「いい旦那さんね」と言われるのがつらい

うちの伴侶はよくやっていると思う。
でも、外の人に「いい旦那さんね」とわたしに向かって言う人がいる。
そう思うなら、そこに本人がいるので、本人に言ってほしい。

わたしは、人生の「サブ」になるのがいやだった。

それもあって、籍を一緒にはしていない。
でも、「伴侶が主」で、「わたしがサブ」扱いを受けることが多くてうんざりする。
それは一つずつは些細なことだ。

家事分担について聞かれて、正直に答えると「全部やってもらってるんじゃん」と言われることだとか。
そんなことはないのだけど。
もしそうだとしても、帝王切開をして、産後の肥立ちが悪く、二回もひどい出血をして、実家には一切の援助なく、わたし自身の病気や障害がある中で子育てをしているのだから、それぞれが精一杯のことをしないと、家が回らないのだ。
だから、やることはお互い当たり前である。
じゃないとわたしは死んでしまう。死んでほしいかと聞くと、伴侶は死んでほしくないという。
わたしに死んでほしくないなら、伴侶が動くしかない。

具合が悪いので、「全部やってもらってる」と言われると、じゃあ、わたしに死ねって言っているのと同じ意味になるけど?と思う。そんな覚悟もないくせに。

能力的には、わたしと、伴侶で違うないというか、分野によってはわたしのほうが優れている。
でも、対外的には、「彼の意見」「彼のできること」にフォーカスが当たって、わたしの意見はないがしろにされやすい。当たり前のように、彼に意見を聞く人が多い。

わたしは、子供を産んだことによって、人生における「伴侶のサブ」になったんだなと実感することが多くて、うんざりする。
この世から消えてしまいたいと思う。だって、彼がいるなら、わたしが世界に煎らないんじゃないのかと思う。

わたしは、家の運営をしている。ムードをよくして、清潔を保ち、栄養のある食事を作り、寝具を補充し、あらゆるものを管理している。
それは彼には手が回らずできないことだ。
必要なものを吟味して、購入して、暮らしやすくすることで、家族全員の健康を守っている。

それだって労働だが、社会の構造的に、そういうものは労働としてみなしていない。
むなしい。
もう、元気がないから、戦うことも難しいので、ただただ、そういう風潮がむなしい。
賃労働をするには、健康が必要で、健康を保つための前提となる労働がある。
わかりやすく言えば、ホームキープ、介護、育児。
そういうものを、賃労働に押し上げてきたのは良い傾向だ。それがなかったことにされていたころよりもいい。
自分でやることで、節約になるかというと、そういうことじゃない。
労働が見えなくなるということ。

子供を産み、育てると3000万円かかるというツイートがある。
わたしは、3000万円よりも、家族のほうが好きだ。
でも、どちらかを選ぶしかないより、両方ほしい。だから、もうちょっと頑張ってみる。


わたしがくるってしまうのは

わたしの心で何が起きているのか、全然見当もつかない。
思い出すのは、色気づきやがって、塗りたくりやがって、あんたなんてだれもみてない、みっともない、髪を伸ばせば汚らしいと言って断ち切りばさみで切られ、短ければかっぱみたい、スキンケアは一切許されない、鏡を見ていれば、自意識過剰、見ても何も変わらない、雑誌は無駄、お小遣いはお父さんからもらいなさいと言われお父さんに会えば小銭をうえからおとす、お年玉をもらえばだれがお返しをするんだと思っているんだとののしられて、「はやりならば鼻水もきれいっていうもんね」と出かけるときに言われて。
サークル参加したときに具合が悪い時には、わたしの本をもって、母親がサークル参加し、友達に会いに行き、高校の卒業式は、母の友達とご飯を食べることになって、写真館で撮った写真は母が前にいて私が後ろ、母はにこにこしていた。

