5chのヲチスレをちゃんと読んでみた

ネガティブなコメントがどうにも苦手です。
批判はもちろんされてしかるべきだと思うし、その批判に対して反論もします。
それとは別に、単に、わたしのことが気に入らないで悪口を言ってくる人がときどきいて、「なんでなのかなあ」と思うのです。
わたしは、ブログをやっているから、その人だって自分のブログで書けばいいと思ってしまうのです(それはわたしの都合ですけど)。
コメントで言われても同じだと言えば同じだけど、「自分はこういう意見を持っている、だから、この人のこの部分は気に入らない」というのには、自分のブログのほうがむいているんじゃないかなと思っています。

はてなブログで書いているときには、はてな女子スレッドというのがあって、直接リンクをされていたものだから、なんだろ?と思ってうっかり見に行ってしまったことがあります。

それで、気分が悪くなりました。

いろいろ調べて知ったのですが、いわゆるヲチ先の人が、スレッドを見るのは、「ヲチ先の人間が悪い」ということになっているらしく、それだけでバカにされるらしい。
そして、スレッドに反応すると「お返事した」といって、もっとバカにされるらしい、ということ。

スレッドを見たことを言ってはいけない、ましてや、スレッドを「晒し」すると、スレッドが燃える。
そういうことが分かりました。

だから、見ても、「見たことを気取らせてはいけない。気取らせると面倒なことになる」ということが暗黙の了解になっているようでした。
そして、変なことをすると「踊る」という風に言われるらしい。

よくわからないものは怖いので、一度とことん読んでみようと思って、ヲチスレばっかり読んでみました。
知らない人ばっかりです。

読んでいるうちに、だんだん興奮してきて、確かに、「この人はおかしい」と思うこともありました。
そして、「スレ住人」同士でも、喧嘩があったり、マウンティングがあったり、「スレ違い」と追い出されることもあったりするんだな、と。
空気の読み合いが激しい。ヲチ先の人をバカにするのだったら、どんなことにもケチをつける。
そして、当然、ヲチ先の人が、心を病んだり、体調を崩しても、責任はとらない(とれない)。
「読まなかったらよかったのに」「存在していることを言わなかったら、自分がヲチされるような人間だと知られることもなかったのに」という風に言われる。
どうも、ヲチされる人間だ、ということは、それだけで恥ずべき事、ということらしいのです。
で、ヲチしているのは恥ずかしい人間じゃないかというと、「ここにきている時点でブーメラン」(お前も見に来ている時点で同罪)という論理で、一応自分たちも恥ずかしい人間であるけれども、読みに来る欲求を抑えられないヲチ先の人のほうがもっとバカである、という無敵な理屈であるということがわかりました。
これは、理不尽すぎるなと思いました。
だから、5chのヲチスレでなるほど、と思えることは、実際にたくさんありました。でも、わたしはそのルール(言い返すことが最も見苦しいというルール)がどうしてもフェアだと思えないから、やっぱり、自分はブログに書いたり、SNSに書いたり、人格を一貫して保てるほうがいいなと思いました。

いろいろ腑に落ちる意見もあるし、SNSで書きにくいことを発散する場でもある。
自分の意見として、堂々と言うほどでもないけれど、誰かに言いたくなって書いた、というのもある。

でも、ヲチスレによるけれども、書き込みをする人間は案外少数なこと、原動力にはいろいろあるけれど、嫉妬、嫉み、不快感の吐露、のぞき見趣味、相手をコントロールしたいという欲望、そういうものを満たす場だということもわかりました。

(相談するスレッドや、情報交換するスレッドはきっと有益なんだと思います。身近な人にこそ、言えないことっていっぱいあるだろうし。ブログやSNSはまめじゃないとできないから、できない人の救済の場だということも思いました)

二十年ほど前、2chにさらされる、というのはたいへんな恐怖でした。
とにかく、アングラ、怖い、気持ち悪い、どろどろしている、というイメージでした。

でも、今はもっとカジュアルになり、高齢化もし、人間も減ったんだな、ということがわかりました。

一応、気が済んだので、もう、いいかな、という感じがしました。
自分のことに言及されていないタイミングで読めたので、あまり心が乱されないで、いろいろなことがわかってよかったです。

そして、ブログに直接コメントをする人は、人にもよるけど、正々堂々としている部分はあるから、そこは評価しないとな、と思いました。

過去の自分の反省点も見えて、ちょっと自分が変われたかなと思いました。
人からの見え方って、本当にどうしようもないから、距離を取るしかない、というのが、人に言われても腹に落ちませんでしたが、自分から、怖いものを見に行って、自分なりに理解できたので、腑に落ちました。

(でも、やっぱり頭に来たら、また見苦しい姿を見せてしまうんだろうな、とは思います。
腹が立って、ちゃんと怒るというのも、わたしにとっては大切なことではあるので、なかなかバランスがとりにくいですが)


三十代後半のおしゃれ

今より若くて痩せていて、すらっとしていて、肌もぴかぴかだったとき、わたしはおしゃれが怖かった。
お金がなかったんじゃない。
友達に誘われなかったんじゃない。
友達に渋谷に買い物に行こうと言われて「怖い」と断った。
何が怖かったんだろう?

