫌ってはいけないか、ということじゃないという意味。
ただ、差別心がゼロじゃないか、疑うこと。

トランスは中小企業に多い。転職も多い。トランス女性は、転職が16%高い。

心のありようだけじゃなくて、社会の問題でもある。

LGBTを知った人も、サポートを必要としている。ただの無知、バカと切り捨ててはいけない。
(わたしは切り捨てているので、ちょっと反省。でも、知る気もない、知ろうともしないで、勝手に危害を与えてくる人のことをどうすればいいのかわからない。今のところ、バカだから理解できないのだ、と切り捨てることで、わたしはわたしを保っている)

嫌がらせの内容が、理由とずれているときがある。
それは、「ゲイだから気持ち悪い」と言っている人でも、実際にはほかのことで、その人を嫌だと思っていて、「ゲイだから」という言い方になっている場合もあるということだ。
だから、簡単にはいかない。

イメージが凝り固まっていて、見落としがある。知識はいつも不足している。現場の当事者も、わからないことはたくさんある。
知らないからダメ、ではなく、知らない自分を受け入れる、知識を埋めることが大切。だが、勉強だけではなく、一人一人の信頼関係と対話が大切。

信頼関係がなければ、打ち明けられることもない。周囲に、マイノリティがいない、そんな人はいない、と言っている人は、単に打ち明けられるほど信頼されていない可能性がある。

1967年、ゲイ、トランス女性、セックスワーカーのライツ運動があった。
1972年、進展した。
だんだん、ゲイ男性が私物化し、メイン化した。

そもそも、女、男しか、カテゴリーがないのは?

トランスジェンダーとトランスセクシャルの違い。
トランスジェンダーのほうが、いろいろ含んだ、大きな概念であり、枠組みである。

GID,性同一障害との違い。
これはトランスジェンダーとは、性が自分の生まれたときの性別と違うという「状態」であるのに対し、GIDは「疾患」であるということ。
これは、医療従事者に対して、理解してもらうための手段であった。
法律上、対処してもらう時に、便利だった、ということ。

質問タイムの時に出た話。
語らせられる暴力、というものがある。マイノリティの利用。語りたい部分もあるが、どうして、当事者が負担しないといけないのか、という問題がある。

かといって、ほかの分野についての当事者の話を自分自身も聞きたい。そして、何もしないわけにもいかない。
(そうだなーと思った。よくこれは思う。なんで、説明しなきゃいけない?と思うこともあるし、言いたい!って思う時がある)

プライドパレードについては、お金がいるから、商業化はやむを得ない部分もある。加害者でもある(これ、なんでだったかわ忘れました)。パレードの恩恵もある。

差別を見たとき、笑って流せるのは特権。差別されたとき、見逃してしまうと、同じ属性の人に影響がある。
流せるとしたら、その属性じゃない、だから、逃れられるため。逃れられる、ということは、それ自体が特権である。

一番核心だと思った質問は「人はなぜ差別するのか?」
差別される理由は考えなくてもいい、という意見。

わたしはアイデンティティの確立のために、やっているのではないか、という意見を出した。
理由はない、ということに落ち着いた。
でも、本当になぜ?と思う。

楽しい講演会でした。


レールに乗るかどうかは、メリットデメリットで決められない

人生は一度だから、どれを選んだほうがよかったのかを、同時に比較検討することができない。
ああすればよかった、こうすればよかったといくら思っても、あなたも、わたしも一人しかいないので、同じ人間をどのような道で分けるとどのような変化をするのか、比較することができない。
というのは、入院したとき、精神科医に言われた言葉だ。
学校が辛いあなたのためのお話

借金玉さんのブログのこのエントリについて。
わたしは、全面的にこの文章に反対で、そして、なぜ多くの人たちの賛同を得ているのか、さっぱりわからない。

死ぬくらいなら、学校に行かなくていい。そんなのは当たり前だ。
でも、雑すぎる。

メールで死にたいといわれて、何か言ったくらいで、相手が死なないなら、何もみんな困りはしない。

人間は、未来のことについて、正確にメリットとデメリットを、比較する能力はない。
今の時点で、わかっているメリットとデメリットを羅列して、数えて、比較することくらいしかできない。

わたしは、学校でいじめられたこともある。小学生のころ、持ち物を捨てられたり、投げられたりした。
高校の時には、精神疾患や肉体的な疾患が悪化して、二年生と三年生のころ、三分の一しか投稿していなかったような記憶がある。