成人式は「高校の卒業式したんだからいいでしょ」と言われた。
レースのブラウスを買ったら、「意味ない、へん、もったいないから返品しなさい」と言われて、服を買うたびにそれをされたのでつらかった。
そういうことを思い出しながら服を買うから、いつも罪悪感と重圧でいっぱいになりながら、その思い出をはねのけようとしながら買う。
今のがしたら二度と買えない、我慢する日々はもう二度とごめんだそう思って買ってしまう。
隙じゃ無い格好をするのは二度と嫌なんだ。
十五年前のおさがりを中高生と着せられて、みじめな思いをしたのを思い出す。服を着るのが怖かった。
外に出たくないから、家にいると邪魔だと言われて、外に出ても、外に出ていたなと怒鳴られ、家の中で気配を消してじっとしていたら、あんたは頭がおかしいと言われる。
とろい、融通が利かない、あたまでっかち、頭がおかしい、変な子、育てにくい子、かわいげのない子、うるさい子、そういう風に言われたことを服を買うたびに思い出す。
わたしは押しつぶされそうになりながら、それに抗おうとする。そうすると買いすぎてちょうどいい量が分からない。
盗られると思う。
わたしの数少ない買った服は、いつの間にか妹が着ていた。
妹はいつもブランドの服を買い与えられていた。成人式にも振袖を着ていた。
おしゃれだといつも褒められていたのは妹、それに比べてどんくさくて勉強だけの姉、気が利かない、何もできない、運動は苦手で無能で心がない、非情な子、非常識な子、友達がいない子、と言われていた。
受験に合格したら、「喜ぶな」「喜んだらそこで満足して成長が止まる」と言われて喜ぶことも禁止され、けがをしたら「とろいから、ほかの人の迷惑になった」
未知で倒れて、救急車を呼ばれたら「いくらかかると思ってるんだ」と胸ぐらをつかまれる。
病院に連れて行ってほしいと言ったら「私のほうが具合が悪い」「近所で噂になったらどうする」「迷惑なのはこっち」「運転したくない」
骨折をしても、病院に連れて行ってもらえず、骨折させた相手に私が謝らされた。わたしがとろいから。
服を買うということは、そういう背景が、わたしにくっついている。
趣味をするときも、勉強以外のことは無駄だから、やってはいけない、無能な、価値のない、お前がというセリフを振り払いながらするから、とても疲れて、過剰になる。
闘わないと、できない。
だからしんどい。
下着を買ってもらえなかった、みんなと同じようではなかった。
修学旅行の時みんなが新しいパジャマや下着、服を買ってもらうようなことはなかった。
みっともないみっともないといわれて、足の白さを人に言われたら「色気があるでしょ日に当たってないから」と言い、母は、わたしに赤ちゃん言葉でしか話しかけないでいて、成人した誕生日のプレゼントは三歳児対象のおもちゃだったから、わたしは泣いたが「泣くなんて意味が分からない、あんたは感謝の心がない頭がおかしい」と言われた。

わたしが、モノを扱うことや買うことについておかしいのは当然だと思う。
でもその当然をほかの人は知らないから、奇異な人間だと思う。思われてしまう。でも、いちいち、こんな説明はできない。
母には、ふろを覗かれ、あんたは肌が白いね、体が成長したと言われて、着替えを見られ、口にキスをされ、触られ、みじめで、自分の体が自分の者じゃないようだった。月経になったとき、パニックになって泣いたら、怒鳴れなじられ辱められた。
眠っていれば、たたき起こされて、眠っている暇があれば、勉強をしろ、ふらふらになれば、這ってでも学校には行けと言われていた。生理用品を使いすぎると言われて、いくら血が出るのか知らないけど、生理用品だってただじゃないんだからね、いくらかかると思っているんだ、変える頻度を少なくしろと言われて、その通りにしたら、同級生の男子に「なんかにおいする」と言われて死ぬほど恥ずかしかった。
母はそういう人で、わたしはそういう「普通」を生きた。


趣味とレギンス

レギンスをたくさん買ってしまった。
わたしは高校生の時にレースのブラウスを買ったら「ばかばかしい、返しなさい」と言われて、返した。
妹にはダサいとののしられ、おしゃれをしようとすると色気づいたと母親にバカにされた。
事件が起きて母を頼れず、乳の家に身を寄せたが、男物の服ばかりを渡されたり、ほぼ残量なしの、すみに粉が残ったアイシャドーや、マルチのアイシャドウの古いやつを渡されたりした。
ショートパンツを履けば「そういうところだめだ」と言われたり、「あなたのうちに慰謝料を払ったからうちは裕福じゃなかった」と言われたりした。
そういうことを思い出しながら、もらった男物の服を遅くなったが処分しようと思う。

わたしは浪費ばかりしている。パートナーは悲しい顔をする。
彼がわたしを責めることはありえないのだけど、わたしは顔色を窺ってしまう。
母親にしたように。母親にとって正解はなかったけれど、顔色を窺ってわたしがおどおどすると、イライラしながら気持ちがよさそうだった。
だから、わたしは、今でも顔色を窺ってしまう。

ほしいものをリストにして、それを買った。でも、そのあとにレギンスがほしくなってたくさん買ってしまった。
わたしも、レギンスそんなにいらないと買う前にパートナーに話した。でも、迷っていると。
で、買った。
それで、わたしは自分が分からなくなった。

わたしはおしゃれをしたかった。でも、できなくて、自分がみっともないと思い続けてきた。
今遅くなったから、早回しで、取り戻したい。だから、たくさん買ってしまいたい。
そうすることで、消化できたらいいのに。

趣味も少ない。パートナーと比べてしまう。
パートナーは、ピアノも、株も、勉強もする。
わたしは、手芸をするくらい。本を読むことは、具合が悪くてできない。
だからわたしは自分を劣っていると思う。わたしは、なんてだめで気持ちの悪い生き物なのだろう?
自分自身をコントロールすることができない。
わたしは、十二月三十一日から、午前一時から四時に起きて、どうしても眠れず、昼寝もしていないから、体がボロボロになってしまった。
今日は、昼間ふらついて、頭痛と吐き気がして、体に力が入らなくなった。
そして、通販でレギンスを買った。

主治医は、失敗しながら学んで、ま、いっか、で流しなさい、悩んでもその中からは何も出てこないから、と言った。
家事ができるようになったように、何年かかけて、少しずつできるようになるからといった。
わたしにも、人生を取り戻せるだろうか?