育った環境が悪かった。自分が女だということに、自信を失っていた。
自尊心がボロボロになっていた。
だから、おしゃれできなかった。

今、わたしは、好きな服を買って、でも、まだ、定価で買えないでいる。
わたしには定価で服を買う価値がないと思っている。
安いものが似合うとどこかで思っている。
体や見た目に似合うんじゃなくて、「貧しい状態がお似合い」だと思っている。
でも、本当はそうじゃない。
身の丈に合ったくらいで、好きな服を買って、気持ちよく暮らす「権利」がわたしにはある。

若いころ、そういうものを奪われていた。
だから、今、怒っている。すごく。
わたしをそういう貧しいものにした者たちが、具体的に存在するから、わたしは怒る。

で、わたしは爪を塗る。
化粧もする。
「どこにいくわけ?誰に見せるわけでもないでしょ。誰もあんたのことなんて見てない。ファッションショーじゃあるまいし。
色気づきやがって。塗りたくってもきれいじゃない」と吐き捨て怒鳴りつける女は、今ここにはいない。
そして、もう会わなくていい。
何度も言い聞かせないと、会わないといけないんじゃないかという圧力に負けそうになるけれど。

わたしは、おしゃれをして、みっともないかもしれないけど、気分良く暮らしたい。
ブスで不細工でデブで汚い女なのかもしれない。そう思って仕方ない時のほうが多い。
そういうときは、茫然としているか、泣いているかしていて、たぶん、メンタルのせいで認知がおかしいんだと思って、精神安定剤を飲む。

ねえ、人をブスだとかデブだとか、シミがあるとか、塗りたくっても気持ち悪いとか言われることで、こんなにも人生が狂うんだよ。
わたしは絶対に許さないよ。
死ね、苦しんで死ね、と、いつでも思っている。
で、そういう自分のほうが、昔の「みっともないのがお似合い」だと思っていた自分よりもいい感じだと思う。


買ってはいけないと言われていた服を大人だから買った

ふわふわのシャギーのセーターと、やはりふわふわのワンピを買った。
実家では、自分の好きな服を買ってもけなされ、返して来いと言われていたので、おしゃれをするのが怖かった。
ふわふわのニットなんて、わたしには似合わないと思い込んでいた。

一緒に大学生活を送った友達は、ずっと渋谷で買い物をしよう、これも似合うよ、とかわいい服を勧めてくれたのに、わたしは「怖い」と言って断っていた。
それほど、わたしの心の中は母親に占められていた。

子供を産んで、わたしの親は、本当にひどいことをわたしにしていたのだとわかった。
柔らかくふわふわといい匂いのする赤ちゃんが、最近はよく笑う。
手をつないで、歌を歌うだけで喜んで遊んでくれる。散歩にも連れていく。きれいな服を着せる。
こんなに美しい生き物に、ひどいことをできたあの人たちはやはり異常者だった。それがよくわかった。
子供を産むと親の気持ちがわかるというが、わたしには余計わからなくなった。
産む前のほうが、「わたしにはわからない事情があったのだろう」と思えた。
実際に子育てをして、彼らの悪質さが、際立つ。どうしたって、この弱い生き物に、あれができることが理解できない。

ボロボロの服は、自尊心を削られた。
どう考えても、貧乏ではないのに、誰も着ていないような、時代遅れの服はつらかった。みじめだった。

ふわふわした服は、汚れる、誰が洗うんだ、似合わない、ファッションショーに行くわけでもあるまいし、色気づきやがって、など罵倒された。

わたしは、それが似合わないものだと思っていた。
時間は二度と戻らない。そのことを思うと、心がびゅっと穴が開いたような気がする。

それでも、わたしはこわごわと、ふわふわした服を買った。そんなに高価でもない。でも、わたしはとても幸せだ。

前述の友達はわたしに、「お母さんに子供を会わせないなんてかわいそう」と言った。
「かわいそうなのはわたしだ。会わせたいような親じゃないんだから、自業自得だ」と言い返せた。
でも、わたしは、やっぱりつらくなって、パニックになって、家で暴れた。

自分の人生を取り戻すことなんてできないかもしれない。
失った時間は絶対に帰ってこない。
今、あのとき着たかった服を着ても、気持ちは成仏しない。
あの時は着たかった事実は変わらない。その気持ちも消えない。

それでも、わたしは、服を買って、大事に着る。
わたしの傷は今も生々しい。わたしの青春も、一番柔らかな感受性を持っていたころ、みじめだった事実も、一番きれいだったころ、みっともない姿でいたことも、消えない。癒えない。

そんなわたしが、母に会うことはできない。
おしゃれは無価値なもの、おしゃれをするわたしをののしり、みっともない生き物だと思い込ませたあの人のそばにはいきたくない。

今でも悲しい。
ずっと悲しい。
悲しくて気が狂いそうな気持を、忘れようとしても、忘れることはできない。
波が押し寄せて、流されまいと、生活に縋り付いているだけ。錨のように、今持っている美しいものがわたしにはあるけれど、鏡に映るわたしは、中年で、フェイスラインも、体のラインも崩れている。
あの頃、わたしは美しくありたかった。きれいな、かわいい、気に入った服を着たかった。

わたしは、爪を塗る。朝起きたら、化粧をする。取り戻したいから。何をかわからない。
自己決定権のようなものかと思う。
でも、取り戻せない。むなしさに胸がかきむしられる。
それでも、続けるしかない。
わたしがわたしであるという戦いのために。

苦しく、悔しく、みじめな戦いだ。
絶対に取り戻せないものに抗って、頭の中の記憶はいつでも無差別に襲う。
そのたびに、わたしは狂う。


綺麗なもので心にシップをしたい

綺麗なもの、かわいいもの、美しいものを手に入れると、自分もきれいでかわいくて美しいものになれる気がする。
それは、気のせいだから、次から次へと消費の対象はうつる。目まぐるしく。
一回も袖を通さずに廃棄される服、化粧品、気まぐれに選ばれるアクセサリー。
自分の体のコントロールを奪われたことで、わたしは、自分の体や心のコントロールを失ってしまった。
コントロールを失うと、自分の体が自分のものだ、という当たり前の感覚がなくなる。
必然的に自尊心もなくなる。
一度、ひどい目に遭うと、ずっとひどい目に遭い続ける。そういう連鎖がある。
それは、わたしだけに起こったことじゃない。保育園で、年中の友達が、近所のお兄さんにお菓子と引き換えに体を触られると言っていた。でも、お母さんにそのことは言えないとも言っていた。そんな年齢から、わたしたちは、体も心も傷つけられ、幸せだとか安心だとか守られているという感覚を失ってしまった。
当たり前に得るものなのに。失うというよりも初めからなかった。