大人になって学校に行かないデメリットが、子供を教えるようになって見えてきた。
「人間関係を構築する能力が育ちにくい」それに尽きる。
人は複雑だ。複数の人がいるところとなると、非常に複雑になる。
大人になって、一見、人間関係が楽になったように思えたとしても、それは、今までの蓄積があるためだ。
大人になると利害関係がある。騙したり騙されたりする。
女性だったら、食事に行くだけでも、犯罪に巻き込まれる危険がある。そういう危険をかいくぐりぬける能力は、子供のころ培われる。

学校の教育の質が低いと借金玉さんは言う。そうかもしれない。
しかし、一度でも、学校で授業をみんなして受ける、というのは、学習において非常に大きなアドバンテージとなる。
全然わかっていなくても、クラスメイトと一緒に授業を聞いた、という体験があるかないかで、もう一度勉強しなおす際に、それは大きな差となる。実際のところ、どんな単元があるか、どんな順番で教えられたのか、それを知っているのかどうかで、自学に差が出る。

独学のデメリットは、秩序だって知識を並べることができないところにある。好きなところをつまみ食いしても、それはバランスを欠いたものとなる。統合することが難しい。
子供が自分なりに学んだり調べたりした後、それを評価する大人がいるかいないか、それによって、独学の質は大きく異なる。

全くの独学で勉強することは不可能だ。

わたしは、小学生のころから法律書を読んでいたが、大学のころに学んだことと、質は桁外れだった。場当たり的に選んだ本を場当たり的に解釈しても、正確な法律解釈はできるようにならなかった。
大学で、理論を学び、運用を学び、そのうえでどの本を選んで読めばいいのか、読んだ本を使って発表をして、それをレビューされることを繰り返すことで、学習の質を上げることができた。

わたしは、いじめられたとき、まず武力で解決した。

集団で相手が向かってくるとき、幸い教室だったので、武器がたくさんあった。一番弱そうな相手を選ぶか、リーダーを選ぶか、それは好みの問題だが、再起不能になるまで、攻撃した。
机を蹴り、ドミノ倒しにして、退路を塞いで、椅子で殴った。相手は戦意を喪失した。そのあとも、陰湿ないじめは続いた気がするが(観察眼がないので、あまりどれがいじめなのか認識できていなかった)、表立ったいじめはなくなったように思う。
もし、腕力に自信がなかったら、わたしは窓ガラスを割って、注意を引いただろう。学校全体の問題にすることが大切だからだ。

それでも、さらに、いじめがやまなかったら、校長に伝え、改善されなかったら、教育委員会に掛け合い、さらに訴訟を起こしただろう。そして、地元のメディアに連絡をしただろう。もし、自分の子供が同じような目に遭ったら、そういうことを勧める。
もしくは、保健室登校、支援級、支援学校などを利用する。
それでもだめなら、フリースクールを探す。
学校の先生すべてが、一人の生徒を見捨てることは、あまりありえない。ないとはいえない。

わたしは疑問だが、どうして、「戦い方」を教えないんだろう。
いじめは権利の侵害だ。だから、それを取り返すために戦ってもいいのだ。
逃げ方、戦い方、両方を伝えないと、片手落ちじゃないのか。

借金玉さんは、結局のところ、レールに乗っている。中学にも高校にも行き、部活にも入り、友達と支え合って受験勉強をしている。それは、学校で知り合った友達であり、勉強をした場所は学校である。もし、学校の授業が全く役に立たなくても、未成年者が無料でいつでも集まれ、話し合いながら勉強する場を与えられていたのは大きかっただろう。
学校にある備品を利用したこともあっただろう。

学校に行かない、ということは、それらとの接続を絶たれるということだ。
中学生が、いくら考えても、そのデメリットとメリットを比べたとしても、まだ知らないことを考えることはできない。

境遇を甘受したものが、それをいらなかったというのは、無責任だ。

学校に行かない、という選択肢の前に、いくらかの選択肢がある。
学校に行かない、という選択肢の後に、いくらかの選択肢がある。

また、もう一つ言いたいことがあるが、偏差値の低い学校に行ったら、人生の終わりとでも言いたそうな文面があったが、決してそうじゃないと書き加えておく。幸せをどのように定義するのかにもよるが、当然、偏差値の低い高校に入る生徒、大学にいけない人、たくさんいるが、だからといって、幸せから遠ざけられるかというと、まったく違うと強く言いたい。

人生は、多様で、価値観も多様だ。
学校にいけない、いかない、それだけだって、二つには分けられない。たまに行ってみる、環境を改善してもらう、環境を変更する、など、いろいろな対処法がある。
それを示すのが大人の役割だ。