いろいろな人がわたしから、感情を奪っていった。
母はわたしに喜ぶなと言った。
そして、成人式を「高校の卒業式をしたからいいよね、もったいないから」と言った。

妹はもちろん振袖を着ていた。

ときどき、息が苦しくなって死にそうになる。空気がなくなったみたいになる。
趣味がない、わけじゃないのに、趣味がないわたしには中身がない空虚な人間でみすぼらしくこの世に存在するだけでこの世界を汚していると感じて、死にたいとも違って消え去りたくなる。何の痕跡も残さずに。


5chのヲチスレをちゃんと読んでみた

ネガティブなコメントがどうにも苦手です。
批判はもちろんされてしかるべきだと思うし、その批判に対して反論もします。
それとは別に、単に、わたしのことが気に入らないで悪口を言ってくる人がときどきいて、「なんでなのかなあ」と思うのです。
わたしは、ブログをやっているから、その人だって自分のブログで書けばいいと思ってしまうのです(それはわたしの都合ですけど)。
コメントで言われても同じだと言えば同じだけど、「自分はこういう意見を持っている、だから、この人のこの部分は気に入らない」というのには、自分のブログのほうがむいているんじゃないかなと思っています。

はてなブログで書いているときには、はてな女子スレッドというのがあって、直接リンクをされていたものだから、なんだろ?と思ってうっかり見に行ってしまったことがあります。

それで、気分が悪くなりました。

いろいろ調べて知ったのですが、いわゆるヲチ先の人が、スレッドを見るのは、「ヲチ先の人間が悪い」ということになっているらしく、それだけでバカにされるらしい。
そして、スレッドに反応すると「お返事した」といって、もっとバカにされるらしい、ということ。

スレッドを見たことを言ってはいけない、ましてや、スレッドを「晒し」すると、スレッドが燃える。
そういうことが分かりました。

だから、見ても、「見たことを気取らせてはいけない。気取らせると面倒なことになる」ということが暗黙の了解になっているようでした。
そして、変なことをすると「踊る」という風に言われるらしい。

よくわからないものは怖いので、一度とことん読んでみようと思って、ヲチスレばっかり読んでみました。
知らない人ばっかりです。

読んでいるうちに、だんだん興奮してきて、確かに、「この人はおかしい」と思うこともありました。
そして、「スレ住人」同士でも、喧嘩があったり、マウンティングがあったり、「スレ違い」と追い出されることもあったりするんだな、と。
空気の読み合いが激しい。ヲチ先の人をバカにするのだったら、どんなことにもケチをつける。
そして、当然、ヲチ先の人が、心を病んだり、体調を崩しても、責任はとらない(とれない)。
「読まなかったらよかったのに」「存在していることを言わなかったら、自分がヲチされるような人間だと知られることもなかったのに」という風に言われる。
どうも、ヲチされる人間だ、ということは、それだけで恥ずべき事、ということらしいのです。
で、ヲチしているのは恥ずかしい人間じゃないかというと、「ここにきている時点でブーメラン」(お前も見に来ている時点で同罪)という論理で、一応自分たちも恥ずかしい人間であるけれども、読みに来る欲求を抑えられないヲチ先の人のほうがもっとバカである、という無敵な理屈であるということがわかりました。
これは、理不尽すぎるなと思いました。
だから、5chのヲチスレでなるほど、と思えることは、実際にたくさんありました。でも、わたしはそのルール(言い返すことが最も見苦しいというルール)がどうしてもフェアだと思えないから、やっぱり、自分はブログに書いたり、SNSに書いたり、人格を一貫して保てるほうがいいなと思いました。

いろいろ腑に落ちる意見もあるし、SNSで書きにくいことを発散する場でもある。
自分の意見として、堂々と言うほどでもないけれど、誰かに言いたくなって書いた、というのもある。

でも、ヲチスレによるけれども、書き込みをする人間は案外少数なこと、原動力にはいろいろあるけれど、嫉妬、嫉み、不快感の吐露、のぞき見趣味、相手をコントロールしたいという欲望、そういうものを満たす場だということもわかりました。

(相談するスレッドや、情報交換するスレッドはきっと有益なんだと思います。身近な人にこそ、言えないことっていっぱいあるだろうし。ブログやSNSはまめじゃないとできないから、できない人の救済の場だということも思いました)

二十年ほど前、2chにさらされる、というのはたいへんな恐怖でした。
とにかく、アングラ、怖い、気持ち悪い、どろどろしている、というイメージでした。

でも、今はもっとカジュアルになり、高齢化もし、人間も減ったんだな、ということがわかりました。

一応、気が済んだので、もう、いいかな、という感じがしました。
自分のことに言及されていないタイミングで読めたので、あまり心が乱されないで、いろいろなことがわかってよかったです。

そして、ブログに直接コメントをする人は、人にもよるけど、正々堂々としている部分はあるから、そこは評価しないとな、と思いました。

過去の自分の反省点も見えて、ちょっと自分が変われたかなと思いました。
人からの見え方って、本当にどうしようもないから、距離を取るしかない、というのが、人に言われても腹に落ちませんでしたが、自分から、怖いものを見に行って、自分なりに理解できたので、腑に落ちました。

(でも、やっぱり頭に来たら、また見苦しい姿を見せてしまうんだろうな、とは思います。
腹が立って、ちゃんと怒るというのも、わたしにとっては大切なことではあるので、なかなかバランスがとりにくいですが)


三十代後半のおしゃれ

今より若くて痩せていて、すらっとしていて、肌もぴかぴかだったとき、わたしはおしゃれが怖かった。
お金がなかったんじゃない。
友達に誘われなかったんじゃない。
友達に渋谷に買い物に行こうと言われて「怖い」と断った。
何が怖かったんだろう?