だから、わたしは、美しいもの綺麗なものかわいいものがほしい、それは、わたしがコントロールできるものだから。
買う、手に入れる、保存する、手入れをする、捨てる、無残に扱う、全部わたしの思うままだ。
普通に生きているだけで、娯楽にもSNSにも、心にやすりをかけられるような一言、言葉、情報があふれている。
歩けば、店に入れば、女という体は、人を、つまり日本において人と扱われるのは男だけだ、その男が、欲情するための媒介として、女の体が存在し、女は、あらゆる苦痛を、「快楽」に読み替える神経を持つものだというプロパガンダがふりまかれている。
針で刺されても、棒を突っ込まれ、こすられ、水攻めにされ、窒息され、拘束され、縛られ、殴られ、でも、女は、女という体さえ持っていたら、それらの苦痛は快楽になるのだと、そういう嘘が蔓延している。それをおかしいと言えば、「お前は気がくるっている」と言われる。

そして、あふれるそれらの加害性の高い情報を食べて、彼らは安心する、自分たちが持つ加害欲は、責められることもない「ただの性欲」なのだと肯定され、また、加害欲が再学習されていく。そして、わたしは無気力と無力を再学習する。

わたしの身に起きたひどいことは、勝手に起きたわけじゃなくて、男がわたしにしたことだ。
そして、わたしは学校に行けなくなった。だって、学校にはそいつがいたから。
わたしは、大学に行くのも苦痛だった。だって、男の大きな声がするから。
授業中にパニックになったときにも、教員にののしられた。「相手の子は何もしてないのにかわいそうでしょう」
その人は、セクハラ対策委員だった。比較文化論を研究していた。

わたしは、誰にも何もしていないが、わたしが行ける場所は限られている。学習するにも、体力も精神力もいるが、わたしは集中することができない。なぜなら、集中していると「あのこと」がいつでも浮かび上がってくるかもしれないからだ。
それが浮かび上がってきたら、わたしの体も心も「あのこと」に乗っ取られて、時間も「あのとき」に戻ってしまう。わたしは、現実を喪失している。

精神が不安定だから「メンヘラ」「きちがい」「頭がおかしい人」と言われる。
だって、それを言う人たちはわたしの過去なんて知らないのだから。
不安定で迷惑をかけるわたしの背景など、当然知ったことはない。だって、彼らは加害者ではない。そんなのは当たり前だと言い聞かせ、わたしはにっこりしながら早く死にたいと願う。ああ、そうだね、わたしは醜い、肉塊だ。

心臓がバクバクして呼吸が苦しくなる。空気がうまく吸えない。空気がなくなってしまったようだ。

早く忘れたらいいね、命があってよかったね、魅力的だということだからよかったね、自慢?
あなたがだらしないから目をつけられてそういう目に遭うんだよ、何度もそういう目に遭うってことは自衛する気がないか、もしかして望んでいるんじゃないの?

わたしは、わたしの体を一つ一つ切り落としたい。
あのことに触れた部分を一つ一つ切り落としたい。そうして、残った部分がきれいならば、その部分だけで生きなおしたいと願うのだけれど、そんなことができるはずもない。

わたしは、わたしが不安定になったのは当たり前だと思っている。
でも、仕方がないよね、と許されて、存在するくらいならば、消えてしまいたい。
わたしが「いてもいい」と許可を与えることができるあなたは、どうして、当たり前のように、わたしよりも「えらい」わけ?
どうして、許可を与え許すことができる立場に、あなたは当たり前に立てるの、そしてわたしはいつでも下の立場にいなければならないの?あのことがあっただけで。たまたま、あのことに出会わなかったあなたが。

がらくたを集めるようにしか、今日を生きることができない。
明日も生きられるのかわからない。
昨日生きていられたことはもう忘れてしまいたい。
心にやすりがかけられてしまうから、だから、心にシップをしたい。


散財してしまうこと

今日一日で、一か月分のお小遣いを使い果たしてしまった。
パートナーが稼いで、パートナーがやりくりをしている。
パートナーは自分のものをほとんど買わない。
必要なものでも、迷って買う。

パートナーはわたしを許している。
わたしは、自分を許せないでいる。
でも、散財する。
散財して、その日を生き延びている。
生きていてくれとパートナーは言う。
わたしは、生きることにめげそうになる。めげる。

親と絶縁する前、美容や衣服に関心を向けることが許されなかった。また、元夫が、わたしのお金を使い果たしてしまった。
それで、人に使われる前に自分で使ってしまいたい、自分の人生に対する思い残りを、片付けたい、という気持ちがあるんじゃないか、と自分では思っている。

去年は、生活に支障が出るくらい、買い物をした。
今年は、管理できる範囲で、散財をしている。
少し、ましになったのかもしれない。
わたしが散財するために、パートナーは様々な苦労をしているが、彼はそれを苦労だといったことがない。
わたしといることが幸せだという。
いつも、不思議になる。信じられない、とは思わない。だって、本当にそう思っているみたいだから。
でも、本当に不思議だ。

彼は子育てがしたいという。
でも、彼自身は男だから産むことができない。
わたしは、彼に、子供を育てる経験をプレゼントできることをうれしく思う。
子供はプレゼントじゃないけどね、子供の人生は子どものものだから。
でも、子供にお父さんと呼ばれることや、成長を一緒に見る経験を、彼と共有できることは、わたしができるほとんどすべてのことじゃないかなと思う。
彼は生き物が好きなのだ。

散財も、いつか、落ち着くといいと願っている。
でも、それ以上に、わたしが、生きることに、めげても、寝たきりになっても、死を選ばないことを、一番、がんばりたい。
ゆっくりの歩みで、マイナスから始まって、ゼロに近づくだけなのかもしれないと、立派な人たちを見るたびに思うけれど、わたしは、わたしの体の外に出られない、そして、わたしはわたしの心の外にも出られない、ようは、未来に、わたしが今とは別人になることをほんの少し希望することができるだけだけ。
毎日を積み重ねるというのは、その希望を持てるということでもある。


波のように、悔しさと幸福が押し寄せる

外の空気は、あまりにも甘美すぎて、窓を閉じることができない。

朝六時といえども、七月中旬の気温は少しずつ上がっている。
草木が、勢いよく世界を征服し、鳥は鳴く。かたかたと何かの声がする。
ドアと窓を開け話して、風が通り抜ける。湿っぽく、生暖かい、太陽は上った。