追記
失敗してもいい、フォローするから選んでね、というのが親含む大人の役割だ。
あと、自殺をほのめかされたら誰でも困るんであって、ブログに書くより、相手の親に連絡を取るか、相手と対話するか、最初から反応しないかがいいと思うけどね。


特権性や周縁性について語るとき、わたしは引き裂かれる

この記事は下記の読書会に向けて、準備として、書かれたものだ。

feminism mattersスカイプ読書会のお知らせ
この読書会に参加した。結果として、わたしとしては、ストレスで耳が遠くなってしまって目覚めた。
もちろん、ほかの参加者の方には有意義な会だったと思う。
ただ、わたしにとっては、しんどかった。

特権性や周縁性について語る、ということは、アンビバレンツな性質を持っている。
それは、このような問題を語りうる、という時点で、特権性があるということに他ならない。
情報にアクセスできるという意味で。
また、その反面、このような問題について考えなくてはいけない立場、というのは、それ自体が周縁だということを示してもいる。

読書会のテーマには、「特権性と周縁性」がキーワードになると思って準備していた。
わたしの特権性は、
「大学で学問をしているがゆえに、アクセスできる情報や、処理、そして、発言力がある」ということ。
「ある程度経済的に恵まれていること」
「子供のころからフェミニズムに触れていたこと、自分なりに戦ってきたこと」
「オープンにしていられるということ」「シスジェンダーであり、ヘテロセクシャルであること」
「日本人であること」
があると思っている。
反対に、周縁性では、
「障碍者であること」「障害や、被害を受けた経験から、人の多いところに出られないがゆえに、デモに参加することが難しいこと。そのためいわゆる数に数えられないこと」「東京中心主義ではないこと。これは、あらゆる運動が抱えている問題でもある」
「もちろん、女性であるということ」「性暴力や被害を受けていること」
が、あげられる。

わたしは今、一日長くて五時間程度しか起きていられないから、活動内容は非常に限られる。
何かしようとしても、体が動かない。
それは、個人的な問題であり、社会的な問題でもある。
このような人間でも、参加できる何か、というものが、あるかどうか。

インターセクション、というのは、様々なアイデンティティがある中で、どうするのか、ということを話すべきだと考えていた。
そのため、自己紹介でもそうしたし、最近の運動体が抱える問題について、どうしても、特権性の高い人たちが主導するがゆえに、少数派の中の少数派の意見がかき消えてしまうということを話したかった。
数になれ、というのが、シールズに代表されるデモの主張だったし、そして、わたしはそれに相容れない。
もちろん、シールズが掲げたことは、目標として、大切なことだと思っている。しかし、大義のために小異を捨てろ、というのはどうしても首肯できないのだ。
わたしは、わたしだからである。そして、大義のために小異を捨てろということの積み重ねが差別につながるからである。
少数派はずっと順番待ちをしている。
そして、大義は、特権側がずっと持ち続け、大義を選び続ける。
結果、少数派にチャンスは回ってこない。永遠に。
小異を捨てた結果、特権側には、少数派が小異を捨てたことさえ、目には見えなくなるからだ。
小異が無価値になる。

人にはそれぞれの経験があり、考えがあり、蓄積されたものによって、出力される考えが異なる。それを一致させることは難しい。
それを共感で埋めようとする人もいるが、わたしはそれに反対だ。
なぜなら、共感される人だけを救い、そうじゃない人は放っておく、という結果になりがちだからだ。
どうしようもない人を、どうしようもないまま、守る、という態度が、反差別において必須である。
それが権利というものの性質だからだ。

また、わたしのように、一般的に共感と言われる機能が、脳にない人間もいる。わたし自身は、わたしなりの共感があると思っている。でも、たぶん、わたしから見る、ほかの人の共感と言われるものの多くは「差異をうやむやにして、平和裏に物事を推移させるための、対話をなくすためのもの」であって、それは、特権性の高い人の声をより大きく保つ機能があると思っている。
わたしには、それはない。
ない、というか、理解はできるし、実行もできるが、それをどうしても、気持ち悪く思う。

今回の読書会の目的は、特権性について、自覚することも、おそらく大切なことだったと思うが、共感しながら話す、という態度が目立ったために、結果的に、特権性を温存してしまう、ということになったと思う。
そもそも、こうした、差別問題にかかわるときに、共感することで相手を認める、という態度が取れる時点で、それはかなり特権的なのだ。認めることができる立場、という点で。
また、共感を求められる性別役割分担に乗らざるを得ない、という点でも、やはり問題だった。相反するようだが、女性だから、共感性を高く求められる、というのも、フェミニズムが戦うべき課題の一つである。
共感することで、場を流すことは、特権でもあり、被差別の結果でもあるのだ。