育った環境が悪かった。自分が女だということに、自信を失っていた。
自尊心がボロボロになっていた。
だから、おしゃれできなかった。

今、わたしは、好きな服を買って、でも、まだ、定価で買えないでいる。
わたしには定価で服を買う価値がないと思っている。
安いものが似合うとどこかで思っている。
体や見た目に似合うんじゃなくて、「貧しい状態がお似合い」だと思っている。
でも、本当はそうじゃない。
身の丈に合ったくらいで、好きな服を買って、気持ちよく暮らす「権利」がわたしにはある。

若いころ、そういうものを奪われていた。
だから、今、怒っている。すごく。
わたしをそういう貧しいものにした者たちが、具体的に存在するから、わたしは怒る。

で、わたしは爪を塗る。
化粧もする。
「どこにいくわけ?誰に見せるわけでもないでしょ。誰もあんたのことなんて見てない。ファッションショーじゃあるまいし。
色気づきやがって。塗りたくってもきれいじゃない」と吐き捨て怒鳴りつける女は、今ここにはいない。
そして、もう会わなくていい。
何度も言い聞かせないと、会わないといけないんじゃないかという圧力に負けそうになるけれど。

わたしは、おしゃれをして、みっともないかもしれないけど、気分良く暮らしたい。
ブスで不細工でデブで汚い女なのかもしれない。そう思って仕方ない時のほうが多い。
そういうときは、茫然としているか、泣いているかしていて、たぶん、メンタルのせいで認知がおかしいんだと思って、精神安定剤を飲む。

ねえ、人をブスだとかデブだとか、シミがあるとか、塗りたくっても気持ち悪いとか言われることで、こんなにも人生が狂うんだよ。
わたしは絶対に許さないよ。
死ね、苦しんで死ね、と、いつでも思っている。
で、そういう自分のほうが、昔の「みっともないのがお似合い」だと思っていた自分よりもいい感じだと思う。


買ってはいけないと言われていた服を大人だから買った

ふわふわのシャギーのセーターと、やはりふわふわのワンピを買った。
実家では、自分の好きな服を買ってもけなされ、返して来いと言われていたので、おしゃれをするのが怖かった。
ふわふわのニットなんて、わたしには似合わないと思い込んでいた。

一緒に大学生活を送った友達は、ずっと渋谷で買い物をしよう、これも似合うよ、とかわいい服を勧めてくれたのに、わたしは「怖い」と言って断っていた。
それほど、わたしの心の中は母親に占められていた。

子供を産んで、わたしの親は、本当にひどいことをわたしにしていたのだとわかった。
柔らかくふわふわといい匂いのする赤ちゃんが、最近はよく笑う。
手をつないで、歌を歌うだけで喜んで遊んでくれる。散歩にも連れていく。きれいな服を着せる。
こんなに美しい生き物に、ひどいことをできたあの人たちはやはり異常者だった。それがよくわかった。
子供を産むと親の気持ちがわかるというが、わたしには余計わからなくなった。
産む前のほうが、「わたしにはわからない事情があったのだろう」と思えた。
実際に子育てをして、彼らの悪質さが、際立つ。どうしたって、この弱い生き物に、あれができることが理解できない。

ボロボロの服は、自尊心を削られた。
どう考えても、貧乏ではないのに、誰も着ていないような、時代遅れの服はつらかった。みじめだった。

ふわふわした服は、汚れる、誰が洗うんだ、似合わない、ファッションショーに行くわけでもあるまいし、色気づきやがって、など罵倒された。

わたしは、それが似合わないものだと思っていた。
時間は二度と戻らない。そのことを思うと、心がびゅっと穴が開いたような気がする。

それでも、わたしはこわごわと、ふわふわした服を買った。そんなに高価でもない。でも、わたしはとても幸せだ。

前述の友達はわたしに、「お母さんに子供を会わせないなんてかわいそう」と言った。
「かわいそうなのはわたしだ。会わせたいような親じゃないんだから、自業自得だ」と言い返せた。
でも、わたしは、やっぱりつらくなって、パニックになって、家で暴れた。

自分の人生を取り戻すことなんてできないかもしれない。
失った時間は絶対に帰ってこない。
今、あのとき着たかった服を着ても、気持ちは成仏しない。
あの時は着たかった事実は変わらない。その気持ちも消えない。