自分の人生を切り開けるようになったというのに、わたしの心は、過去に囚われていて、体とばらばらに動く。
過去に戻って、あいつらを殺したいとつぶやいているうちに、激情が、今の人生を邪魔しに来る。
邪魔しに来る感情だって、わたし自身だというのに、わたしはその感情すら憎い。
その感情がなければ、今の人生を邪魔されることもないのにと。

自分の人生を作り出す、自らの光を拡大する、体の中にあるブロックとの対話、というテーマで、セッションを受けた。

つらいこと、しんどいこと、思い出したくないことが、勝手にわたしの中から湧き上がってくる。わたしはそれに翻弄される。なんとか踏みとどまろうとする。
激情から、気持ちが切り替えるために、いろいろな努力を必死でする。その努力も、なくてもよかったはずだ。

ただ、わたしは、今夢見ることができる。
こういう風に生きていたい、あの場所に行きたい、そういう夢を見る。
それをときどき実現することもできる。実現する前に、それをともしびに生きること自体が、わたしの力になる。
決して実現しない夢を待ち焦がれていた、無力な自分だったころ、成人した後も、「成人したくせに、自分の生きたいように生きられない自分がみじめ」だと身動きが取れなかったころ。

今は、夢を見て、実現することが、わたしの幸福だ。
余分なお金も時間もかかる、でも、お金を貯めるために生きているわけじゃない、今を生き延びるために、働いて、お金を稼いで、そうして、延命しているだけじゃなくて、なぜ生きるかの理由を補充するために、わたしはしたいことを、する。
したいことを、思いつかないように、息をひそめて、そう、だって、したいことがあれば、耐えられなかったから、でも、そんな時代を終わらせることができたのは、自分の力だと誇りにも思う。

自分で生きていける、でも、あのころ、奪われた大切なものは、人生は、二度と帰ってこない、彼らには返す気もなければ、人生を奪った気持ちすらない。

奪われたことが苦しく、苦しんでいる間にも時間は過ぎ、その苦しみ自体が憎い、その気持ちが自分に向かって、憎しみを忘れられない自分を攻め立てる。

今は、幸福だと感じることがある。眠れない、動けないほど、幸せだと感じることがある。

苦しみの中で光る宝石のような気持ち。

わたしは、父が愛人を作って出て行ったこと、出ていくときに「大人になればわかる」としか言われずドアをバタンと閉じたこと。
愛人と暮らしながら、ときどき、わたしたちの家に来て、食事をしたり、一か月に一度呼び出して、食事会をして、帰りの自動車の中で、手のひらの中に、小銭を落とされたこと。恵まれたこと。
みじめだったこと。家に父がいないことを人にばれないようにするために、家に人を呼んではいけない、祖父母がかわいそうだから、口外してはいけない、そういわれて育った。かわいそうなのは、秘密を押し付けられた、子供だったわたしなのだと、ようやく、言えるようになった。

父の秘密を、わたしは、ずっと言わなかった。
離婚もせず愛人宅に潜り込み、成人した後再会したとき「貧乏で苦労した」とわたしに言った父。
有責になったのは、じぶんのせいだ、わたしのせいじゃないのに、そういったことを言える父。
そういう父に、金銭的に世話になる気持ち悪さ、感謝を要求されること、そういうことを、わたしは、誰にも言えなかった。

あなたの介護をしない、といったときに機嫌を悪くした父。
愛人は、わたしの母に「介護はこちらがします」と啖呵を切った。だから、わたしは、個性も違うから、父の面倒を見る義理はない。
だから、そういったけれど。

父は、わたしが元気か、とか、お金に困っていないか、とか、聞かずに、人に迷惑をかけなかったか、と、聞いた。
わたしが、体と心を壊して、前の仕事を退職したと報告したときに。
わたしは、父に迷惑をかけられた。
父は、母と相性が悪いのなら、離婚してから、愛人と付き合えばよかった。
そうじゃなかったから、わたしは、とても苦しかった。
母は、壊れて、わたしをいじめた。
父は、共通の知人に、母の悪口を言って回り、共通の知人から、その話を聞いた。
父が思う以上に、わたしは、彼がどういう風にふるまっていたか、覚えているし、調べている。

彼の幼馴染に、話を聞きに行ったし、彼の姉に、父のもともとの性質を聞いた。

愛人宅と同じアパートに住んでいた人からも、どういう生活をしていたか、聞いた。

彼らは、わたしたち、母子に仕送りをしていた間、どれだけ苦労したか、わたしに話した。
わたしが、どんな苦労をしたか、彼らは大人で、わたしは子供で、わたしが選んだことは一つもなかった。

秘密のために、交友関係は、規制され、学校の話題で、父親がうざい、という話が出たとき、微笑むしかなかった。

腹違いの妹に、わたしがいることを、父は、ずっと隠していた。
それなのに、妹に、わたしの名前で呼びかけることもあったらしい、間違えて。

父は、わたしと過ごした日々を、きれいな思い出として話した。パパっ子だったとか。
わたしは、父が、気に入らないことがあれば、新聞紙で机をたたき、箸を放り投げ、母の見ていないところで、わたしたちをいじめたことを覚えている。
確かに、一緒にお風呂に入ることは楽しかった、でも、一緒に入るのが恥ずかしいと断った日、不機嫌になって、手のつけようもなくなり、泣きながら、ごめんなさい、一緒に入ります、だから、許してくださいと泣いたことも覚えている。
父は覚えていないらしい。

元愛人の現妻は、父とわたしが講演で一緒に遊んだり、自転車に乗るための特訓をした経験があるから、腹違いの妹にはその経験がないから、あなたはうらやましい、恵まれている、といった。
わたしの父は、十歳の時からいない。それ以降の年月は、ずっと、わたしの父を盗んでいた人が、わたしに、そういうことを言う。

父の家から、出て、でも、父に貸していたものがあるから、取りに戻りたいといったとき「あなたと会うと、動悸がするから、来ないでください」とラインが来た。
それで、わたしは、彼らと没交渉になった。
父に、訴えたが、わたしが悪いということになった。