心地よい空間を作ることと、フェミニズムは、相容れない。
しかし、人が集団になったとき、人は、心地よい場所を求める。
わたしにとって、心地よい場所とは、「いつでも反論でき、議論でき、場の空気を読まなくて済むところ」である。
もちろん、そうでもない場合もあって、「自分の話を受け入れてもらい、自分の話を聞いてもらい、肯定し合う場所」ということもある。
後者は、いくらか、問題をはらんでいる。
それは、同調圧力として機能しがちである。また、内部の批判を機能させにくい。
同調圧力の結果を、無意識に甘受できる人というのは、その集団の中で、特権的である。
その、同調圧力によって、いうことを選ぶ人、というのは、すでに周縁に追いやられている。

特権と周縁について話し合う場でも、このような矛盾が起きてしまう。
それについて話し合う場であっても、特権と周縁が生じてしまうのだ。

また、周縁側が、批判した場合、特権側は、謝ることと訂正することしかできることがない。
しかし、謝ったところで、取り返しのつかないダメージは残る。
そこに、発言し、行動する難しさがある。
確かに完ぺきなフェミニズムというものも、運動というものも、ない。
だからといって、完ぺきじゃなくてもいいんだ、批判されたときに直して、発展していけばいいんだ、という結論は、単なるエクスキューズに終わってしまう。
指摘する側、踏まれている側には、すでに大きなダメージがあるのだ。
それを礎にすることを前提にし、発展するフェミニズムというのは、わたしは、首肯できない。
わたしは、人に、ダメージを与えたこともある。ダメージを与えられたこともある。

それは、人の健康や命を害するタイプのものだ。だからこそ、慎重にならないといけない。戦うことと、戦いによって相手にダメージを与えることと、また、自分が無意識にした差別によって、人にダメージを与えることと、それぞれは区別されるべきだ。

声なき声を聴くとき、そこには共感はいらない。声を聴く、というときに、すでに立場が固定されている。
それ自体が、特権と周縁を固定しているものだ。
だから、わたしたちは、ただ、そこに存在することだけができる。それだけが、固定化を阻むものだと、わたしは、今のところ考えている。

学問としてのフェミニズムが難しいのは、学問が男社会の産物であること、そして、その立場が、上記の立場を固定化すること、そのために、少数派の力をそぐことが問題だ。

だから、少数派の声を取り上げたり、分析するときには、非常な慎重さが必要になる。
pixivのBLが立命館の論文で取り上げられたときに、問題になるのは、少数派の表現というものの性質が、分析する立場と分析される立場とに、固定化されることだ。

わたしたちは、本当の意味では、言動に責任が取れない。
人のダメージを代わることもできない。
そのうえで、行動すること、発言することを、選択する。


精神病棟で何をしていたか

わたしは解放病棟にいた。
二週間待った。入院先はなかなか空かない。家の外で、よく叫んだ。

泣いたりわめいたり、うろうろしてとまらなくなったりしながら、じりじりしながら入院の日を待った。

入院したら、安心したのか、症状が悪化した。そういうことはよくあることで、安心して症状を出すことができる場所だ、ということだ。思う存分、症状を出すことで、安心を経験するのである。

最初の一週間は、個室から出ることができなかった。
個室の外に出ては、パニックになり、うずくまっていた。

体操や、ヨガなどのリクリエーションになるべく出るようにした。
薬の影響で太りやすくなっていたので、個室のベッドで筋トレをしていた。

二週間がたつころ、作業療法の許可がようやく出て、手芸をすることになった。
病状が安定している人は、食堂で、手芸を続けることが許可されていたが、わたしの場合はとがったものを持つことが許されなかったので、作業療法室での短い時間だけが楽しみだった。

少しずつ、同世代の病人とご飯を食べるようになった。
アルコール依存症の人とは、あまり話が合わなかった。
統合失調症のおばあさんと同室の子は、独り言をきくのがしんどいと嘆いていた。

作業療法では、ほとんど遊びのようなことをしていた。自信がなくなっていたので、遊びを通して、小さな成功体験を積み重ねることで、少しずつできることがあるのだと実感できることがうれしかった。
変化のない毎日の中で、作業療法の時間は、没頭して何かをする限られた機会だった。

変化がない生活そのものが、わたしを病気から休養させた。
よく、病気をしていると、ゆっくり休んで、と言われるが、病気の最中には、「休んでいる」ことはできない。
病気の苦痛と戦ったり、我慢していたりすることが精一杯で、休んでいることはない。
入院することで、刺激を減らして、ようやく休むことに近い状態になる。しかし、どちらにしても、病気は戦いだ。