それでも、わたしは、服を買って、大事に着る。
わたしの傷は今も生々しい。わたしの青春も、一番柔らかな感受性を持っていたころ、みじめだった事実も、一番きれいだったころ、みっともない姿でいたことも、消えない。癒えない。

そんなわたしが、母に会うことはできない。
おしゃれは無価値なもの、おしゃれをするわたしをののしり、みっともない生き物だと思い込ませたあの人のそばにはいきたくない。

今でも悲しい。
ずっと悲しい。
悲しくて気が狂いそうな気持を、忘れようとしても、忘れることはできない。
波が押し寄せて、流されまいと、生活に縋り付いているだけ。錨のように、今持っている美しいものがわたしにはあるけれど、鏡に映るわたしは、中年で、フェイスラインも、体のラインも崩れている。
あの頃、わたしは美しくありたかった。きれいな、かわいい、気に入った服を着たかった。

わたしは、爪を塗る。朝起きたら、化粧をする。取り戻したいから。何をかわからない。
自己決定権のようなものかと思う。
でも、取り戻せない。むなしさに胸がかきむしられる。
それでも、続けるしかない。
わたしがわたしであるという戦いのために。

苦しく、悔しく、みじめな戦いだ。
絶対に取り戻せないものに抗って、頭の中の記憶はいつでも無差別に襲う。
そのたびに、わたしは狂う。


綺麗なもので心にシップをしたい

綺麗なもの、かわいいもの、美しいものを手に入れると、自分もきれいでかわいくて美しいものになれる気がする。
それは、気のせいだから、次から次へと消費の対象はうつる。目まぐるしく。
一回も袖を通さずに廃棄される服、化粧品、気まぐれに選ばれるアクセサリー。
自分の体のコントロールを奪われたことで、わたしは、自分の体や心のコントロールを失ってしまった。
コントロールを失うと、自分の体が自分のものだ、という当たり前の感覚がなくなる。
必然的に自尊心もなくなる。
一度、ひどい目に遭うと、ずっとひどい目に遭い続ける。そういう連鎖がある。
それは、わたしだけに起こったことじゃない。保育園で、年中の友達が、近所のお兄さんにお菓子と引き換えに体を触られると言っていた。でも、お母さんにそのことは言えないとも言っていた。そんな年齢から、わたしたちは、体も心も傷つけられ、幸せだとか安心だとか守られているという感覚を失ってしまった。
当たり前に得るものなのに。失うというよりも初めからなかった。

だから、わたしは、美しいもの綺麗なものかわいいものがほしい、それは、わたしがコントロールできるものだから。
買う、手に入れる、保存する、手入れをする、捨てる、無残に扱う、全部わたしの思うままだ。
普通に生きているだけで、娯楽にもSNSにも、心にやすりをかけられるような一言、言葉、情報があふれている。
歩けば、店に入れば、女という体は、人を、つまり日本において人と扱われるのは男だけだ、その男が、欲情するための媒介として、女の体が存在し、女は、あらゆる苦痛を、「快楽」に読み替える神経を持つものだというプロパガンダがふりまかれている。
針で刺されても、棒を突っ込まれ、こすられ、水攻めにされ、窒息され、拘束され、縛られ、殴られ、でも、女は、女という体さえ持っていたら、それらの苦痛は快楽になるのだと、そういう嘘が蔓延している。それをおかしいと言えば、「お前は気がくるっている」と言われる。

そして、あふれるそれらの加害性の高い情報を食べて、彼らは安心する、自分たちが持つ加害欲は、責められることもない「ただの性欲」なのだと肯定され、また、加害欲が再学習されていく。そして、わたしは無気力と無力を再学習する。

わたしの身に起きたひどいことは、勝手に起きたわけじゃなくて、男がわたしにしたことだ。
そして、わたしは学校に行けなくなった。だって、学校にはそいつがいたから。
わたしは、大学に行くのも苦痛だった。だって、男の大きな声がするから。
授業中にパニックになったときにも、教員にののしられた。「相手の子は何もしてないのにかわいそうでしょう」
その人は、セクハラ対策委員だった。比較文化論を研究していた。

わたしは、誰にも何もしていないが、わたしが行ける場所は限られている。学習するにも、体力も精神力もいるが、わたしは集中することができない。なぜなら、集中していると「あのこと」がいつでも浮かび上がってくるかもしれないからだ。
それが浮かび上がってきたら、わたしの体も心も「あのこと」に乗っ取られて、時間も「あのとき」に戻ってしまう。わたしは、現実を喪失している。

精神が不安定だから「メンヘラ」「きちがい」「頭がおかしい人」と言われる。
だって、それを言う人たちはわたしの過去なんて知らないのだから。
不安定で迷惑をかけるわたしの背景など、当然知ったことはない。だって、彼らは加害者ではない。そんなのは当たり前だと言い聞かせ、わたしはにっこりしながら早く死にたいと願う。ああ、そうだね、わたしは醜い、肉塊だ。

心臓がバクバクして呼吸が苦しくなる。空気がうまく吸えない。空気がなくなってしまったようだ。

早く忘れたらいいね、命があってよかったね、魅力的だということだからよかったね、自慢?
あなたがだらしないから目をつけられてそういう目に遭うんだよ、何度もそういう目に遭うってことは自衛する気がないか、もしかして望んでいるんじゃないの?