親戚は、助け合うものだと教えられていた。だから、祖父の介護を、長期休みのたびにしに行った。
母は「いい経験をさせてもらってありがたいと思いなさい」といった。
でも、母は、介護をしには来なかった。

祖父が亡くなり、祖母が亡くなった。
わたしが苦境にたったとき、親戚たちは、わたしから離れて、助けることはせずに、わたしを葬式に呼ばなかった。
助け合うことが前提だったから、わたしは、それを信じていたから、時間を割いて、労力も咲いてきたけれど、祖父母が要で、守っていてくれただけで、タガが外れたらそんなものだった。
祖父母を守るために、わたしは嘘をつきとおさなくてはいけなかった。
二十年間も。十歳の時から。うすうす気が付いていた祖母に、嘘をつくことはきつかった。
誰も助けてくれなかった。
母がおかしくなったことも、彼らは知らなかったと言った。その間も、交流があったのに。
妹が家を出ていたのに。それも知っていたのに、うちが異常だとは知らなかったと、彼らは言っていた。

わたしは、ようやく母だけではなく、父も、親戚も、子供だったわたしが犠牲になることで、丸く収めようとしてきたことを、語れるようになった。

それで、ようやく、自分の人生を、歩めるのかもしれない、といくらか思えるようになった。

母には虐待されていた。
寝かしてもらえない、お金があっても、習い事をさせない、母の思うこと以外はさせない、けがをしたら、ぼんやりしていたのが悪いと、病院に連れて行かない、救急車で運ばれて点滴を打っている間も、胸ぐらをつかんで、いくらかかると思っているんだ、と叫ぶ、下着を買ってくれない、洋服も一年に一度、一着しか買ってくれない、サイズの合わない水着を着せられて、胸がはみ出してしまったことを笑う、着替えやふろをのぞいたり写真を撮ろうとする、赤ちゃん言葉で話しかける、二十歳の時の誕生日プレゼントが、三歳児向けのおもちゃだった、腐ったものを食べさせられた、虫だらけだと言ったら、そんなことはないと激怒された、生理の時に驚いて泣いたら、怒鳴りつけられた、生理ナプキンの使用量が多いとののしられた、妹と、わたしでは、食べてもいいものが違っていた、妹専用の食べ物があった、わたしの帰宅時間は五時まででも、妹は、夜の十二時まで門限が許されていた、わたしが気に入らないことがあると、母は、寝込んで無視したり、家出をしたりしていた。
部屋のドアを閉めることを禁じられていた、寝ているときに、口にキスをされた。
十五年前のおさがりを、十五歳以降になっても、着せられていた。
お金がないわけじゃなかったはずなのに。

今日は、きれいな空気の朝で、今日一日は、わたしのものだ。
亡霊のように、記憶の中の父母が、わたしをコントロールしようとする。だから、わたしは、厳密に言って自由とは言えない。でも、この、朝の空気だけは、わたしのものだ。

受けたヒーリング
アロマ&ヒーリングルーム睡蓮


産む前のつらさ

体がだいぶしんどくなってきた。
おなかが日に日に、一日ごとに大きくなっていて、驚く。
膝に負担がかかり、ふくらはぎがつる。
むくみがひどい。
腰も痛い。
おなかが重たい。
膀胱や胃が押されて、痛い。
体重管理が難しい。
イライラしてしまう。わけもなく泣いてしまう。

親に、自分の子供を会わせないといけないかどうか、一瞬考えた。
でも、それから一晩落ち込んで眠れなくなってしまった。
たくさんされた、ひどいことを思い出した。
今、中学生や高校生を教えていると、明らかに子供で、幼い。
あの、幼い人たちに、ひどいことをすることは思いつかない。
でも、わたしはされた。

おなかにいる子供は、明らかにわたしと違う生き物だ。すでに意思のようなものがあり、わたしの思う通りにはならない。
他人だとつくづく思う。
だから、死なないように、育つことを手伝いたい。
育てる、ということは、できないと思う。子供が、勝手に、自分の力で育てるように、わたしがサポートするのだと思う。

わたしは、勉強以外の娯楽を禁じられていたので、勉強に面白さを見出した。
何かするときは必ず母親が同伴だった。
いつも、お母さんがかわいそうだった。
かわいそうだと思わされていたのだ、と気が付いて、ああ、人生をそのせいで、ずっと盗まれていたのだと気づいてからは、怒りが止まない。
盗むための手段として、泣いたり、怒ったり、脅したり、ありとあらゆることをされた。
彼女の人生に対する欲求不満を、わたしにぶつけられた。
父は、愛人を作り、出て行った。大人になればわかると吐き捨てられたが、いまだに理解できない。
面会交流を強いられたが、断ったら、養育費を払わなくなるのだと思って、応じていた。そのストレスで、病気になった。

母はわたしにしがみつき、父はわたしを捨てた。
都合のいい時に、暇つぶしのようにかまっては、飽き、自慢できるように、育てられた。
わたしが何かを成し遂げたときに「喜ぶな」と言われた。
それでいて、親はわたしのことを自慢し、「いい親御さんですね、育て方がいいから」と言われてはにたにたしていた。
わたしの努力なのに。盗まれた。感情を。

わたしは、生きる手ごたえを失い、感覚がなくなり、幻聴と幻覚を見て、自分から乖離した。
そのために、さまざまな事件に遭って、何度も死にかけた。

逃げればよかった、と言われた。愛人から後妻になった人からも言われた。
でも、わたしは、逃げられなかった。
逃げられないように、感情や判断力や、情報をコントロールされていたし、体調が悪くなるように仕向けられていたからだ。
今思うと、具合が悪くなったりけがをするようにさせられて、そして、罵倒され、看病されるというパターンがあった。
救急車で運ばれると、胸ぐらをつかまれ、罵倒されたことがあった。
病院には、連れていかれなくなった。
お年玉で病院に行った。
祖父の介護を休みを使って手伝わされたが、母はしていなかった。
そして「老いて死ぬことを勉強させてもらってよかったね」と言われた。
わたしの経験のために、祖父は老いて死んだわけではあるまい。
それは、愛犬が死ぬときにも言われた。
母や、そのほかや、とにかく誰かのケアをさせられた。それをさせるために、「かわいそうだ」という感情を刺激された。
就職することも、「やめなさい」と言われた。
「あなたにはできない」と言われた。
父にも、「お前には、自動車は運転できない」ということを言われた。