生活リズムを整える、栄養のあるものを決まった時間に食べる、薬を飲む、会話する、それが大切な治療だ。
医者は多忙なので、あまり顔を出さない。予約しても、来てくれるのは、一週間先や、二週間先だったりする。
夕食は、二種類からメインディッシュを選べる。それだけの自主性だけでも、発揮できれば、十分に生きていると実感できた。

ときどき、病棟からこっそりと抜け出すことを、当然気が付いているだろうけれど、目こぼしてもらって、散歩するのが楽しみだった。


病を得ながら働くということ


わたしの主治医の先輩の本を読んだ。
ツイッターでも紹介されていた。
心を打つエッセイ集だった。

わたしの主治医は、ほとんど世間話をしている。急性のときには、心の話が多かったが、今は、わたしの落ち着いているので、ほかの話をする。
主治医が自分の話をすることも多い。それで、わたしはなんとなく気が済む。
わたしが話のを待ってくれていると感じるからだ。

わたしは、六年前に退院してから、三か月後には働き始めた。
それは、社会との接点を失わないようにするために、勧められたせいだ。
わたしは病臥している間も、大学に行ったり、就職活動をしたりしていた。それができたのは、常に主治医に励まされていたおかげだ。

わたしよりも、おそらく軽い人でも、働くことが難しい場合があるようだ。
わたしが働けるのは、たぶん、主治医の影響が大きい。
先ほど紹介した本では、いかに、当事者や家族が、社会との接点をつなぐかによって、変わるということが示唆されている。保健師さんは、中でも大きな役割を占めている。

精神障害というものは、社会や、家庭、成育歴、どのようなことが起きたのかが、とても予後のために大切になる。
因子があったから、というよりも、どうして、その因子の引き金がひかれたのか、そして、そのあとどのようにしていくかが、わたしの治療の場合には注目された。

ストレス源である、原家族とはわたしの決断で離れることにした。ストレスの多い仕事は、やめることにした。その仕事も、五年は続けた。
人生は九十年、三年やったら、たいていのことの専門家になれる、とわたしは思っているので、あと、二十項目の専門家にはなれると考えている。

本来、自閉スペクトラム症の人間は、対人関係が苦手だと考えられている。しかし、わたしの場合は、人前で話すこと、勉強すること、一定の時間内で役割が限定されてさえいれば、それを演じることは苦痛ではないことから、教える仕事をしている。
男性が苦手なので、日中の仕事や正社員の仕事はできない。消極的に、塾業界に身を置くことになった。

ブラックバイトの代表と言われる業界だけあって、働きやすいとはとても言えないが、短い時間で、さっと働く、という部分だけはあっていて、続けることができた。
多数の中では、うまく振る舞えないが、一対一なら、なんとかなったのも、大きな要因だ。
おかげで、社会的な孤独を味わっても、そのつらさの分だけ、手を伸ばすことができるようになった。わたしにとって、さみしさは、行動するための原動力だ。

働きに行かなければ、話す相手もいない。金もないから、遊ぶこともできない。仕事があれば、外に出るから、一定の筋力が残る。社会と縁がない時期が続くと、自信がなくなり、外に出るハードルが高くなってしまう。
なにもかも用意された環境では、気力が弱ってしまう。もちろん、弱り切っているときには、入院することで、命を長らえることも必要だ。でも、その段階が終われば、ある程度のストレスの中で、やりくりすることが、生きる意欲を増す。

世の中の役に立つから生きていてもいいとか、悪いとか、そういう議論には全く興味がない。
人権は、すべての人間にある。すべての人間が生きるための権利を持っている。

それとは、別に、世の中の役に立つ技能や能力を持っていると、仕事に就きやすいから有利だ。

仕事に就けば、人間と会話することもある。買い物にも行ける。小さな成功体験が、行動範囲を広げてきた。

病を得ながら働くことはたいへんだ。かといって、カミングアウトしても、かえって、いじめられることもある。
前職は、いじめに遭ったためにやめることになった。
でも、嫌になったらやめることができる。
やらなきゃ、と思えば、自分を追い詰める。

そうやって、じりじり生きていくと、病気に慣れる。慣れたとしかいいようがない。あきらめている。仕方がないと。
でも、そのあきらめが、最も有用で、それだから、働いていられる。