わたしは、わたしの体を一つ一つ切り落としたい。
あのことに触れた部分を一つ一つ切り落としたい。そうして、残った部分がきれいならば、その部分だけで生きなおしたいと願うのだけれど、そんなことができるはずもない。

わたしは、わたしが不安定になったのは当たり前だと思っている。
でも、仕方がないよね、と許されて、存在するくらいならば、消えてしまいたい。
わたしが「いてもいい」と許可を与えることができるあなたは、どうして、当たり前のように、わたしよりも「えらい」わけ?
どうして、許可を与え許すことができる立場に、あなたは当たり前に立てるの、そしてわたしはいつでも下の立場にいなければならないの?あのことがあっただけで。たまたま、あのことに出会わなかったあなたが。

がらくたを集めるようにしか、今日を生きることができない。
明日も生きられるのかわからない。
昨日生きていられたことはもう忘れてしまいたい。
心にやすりがかけられてしまうから、だから、心にシップをしたい。


散財してしまうこと

今日一日で、一か月分のお小遣いを使い果たしてしまった。
パートナーが稼いで、パートナーがやりくりをしている。
パートナーは自分のものをほとんど買わない。
必要なものでも、迷って買う。

パートナーはわたしを許している。
わたしは、自分を許せないでいる。
でも、散財する。
散財して、その日を生き延びている。
生きていてくれとパートナーは言う。
わたしは、生きることにめげそうになる。めげる。

親と絶縁する前、美容や衣服に関心を向けることが許されなかった。また、元夫が、わたしのお金を使い果たしてしまった。
それで、人に使われる前に自分で使ってしまいたい、自分の人生に対する思い残りを、片付けたい、という気持ちがあるんじゃないか、と自分では思っている。

去年は、生活に支障が出るくらい、買い物をした。
今年は、管理できる範囲で、散財をしている。
少し、ましになったのかもしれない。
わたしが散財するために、パートナーは様々な苦労をしているが、彼はそれを苦労だといったことがない。
わたしといることが幸せだという。
いつも、不思議になる。信じられない、とは思わない。だって、本当にそう思っているみたいだから。
でも、本当に不思議だ。

彼は子育てがしたいという。
でも、彼自身は男だから産むことができない。
わたしは、彼に、子供を育てる経験をプレゼントできることをうれしく思う。
子供はプレゼントじゃないけどね、子供の人生は子どものものだから。
でも、子供にお父さんと呼ばれることや、成長を一緒に見る経験を、彼と共有できることは、わたしができるほとんどすべてのことじゃないかなと思う。
彼は生き物が好きなのだ。

散財も、いつか、落ち着くといいと願っている。
でも、それ以上に、わたしが、生きることに、めげても、寝たきりになっても、死を選ばないことを、一番、がんばりたい。
ゆっくりの歩みで、マイナスから始まって、ゼロに近づくだけなのかもしれないと、立派な人たちを見るたびに思うけれど、わたしは、わたしの体の外に出られない、そして、わたしはわたしの心の外にも出られない、ようは、未来に、わたしが今とは別人になることをほんの少し希望することができるだけだけ。
毎日を積み重ねるというのは、その希望を持てるということでもある。


波のように、悔しさと幸福が押し寄せる

外の空気は、あまりにも甘美すぎて、窓を閉じることができない。

朝六時といえども、七月中旬の気温は少しずつ上がっている。
草木が、勢いよく世界を征服し、鳥は鳴く。かたかたと何かの声がする。
ドアと窓を開け話して、風が通り抜ける。湿っぽく、生暖かい、太陽は上った。

自分の人生を切り開けるようになったというのに、わたしの心は、過去に囚われていて、体とばらばらに動く。
過去に戻って、あいつらを殺したいとつぶやいているうちに、激情が、今の人生を邪魔しに来る。
邪魔しに来る感情だって、わたし自身だというのに、わたしはその感情すら憎い。
その感情がなければ、今の人生を邪魔されることもないのにと。

自分の人生を作り出す、自らの光を拡大する、体の中にあるブロックとの対話、というテーマで、セッションを受けた。

つらいこと、しんどいこと、思い出したくないことが、勝手にわたしの中から湧き上がってくる。わたしはそれに翻弄される。なんとか踏みとどまろうとする。
激情から、気持ちが切り替えるために、いろいろな努力を必死でする。その努力も、なくてもよかったはずだ。

ただ、わたしは、今夢見ることができる。
こういう風に生きていたい、あの場所に行きたい、そういう夢を見る。
それをときどき実現することもできる。実現する前に、それをともしびに生きること自体が、わたしの力になる。
決して実現しない夢を待ち焦がれていた、無力な自分だったころ、成人した後も、「成人したくせに、自分の生きたいように生きられない自分がみじめ」だと身動きが取れなかったころ。