以前、離婚したとき、堕胎をするかどうか、悩んでいた。
それを父に相談したら堕胎を勧められた。
フォローはできないと言われた。
結果的に、自分の判断で堕胎をしたが、常に、そのような目に遭ったことの「責任」を理解しろ、と言われた。
でも、思えば、父も離婚をしただけじゃなくて、婚姻中に愛人や子供を作り、わたしの母の悪口を方々で言っていた。
その人に、ただ、離婚するだけで、ああいわれることには、今では納得がいかない。
その時には、母には「ご勝手に」とだけ言われて、電話を切られた。
それ以来、連絡していない。
母は、何か相談すると、わたしを突き放し、傷つけ、動けなくなってから、それでも、わたしがすがって、手助けを頼む、というパターンを常にしてきた。
だから、あれも、その一環だったのだろう。

わたしは、本当に、どうして、親が、ああいう風にわたしに接したのか、理解できない。

わたしの体内にいる小さな人間に対して、コントロールしたいとか、傷つけることをしたいとか、思わない。
でも、彼らは、わたしにひどいことばかりをしたり言ったりした。

父方の祖母が、わたしに最後にかけた言葉は「あんたは非情な子だね、非情ってわかる?冷たい、ってことだよ」だったし、継母がわたしに最後に言った言葉は「あなたに会うと動悸がするから、家に来ないでください」だった。
でも、彼らはそれがひどい言葉だとは思っていない。

わたしは、これから子供を産む。
わたしは、彼らに一生子供を会わせない。
彼らは必要がない。

それでも、わたしは、思い出す。
そのたびに、その時に戻ったように、苦しい。
もう、終わったことだとは思えない。
わたしの中で続いている。


妊娠初期の労働問題

日本では、妊娠初期では産休が取れない。

わたしは生理が遅れるよりも前に、検査薬が反応するよりも前に、つまり超初期から、つわりがあった。
つねに、二日酔いと、食中毒になっているような感じで、縦になっても横になってもいつも気持ち悪い。
しょっちゅう吐いていたが、吐いたからと言って、すっきりすることはない。
ただ、寝ているときだけ少し楽になる。

今は、六か月だけれど、いまだに体重が増加していない。結局、今も、食べられない。
体重コントロールをしないでいいのは楽だけれど。

それでも、妊娠初期よりは楽だ。
わたしは、妊娠初期の間、仕事を休ませてもらっていた。代わりに、六帖さんが塾で働いてくれた。
上司の奥さんが、流産したことがあるため、上司に理解があったから、そういう風にしてもらえた。
そして、安定期になって、楽になったので、働きに出ている。軽作業なので、してたほうが、気がまぎれる。
妊婦で、閉じこもっていると、鬱気味になる人もいるようだ。わたしはもともと躁鬱だから、鬱が深まっただけだけど。

生徒さんは、わたしの丸い大きなおなかを見て、興味津々だ。だから、いろんなことを話す。彼女たちも知っておいたほうがいいことがある。
進路を選ぶこと。それが、一生続けられるとは限らないこと。合わないから、ならいいけれど、出産という、どうしようもないことで、人生が変わってしまうということ。やりたいことをあきらめるかどうか考える時が来ること。

女が出産しなければ、人間は増えない。でも、女が働きやすいように、人々は考えない。女が生きやすいようにはしない。女として生まれてきたことが罪だから、罰するかのようだ。

理解ある上司でも、「割り切るしかないよね」という。割り切られるものか。
わたしは、子供を確かに生む。でも、それは、わたしがわたしであることを捨てることじゃない。
子供は育てる。でも、わたしが自分であることを捨てることとも違う。
かわいがって、生活の一部となり、わたしの人生の重要な部分を子供が占めるとしても、やっぱり、わたしは「おまえがいるから、やりたいことができないのだ」と言わないで済むようにしたい。

幸いこの地域は、女の人が働くことが普通と考えている人の多い地域だ。
女の人の賃金は高くないが、それでも、父親たちは、子育てを熱心にしている人が多い印象だ。
塾の送り迎えや進路指導に、父親はよく来るし、ベビーカーを押しながら買い物をする男性もよく目にする。子供二人の手を引いて、歩いている男性もいる。巨大なリュックを背負いながら。

ゼロ歳児保育についても、周りの人から勧められるくらいで、三歳までは…というようなことを言う人にはまだ出会っていない。
そういう意味では、ラッキーだった。
妊娠初期に女性を働かせることは非道だ。
でも、そういう、個人の体調に合わせるほど、社会が成熟していないように思える。
女性が妊娠して、出産することが、もし、本当に重要だと考えるのならば、何をおいても、女の人が生きやすいように工夫できるはずだが。
きっと、社会は、女の人を生きやすくするよりも、優先するべきことがあるのだろう。

その、優先すべきことが、男性が下駄をはくということに注力しているように見えるから、反吐が出る。

個人の努力では限界がある。個人の裁量で何とかなる部分も大事だが、社会がバックアップすることだ必要だ。
そのために、社会があるのだから。


女性差別と女性の就労問題

女性は、勉強していようが、能力があろうが、安く買いたたかれる。
年収一千万以上の女性は、ほとんど医者しかいない。男性の占める割合よりも、ずっと少ない。
正社員同士で比較しても、女性の賃金は、六割を切っている。

例えば、わたしは二つの学資を持っているから、勉強したとはいえるはずだが、就職市場だと何の価値もない。
もし、仮に、わたしが男性だったら、どうだろう?