差別の濃淡と言葉の伝わらなさ

妊娠して二十九週となった。胎児の大きさは、1200gとなった。
昨日、昼間、パートナーと散歩していたら、老年の男性に、いきなり、足を引っかけられそうになった。
転んだら、もちろん、危険だ。
それに、そんなことをしてくる相手が、ほかに何をするかもわからない。
これは、単なる暴力の示唆にとどまらない。
女性差別や、ヘイト、暴力だ。
何もなくてよかった、とはいえない。
あったのだ。
わたしの、社会への、男性というものに対しての、信頼が壊れたのだ。

爺死ね、早く死ね、と叫びながら逃げて、交番で、事情を話した。警察官たちは、急いで現場に駆けつけてくれた。

妊娠しているのを見て、弱いから、やり返さないからと攻撃されたのだろう。

妊娠してからそういう目に遭ったことは初めてだが、女として生きてきて、暴行、性的暴行、性的嫌がらせは常に身近にあった。

痴漢に遭ったこともある、露出狂に遭ったこともある、後ろをつけられて、羽交い絞めにされ、連れ込まれそうになり、対抗したものの、左腕の神経を切断する羽目になったこともある。相手が持たざるものだと、民事裁判を起こしても、何も取り返せない。いずれにしても、社会に対する、無条件の信頼感というのは、失われる。

すれ違う時、相手が、わたしに何かをしてくるかもしれないこと、相手の考えが読み取れないことは、わたしに非常な緊張を強いる。

また、わたしは、障害者である。
わたしの障害は遺伝する性質のものである。ネット上では、遺伝性の病気や障害を持つものは、子供を産むべきではないという意見が散見される。それは、優生思想だが、一定の説得力を持って受け止められている。

障害にも、女性差別にも、濃淡がある。
わたしの障害は、かなり重い。しかし、障害者の当事者や、その家族から「あなたは恵まれている」「あなたの障害は軽い」などと言われることが多い。わたしの努力は目に見えない。そして、わたしが持っている能力は「ギフテッド」と呼ばれることもある。そういうものを持っている人には、「わたしの気持ちはわからない」と非難される。

実際には、わたしが活動できる時間は一日のうち合わせて三時間ほどで、その間に何もかもしている。本もほとんど読めない。テレビも見ることができない。調子が良い時に、ちょっとだけ、音楽を聴くことができる。でも、疲れてしまうからすぐに止めてもらう。
てんかんも起きる。過呼吸も起きる。フラッシュバックで暴れる。夜眠れない。昼起きていられない。躁と鬱の周期は、次第に短くなり、つまり悪化し、今では一日二日のスパンで、変わってしまう。十五年ほど、廃人のように生きながら、勉強を少しずつ進め、外界との接触をなるべくしてきた。体力が落ちすぎて、入浴しても、水圧に負けて、上がれなくなった時もある。床について長い間、筋肉が衰えて、一人で起きられなくなったこともある。今でも、一週間のうちのほとんどは、体が動かない。

それでも、人前では取り繕うためか、軽いといわれる。

わたしは、たとえば、デモに行くことが難しい。地方に住んでいること、女性であるために受けた暴力の結果、人の多いところに行くことができないため、金銭的な問題のため、体力の問題のため、精神疾患のため、行くことができない。

わたしの障害は双極性障害だけではなく、自閉スペクトラム症、適応障害、PTSD,気分障害、不安、そういったものが複合的に絡んでいて、自分の予定を立てることが難しい。

数年前、「数になるために国会議事堂前に行こう」「小さい差異については、無視して、大きな問題にともに立ち向かおう」という運動があった。わたしは、とても一緒にいけないと思った。

わたしは、まず、数ではない。わたしは、わたしだ。いろいろな困難を抱え、いろいろな喜びを抱え、わたしなりの考えのあるわたしだ。
地方に住んでいるから、夜に国会議事堂前には行けない。国会議事堂前に行かないことで、居心地の悪い思いをした。
ネットではそのことでもちきりだったから。そして、わたしは、人とかかわる手段がネットしかなかった。
だから、つらかった。自分が裏切り者のような気がした。

また、反差別や、社会運動について考えるとき、大きな問題について協力し合おう、といったとき、無視されるのは、わたしのような、複合的な問題を抱えて、周縁化した者たちだ。わたしたちは、常に、後回しにされる。
大きな問題は、もちろん、大切だろう。でも、反差別を訴えるときに、マジョリティを優先するという仕草は、結局のところ、差別者となんら変わりがないのではないかという疑念を払しょくすることができない。