今は、夢を見て、実現することが、わたしの幸福だ。
余分なお金も時間もかかる、でも、お金を貯めるために生きているわけじゃない、今を生き延びるために、働いて、お金を稼いで、そうして、延命しているだけじゃなくて、なぜ生きるかの理由を補充するために、わたしはしたいことを、する。
したいことを、思いつかないように、息をひそめて、そう、だって、したいことがあれば、耐えられなかったから、でも、そんな時代を終わらせることができたのは、自分の力だと誇りにも思う。

自分で生きていける、でも、あのころ、奪われた大切なものは、人生は、二度と帰ってこない、彼らには返す気もなければ、人生を奪った気持ちすらない。

奪われたことが苦しく、苦しんでいる間にも時間は過ぎ、その苦しみ自体が憎い、その気持ちが自分に向かって、憎しみを忘れられない自分を攻め立てる。

今は、幸福だと感じることがある。眠れない、動けないほど、幸せだと感じることがある。

苦しみの中で光る宝石のような気持ち。

わたしは、父が愛人を作って出て行ったこと、出ていくときに「大人になればわかる」としか言われずドアをバタンと閉じたこと。
愛人と暮らしながら、ときどき、わたしたちの家に来て、食事をしたり、一か月に一度呼び出して、食事会をして、帰りの自動車の中で、手のひらの中に、小銭を落とされたこと。恵まれたこと。
みじめだったこと。家に父がいないことを人にばれないようにするために、家に人を呼んではいけない、祖父母がかわいそうだから、口外してはいけない、そういわれて育った。かわいそうなのは、秘密を押し付けられた、子供だったわたしなのだと、ようやく、言えるようになった。

父の秘密を、わたしは、ずっと言わなかった。
離婚もせず愛人宅に潜り込み、成人した後再会したとき「貧乏で苦労した」とわたしに言った父。
有責になったのは、じぶんのせいだ、わたしのせいじゃないのに、そういったことを言える父。
そういう父に、金銭的に世話になる気持ち悪さ、感謝を要求されること、そういうことを、わたしは、誰にも言えなかった。

あなたの介護をしない、といったときに機嫌を悪くした父。
愛人は、わたしの母に「介護はこちらがします」と啖呵を切った。だから、わたしは、個性も違うから、父の面倒を見る義理はない。
だから、そういったけれど。

父は、わたしが元気か、とか、お金に困っていないか、とか、聞かずに、人に迷惑をかけなかったか、と、聞いた。
わたしが、体と心を壊して、前の仕事を退職したと報告したときに。
わたしは、父に迷惑をかけられた。
父は、母と相性が悪いのなら、離婚してから、愛人と付き合えばよかった。
そうじゃなかったから、わたしは、とても苦しかった。
母は、壊れて、わたしをいじめた。
父は、共通の知人に、母の悪口を言って回り、共通の知人から、その話を聞いた。
父が思う以上に、わたしは、彼がどういう風にふるまっていたか、覚えているし、調べている。

彼の幼馴染に、話を聞きに行ったし、彼の姉に、父のもともとの性質を聞いた。

愛人宅と同じアパートに住んでいた人からも、どういう生活をしていたか、聞いた。

彼らは、わたしたち、母子に仕送りをしていた間、どれだけ苦労したか、わたしに話した。
わたしが、どんな苦労をしたか、彼らは大人で、わたしは子供で、わたしが選んだことは一つもなかった。

秘密のために、交友関係は、規制され、学校の話題で、父親がうざい、という話が出たとき、微笑むしかなかった。

腹違いの妹に、わたしがいることを、父は、ずっと隠していた。
それなのに、妹に、わたしの名前で呼びかけることもあったらしい、間違えて。

父は、わたしと過ごした日々を、きれいな思い出として話した。パパっ子だったとか。
わたしは、父が、気に入らないことがあれば、新聞紙で机をたたき、箸を放り投げ、母の見ていないところで、わたしたちをいじめたことを覚えている。
確かに、一緒にお風呂に入ることは楽しかった、でも、一緒に入るのが恥ずかしいと断った日、不機嫌になって、手のつけようもなくなり、泣きながら、ごめんなさい、一緒に入ります、だから、許してくださいと泣いたことも覚えている。
父は覚えていないらしい。

元愛人の現妻は、父とわたしが講演で一緒に遊んだり、自転車に乗るための特訓をした経験があるから、腹違いの妹にはその経験がないから、あなたはうらやましい、恵まれている、といった。
わたしの父は、十歳の時からいない。それ以降の年月は、ずっと、わたしの父を盗んでいた人が、わたしに、そういうことを言う。

父の家から、出て、でも、父に貸していたものがあるから、取りに戻りたいといったとき「あなたと会うと、動悸がするから、来ないでください」とラインが来た。
それで、わたしは、彼らと没交渉になった。
父に、訴えたが、わたしが悪いということになった。

親戚は、助け合うものだと教えられていた。だから、祖父の介護を、長期休みのたびにしに行った。
母は「いい経験をさせてもらってありがたいと思いなさい」といった。
でも、母は、介護をしには来なかった。