旧帝大の大学院を卒業した同期も、開発を希望したのに、美貌があだとなって、社長秘書に回され、人事によって、各部門を転々とさせられたことを理由に、賃金を動機男性よりも低くされた。

一流国立大で、難関国家試験を持っていた、同級生も、妊娠出産以降は、時給800円のパートにつけるかどうか、で、不安がっている。

勉強したら、キャリアがあったら、能力があったら…、時給が上がるなんてとんでもない。
女性というだけで、わたしたちは、仕事をして、お金をもらう、という平等であるはずの場所で、同じ労働をしても、同じ給料をもらうことができない。

じゃあ、わたしは、子供たちに、「努力するのは意味がないよ。結婚して妊娠したら、どうせ、パートの800円でしか働けないから」と教えるべきなのか?

いや、そうじゃない。わたしは勉強の楽しさや自分で調べることのできる能力を育て、伝えたいと思っている。
困ったときに、声をあげられる、戦い方を教えたいと思っている。

女の子は頑張らなくてもいい、どうせ、頑張っても意味がないから。それよりも、楽しく生きればいいという言葉。
そういうのをずっと耳にしてきた。
本人が望んでいることが違っていれば、それは単なる抑圧だ。

最低時給を1500円にしろ、というデモがある。
それに対して、遊んでいたから、能力がないから、怠けているから、時給が高くならないのだ、と言っている人がいる。
それは違う。
努力が足りないのは国であり、企業だ。
人材が不足しているといいながら、人材を活用しようとしない。払うべきものを払わない。
もともと、最低賃金が安いのは、女性が、男性に扶養されることを前提としたものだから、差別構造の結果だ。
それが、男性にまで拡大したから、大騒ぎになっている。

女性差別を放っておくと、男性にまで飛び火する。高みの見物をしていて、切断処理をすることで、自分にはそんな不幸は降りかからないと信じたい人にも、飛び火するだろう。

差別がいけないのは、いけないからだ。だから、女性を差別すると男性も損をするぞ、という言い方は、まったくもって不適切だが、男性に届くためには、こんな風にこびて物を言わなくてはいけない。それも現状だ。

能力があろうがなかろうが、普通に生きられなくてはいけない。それは、国の負った義務だ。
わたしたちの権利だ。

今は、能力がある人ですら、評価されない。
女の人に、育児家事をまるなげすることは、結局、その女の人を雇用している会社の負担を盗むことになる。
それで、盗まれる側の会社は、女の人の査定を低くしたり、雇わなかったり、適切な部署に配置しなかったりする。

わたしは、技術職を目指して、技術的な勉強をしたのに、同じカリキュラムを受けた男性は、ちゃんと技術職に就けたが、わたしは就けなかった。口頭で、女の人にやってもらう仕事はうちにはない、営業くらいしかない、と言われた。
わたしは、そのころ営業をしたいわけじゃなかった。技術職で応募した。働ければ何でもいい、選ぶなという人もいるだろうが、選ぶために、わたしは時間と努力を投資したのだ。それを回収したかった。

男だと、下駄を履かされる。女は、低く見られる。
女をやっていても、気づくと、生きにくくなるから、見ないようにする人も多い。
でも、わたしは、そういうことを見ていたい。そして、喧嘩したい。

わたしのパートナーは、わたしが靴擦れをしたら、代わりにパンプスを履いてくれるような人だ。だから、一緒にいる。そして、結果的に、家計のほとんどを担ってもらっている。それは、運がいいのか悪いのか。
自分の生きるために賃金を、自分で得たいと思うのだが、なかなか難しい。
不本意でもある。
もし、彼が倒れたときにわたしは彼を養いたい。でも、今はそれができない。
働く人が偉いとは思っていない。でも、もし、何かがうまくいかなくなったら必要なのはお金だ。お金のためには働きたい。
それが、高望みになっている現状や、働くことで、いちいち差別に出会う現状を、何とか変えていきたい。
どう変えればいいのか、まだ何も見えないけれど。

ダブルライセンスを、バカにする人は多い。
意味なんてないと。
もし、わたしが男性だったら、同じことを言う人はいるだろうか?
いたとしても、態度が違うはずだ。
だから、わたしは、喧嘩腰でいる。


洗脳されやすいという特性

わたしと六帖さんは、ともにDVに遭ったことがある。
DVに遭ったことがない人は、わからないこともあるだろう。
どうして、暴力や暴言から逃げないのか?

それは、言動を縛り、行動を縛り、交友関係を遮断することによって、洗脳する過程があるからです。

相手のために、自分を譲る、そうすることでいつか事態が好転することを期待していくうちに、逃げられない状況を作られます。

子供を作ること、籍を入れること、そうすることで相手を縛れる。籍を入れてしまうと、身一つで逃げさえすれば、それで終わりということがなくなる。
六帖さんも、わたしも、籍を入れるのが異常に早かった。お互いの両親に会わずに籍を入れたことも共通している。籍を入れる時点で、六帖さんも、わたしも、軟禁状態に置かれていた。
軟禁状態に置かれていても、支配者と同伴で外出はできるから、軟禁されていることにも気づかない。
また、六帖さんもわたしも、服用していた薬を管理され、いきなり断薬されたり、処方外の薬を無理やり飲まされたりしている。
わたしの場合、たとえば、体の不調を感じて、吐き気や腹痛、頭痛があったときに、精神安定剤を飲むと、体が動くようになる。これは最近発見したことだ。体が弱いから寝込むしかないのだとあきらめていたけれど、精神安定剤を飲むことで、活動時間が増えた。

また、娯楽や趣味を制限される。楽しみを奪われる。そうすると、思考能力がなくなる。食べるものも、極端に制限される。それも、六帖さんも、わたしも経験した。
支配者は、今でもわたしにDVを振るったことを認めない。それどころか、ネットで、DV加害の冤罪者を名乗っている。
様々な証拠があり、裁判でも認められても、それなのだ。
事実を彼らはゆがめることができる。自分に都合の悪い事実を、認識しないで済ませることもできる。
わたしの場合は、加害者から逃げて五年たつが、その間に、脅迫状を送られたり、警察に堕胎罪で訴えられたりした。
もちろん、堕胎罪の適応外だから、立件されようもないのだが、それでも、事情を何度も聞かれて書類にした。
相手は、わたしを殺人しかけたのだが。