数を増やすことは、戦いにとってもちろん、有効な手段だ。

一人一人によって、どんな差別の体験をしたかは違う。
それについて、語る言葉を、統一することは、「冷静にならないと聞いてあげない」という条件を付けて、結果的に、黙らせようとする差別者と発想が同じになる。

どのように、運動すればいいのか、わたしには今もわからない。
マイノリティの中で、さらに差別されるマイノリティの数はきっと多いだろう。
わたしたちは、言葉を同じくすることがとても難しいから、共感だけではとても乗り越えないから、そして、理屈だけでもとても乗り越えられないから、だから、わたしは、自分の言葉を、どこに届くのか知らないまま、発していくつもりだ。

わたしの小さな違和感を、わたしの小さな恐怖を、すりつぶされそうな人権を、守るためには、戦い続けなくてはならない。
そのためには、共闘を放り出しても、たった一人でも、言葉を尽くそう。

それが、わたしのできる、何かだと思うから。
子供のころ、わたしがほしかった、何かだと思うから。


妊娠七ヶ月

吐きつわりだったのですが、その頃は三キロ減くらいで済みました。
においつわりもあって、存在してるだけでしんどかったけど、もともと体調を崩しやすかったので、対応になれており、水分やヨーグルトなどとれていたので、三キロ減で済んだ。
メイバランスにもずいぶん助けられた。

昨日転倒してしまって、おなかが張ったり、痛かったりしたので病院に行った。

なんともなく、安心。
横顔がエコーではっきり写った。
鼻筋がスッキリとおった美形と盛り上がった。
あれ?
冷静なつもりでも親バカなの?
でもどう考えてもかわいいよ!

西松屋で、ベビー服見ながらうっとり。
かわいい。小さいだけでかわいい。

ピジョンの腹巻きと腹帯は優秀で蒸れない、ずれない。
歩くときや動くとき、おなかが揺れると痛かったり、疲れたりするので、固定されるだけで、楽。

そろそろ屈んだり、靴下はいたりがきつい。
メディキュイットみたいなやつをはいて浮腫みとり。
暑いのに冷える。
熱はこもってるのに。

毎日六キロくらい歩いていたら、少し体重が減った。
増えすぎを注意されてたので一安心。
血圧にも問題ない。


国語の勉強は意味をとること

国語は文章の意味を理解することが大事だ。
でも、それができていない生徒はとても多い。
読むことはできる。
でも、文章の全体の意味や結論をまるで別に解釈し、書いてないことを読み取る生徒はとても多い。

小学生にもでき、高校生にも有効な手段がある。
段落や意味段落ごとに文章を分けて、意味のつながりを把握すること。
そのためには、段落の果たしている役割を理解すること。理解するためには、段落に自分なりに題名や小見出しをつける訓練をすればいい。

テストの時、なんとなく読んで、問題のたびに、最初から読み直す生徒は、行き詰まる。
時間が足りず、抜き出し、書き出し、選択問題ができない。

段落の意味を理解して、どこに何が書いてあったか、覚えていたら、全部読み直す必要はない。
必要な場所だけ読めばいい。
言葉の意味を逐次把握し、記憶し、意味の流れや推移を読み取る訓練が大事だ。


収納の話 片付けを継続するため

片付けを考える上で大切なのは、継続することだ。

継続するためには、やりやすく、ハードルの低い方法でなくてはいけない。

そのためには、ステップを少なくする必要がある。

動線が短いこと、人目で見てわかること、そうすることで、他人が来ても頼めるし、ものがすぐ出せるようになる。

片付けをするのは、生活しやすくするためだ。

すっきりすることで、リラックスできる。ものを探すストレスがなくなる。

細かく分類すると、うまくいかないので、わたしはジャンル別、行動別にしてる。

工具は全部工具入れに整理せず入れる。

趣味のものも一箱にまとめる。

お風呂にはいるときに必要なものは、ひとまとめにする。

パートナーの六帖さんとは、適正が違うので、六帖さん用の収納と、わたしの収納は違う。

彼は奥のものまで引き出すことはできるが、上の方からしかとらないので、写真のように収納している。

綺麗な収納ではないけど、こんな感じ。

キャスターのついた収納ボックスを引き出して使ってる。

わたしは箱に入れるのが好き。

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生活の楽しみと反戦

近所でランチしようと思ったら、「メーデーなので休みます」という張り紙があった。

「平和集会を行います」という掲示が近所に張ってあった。

こういうのを見ると、ほっとする。

ネットやテレビに渦巻く「戦争への道」だけじゃないんだなと思ってほっとする。

近所のお茶屋さんで、煎茶やコーヒーを買うようになった。コーヒーはその日に煎ったものをその場で挽いてくれる。甘みがあって、よく香る。フルーツでできているのがよくわかる。

苦かったり、すっぱかったりするのがコーヒーだと思っていたけれど、そうじゃないんだな。

そして、近所の店で買うと、そのお金は、その人に入る。

どこかの誰かに入るわけじゃない。誰かの生活のためにお金が入る。そういうのはほっとする。

 

わたしはまだ働いている。社会参加をしたいからだ。

今働いている塾では、自習がいつでもできる。自習サポートもある。だから、ダブルインカムの家庭にとって、勉強のできる学童のような場所でもある。

愛情であれば、親であっても親じゃなくても、誰からでも受けられればそれでいいと思うわたしは、そういう光景を見るとホッとする。

共謀罪について、子供たちとよく話す。あれは治安維持時報だよ。

どうして勉強するのかについてもよく話す。あなたの考え方を広げるためだよ、自由を獲得するための手段だよと。

政治経済ではかなり突っ込んだ話もする。法律は、国家を縛るものだという話をする。だから、憲法は、国家を縛るもので、わたしたちの自由や安全を保障するものだよと。

わたしは、一人の子供を産む。

そうすると、世界に一人の人間が増える。

情緒不安定になったり、体調は悪くなったり、眠くて仕方なくなったりする。

話し相手が減るから孤独にもなる。

外に出て、運動することも難しい。

でも、わたしにできる反戦があると思いたい。

個人の生活を楽しむことも、政府に対する反抗である。政府は、本来なら、わたしたちの幸福の追求を妨げてはならないのに、今の政権はそうではない。

わたしは、デモに行くことも、ロビイングすることもできない。

ただ、ブログに書くことくらいしかできない。

わたしが知っている子供たちは、戦争を不安がっている。

実際に、割を食うのは彼らなのに、彼らには決定権も抵抗する手段もない。

だまされないでいる、とうそぶく人たちも、結局、騙されていることに気づいていないだけ、ということが大半だ。

わたしが社会運動をしていると公言すると「幸せならそんなことはしない」という風に、マウンティングをしてくる人がいる。

「迷惑だ」ともいわれる。

個人が幸せを追求すること、社会に対して、抗議することは両立する。

自分の努力が足りないから不幸なのだというのならば、社会的不正義を放置しているのが、誰なのかをはっきりわかっているかどうか、自問自答してはどうかと思うが、彼らにはそのような能力がないのか、したくないのか。

 

権力は見えないがある力で、それらが、後ろ盾しているから、差別が存在できる。

差別されている側が、それに対して抗議すると「幸せじゃないなんてかわいそう」「努力が足りない」と言われる。

それは、差別の一形態だ。

差別されている側に、不幸せだと決めつけ、不幸せならば努力が足りないといい、自分の社会的背景に目を背け続けることができる立場が、恵まれているとは思わない。自分さえよければ、という立場は、次世代のことを考えてはいない。

次世代のことを考えなかった、前の世代の人たちのせいで、原発の問題や、年金の問題、いろいろな問題が残っている。もちろん、彼らが残してくれた恩恵もある。

恩恵には感謝しつつ、批判していくこと、あらがっていくことがだいじなのではないか。

生きることは戦いだ。

わたしの精神科の主治医は、七十代後半で、彼が医学部に行った時には、三十台の先輩がいたそうだ。それは、結核や、戦争から帰ってきて、中断されていた、学業を取り戻すために戻ってきた人たちだ。

彼はそれを見ているから、わたしに急がなくていいという。そして、わたしがすることを応援してくれるという。

長野県松本の市長は、もともと信州大学の医学部の教授であった。胃がんになった後、その経験から、チェイノブイリに赴き、五年間、甲状腺手術を教えたそうだ。

彼は、今、放射線の広がりは、円状に広がるのではなく、風向きや、地形によって変わっていくということを言っている。

だから、円状にこの距離までは危険、でも、ここからは安全だという線引きをすることは、おかしいといっている。

そして、福島の子供たちを松本市に招待する、ということも始めている。

被ばくをしても、しばらく、放射線量が低いところにいると、体内から外に幾分か流れていくそうだ。そういうことも大事なのだそうだ。

子供を産むことは大切な社会参加である。

子供のために、よりよい世界を残したいと願うことも、社会参加である。

わたしには、社会に参加したいという根強い欲求がある。

生活を大切にし、幸福を追求すること。瞬発力はなくとも、長い間、考え行動することが、大切だと思う。

わたし一人の力では、なにもできない。そのことが、悔しくも思うが、しかたがない。

わたしにできることをしたい。