わたしたち自閉症スペクトラムの傾向があるものは、人の言葉を信じる。裏を読めない。言葉通りに聞いてしまう。意外と空気は読める。ただ、どう対応していいのかわからない。
わたしの場合は、相手が泣いて暴れたり、床に転がって足をばたつかせたり、六法全書を投げつけたりしたり、性暴力の結果、二回、入院することになったりした。どう対応すればよかったのか?
わたしには、それまで、そのような行動をとる、男性に対する対処方法がストックになかった。
初めて見る奇行に凍り付き、思考は止まった。

わたしの場合、知識もあった。DVについてかなり書籍を読んでいた。でも、自分が支配関係に巻き込まれたとき、自分がそうだと認めることは非常に難しかった。
そのころには、相手がわたしの貯金で暮らしていたので、わたしが逃げたら相手が死ぬかもしれない、自分の体に身ごもっている子供はどうすればいいのか、ということで、身動きが取れなくなっていた。相手は、わたしの名義でクレジットカードをいくつも申し込み、毎月の支払いが二十万、三十万になっていた。
恐ろしいことに、楽天カードは、解約しても、しばらく使える。逃げてから、六万円の支払いをした時には涙が出た。
悪いことに、ニコニコ動画のプレミアム会員登録をしており、それは本人でしか解約できないものだから、逃亡の身では、どうすることもできず、楽天カードから引き落とされるので、逃げてから一年くらい払った。窓口もなく、電話も代表先しかなかったので、電話しても取り合ってもらえなかった。弁護士に頼んでも一か月かかった。

インターネット上に、リベンジポルノや、わたしに対する誹謗中傷が続いた。
弁護士に依頼して消すことはできるが、延々と続くのに、追いかけられず、あきらめるしかなかった。
沈黙をしていても、相手は、わたしが加害者に対して、誹謗中傷を続けていたと、今もインターネット上に書き続ける。
裁判で、わたしに対して、一切の接触も、一切の言及も書かないとお互いに約束したのに、その次の日には、破られた。
相手が無一文の場合、こちらができることは何もない。
罰金を払わせようにも、払うものがないからだ。

失ったものは、お金だけではなく、信用もだった。会社に乗り込まれたので、辞めざるを得なくなった。
逃げても逃げても、追ってこられる。殺されるという恐怖や、恥辱、自分を責める気持ちで、毎日パニック状態だった。
そんなときでも「どうしてついていったのか」「どうして騙されたのか」「もっと早く逃げればよかった」「セックスが良かったのか?」などという人ばかりだった。
そういう人たちしか残っていなくても、頼るしかないので、一生懸命返答したが、納得してもらえることはなかった。

支配、被支配の関係は、理解されることはないのだと思った。

それも、以前本を読んだとおりだった。

発達障害者の難しさは、単に、能力の凹凸だけではない。社会的に、「配慮」される中で、もちろん、成長していったり、ゆっくりと苦手を克服することもできる。

でも、弱っているときに、周りの人から引き離されて、洗脳されてしまったら?

そういう状況にわたしたちは一番弱い。
一対一で相手の言葉を鵜呑みするしかなくなる。
反論を試みても、すべて無効化されてしまう。そういう相手なら、逃げればいい、という発想が思いつかない。
逃げてもっとひどいことになるかもしれない、逃げないで耐えれば、いつか相手もまともになるかもしれない、という夢を見る。
そうしていないと、地獄に耐えられないのだ。

DVを受けて離婚したことを恥ずかしいことだという人は、現実にいる。
実際に言われたことがある。
騙されたほうが悪い、暴力を振るわれたほうが悪い、そういう人は現実にいる。

わたしは、いまだに、読書やテレビを見ることができない。音楽も聞くことができない。
パニックで一晩泣き明かすこともある。
趣味も手放した。
中身のない人間だと自己嫌悪に陥って、身動きが取れなくなる。

六帖さんの場合は、男性だったせいで、自分が逃げるべきなのだ、という発想を持つことが難しかった。
わたしの場合は、相手が働かない、わたしの金で生活しようとする、致死量の薬を飲ませる、そういうことがおかしいというのがわかりやすかった。
でも、六帖さんの場合は、妻が働かないことも普通だし、家事をしていれば、実際に何にお金を使っていようが、見過ごされやすいし、子供に対する扱いも、ホームスクーリングをしているといえば、周りは何も言えなくなる。
女性が、DVを振るった場合、言葉にしても、それは「普通」に見えやすい。また、六帖さんの場合、同性の友人に相談しても、男性の中でDVに知識のある人が少ない。
そういうこともいろいろと問題を長引かせた。

知識があっても、DV被害者になることは避けられない。その後、ケアされることも難しい。
わたしの場合は、かかりつけの主治医が、DVやパニック障害に詳しい病院を知っていたから、すぐに入院できたものの、たいていはそういう幸運に恵まれないだろう。

発達障害は、対人関係の障害でもある。
恋愛や、結婚という、密室の関係に踏み込んだ時、わたしたちは、一人で歩まなくてはならなかった。
大人になってからの支援は、とても難しい。支援につながっていることも難しい。

わたしは、疑問を持てない。困っていることに気づけない。
だから、助けを求められない。
被害に対する認識を持てない。それを「受け止める」ことになれている。
自閉症スペクトラムの人間として生きるということは、理解不能な世の中に対して、何もかも鵜呑みにしていく、という生存戦略を取らざるを得ないということだ。
わたしの常識は世の中の常識ではない、ということを早々に学んでしまったせいで、自分の違和感を封じ込めやすい。
相手が正しいと思う癖がつきすぎている。
だから、疑問を持てない。

反対に、加害者になることもあるだろう。
そういったときに、相談しようにも、何が問題なのか、そもそも問題が起こっているかどうかすら、疑問を持てないわたしのような特性の持ち主は、どうしていったらいいのか、今も試行錯誤でいる。
これは、知性や、知識の問題ではないのだ。
人とのかかわりの障害なのだ。