祖父が亡くなり、祖母が亡くなった。
わたしが苦境にたったとき、親戚たちは、わたしから離れて、助けることはせずに、わたしを葬式に呼ばなかった。
助け合うことが前提だったから、わたしは、それを信じていたから、時間を割いて、労力も咲いてきたけれど、祖父母が要で、守っていてくれただけで、タガが外れたらそんなものだった。
祖父母を守るために、わたしは嘘をつきとおさなくてはいけなかった。
二十年間も。十歳の時から。うすうす気が付いていた祖母に、嘘をつくことはきつかった。
誰も助けてくれなかった。
母がおかしくなったことも、彼らは知らなかったと言った。その間も、交流があったのに。
妹が家を出ていたのに。それも知っていたのに、うちが異常だとは知らなかったと、彼らは言っていた。

わたしは、ようやく母だけではなく、父も、親戚も、子供だったわたしが犠牲になることで、丸く収めようとしてきたことを、語れるようになった。

それで、ようやく、自分の人生を、歩めるのかもしれない、といくらか思えるようになった。

母には虐待されていた。
寝かしてもらえない、お金があっても、習い事をさせない、母の思うこと以外はさせない、けがをしたら、ぼんやりしていたのが悪いと、病院に連れて行かない、救急車で運ばれて点滴を打っている間も、胸ぐらをつかんで、いくらかかると思っているんだ、と叫ぶ、下着を買ってくれない、洋服も一年に一度、一着しか買ってくれない、サイズの合わない水着を着せられて、胸がはみ出してしまったことを笑う、着替えやふろをのぞいたり写真を撮ろうとする、赤ちゃん言葉で話しかける、二十歳の時の誕生日プレゼントが、三歳児向けのおもちゃだった、腐ったものを食べさせられた、虫だらけだと言ったら、そんなことはないと激怒された、生理の時に驚いて泣いたら、怒鳴りつけられた、生理ナプキンの使用量が多いとののしられた、妹と、わたしでは、食べてもいいものが違っていた、妹専用の食べ物があった、わたしの帰宅時間は五時まででも、妹は、夜の十二時まで門限が許されていた、わたしが気に入らないことがあると、母は、寝込んで無視したり、家出をしたりしていた。
部屋のドアを閉めることを禁じられていた、寝ているときに、口にキスをされた。
十五年前のおさがりを、十五歳以降になっても、着せられていた。
お金がないわけじゃなかったはずなのに。

今日は、きれいな空気の朝で、今日一日は、わたしのものだ。
亡霊のように、記憶の中の父母が、わたしをコントロールしようとする。だから、わたしは、厳密に言って自由とは言えない。でも、この、朝の空気だけは、わたしのものだ。

受けたヒーリング
アロマ&ヒーリングルーム睡蓮


産む前のつらさ

体がだいぶしんどくなってきた。
おなかが日に日に、一日ごとに大きくなっていて、驚く。
膝に負担がかかり、ふくらはぎがつる。
むくみがひどい。
腰も痛い。
おなかが重たい。
膀胱や胃が押されて、痛い。
体重管理が難しい。
イライラしてしまう。わけもなく泣いてしまう。

親に、自分の子供を会わせないといけないかどうか、一瞬考えた。
でも、それから一晩落ち込んで眠れなくなってしまった。
たくさんされた、ひどいことを思い出した。
今、中学生や高校生を教えていると、明らかに子供で、幼い。
あの、幼い人たちに、ひどいことをすることは思いつかない。
でも、わたしはされた。

おなかにいる子供は、明らかにわたしと違う生き物だ。すでに意思のようなものがあり、わたしの思う通りにはならない。
他人だとつくづく思う。
だから、死なないように、育つことを手伝いたい。
育てる、ということは、できないと思う。子供が、勝手に、自分の力で育てるように、わたしがサポートするのだと思う。

わたしは、勉強以外の娯楽を禁じられていたので、勉強に面白さを見出した。
何かするときは必ず母親が同伴だった。
いつも、お母さんがかわいそうだった。
かわいそうだと思わされていたのだ、と気が付いて、ああ、人生をそのせいで、ずっと盗まれていたのだと気づいてからは、怒りが止まない。
盗むための手段として、泣いたり、怒ったり、脅したり、ありとあらゆることをされた。
彼女の人生に対する欲求不満を、わたしにぶつけられた。
父は、愛人を作り、出て行った。大人になればわかると吐き捨てられたが、いまだに理解できない。
面会交流を強いられたが、断ったら、養育費を払わなくなるのだと思って、応じていた。そのストレスで、病気になった。

母はわたしにしがみつき、父はわたしを捨てた。
都合のいい時に、暇つぶしのようにかまっては、飽き、自慢できるように、育てられた。
わたしが何かを成し遂げたときに「喜ぶな」と言われた。
それでいて、親はわたしのことを自慢し、「いい親御さんですね、育て方がいいから」と言われてはにたにたしていた。
わたしの努力なのに。盗まれた。感情を。

わたしは、生きる手ごたえを失い、感覚がなくなり、幻聴と幻覚を見て、自分から乖離した。
そのために、さまざまな事件に遭って、何度も死にかけた。

逃げればよかった、と言われた。愛人から後妻になった人からも言われた。
でも、わたしは、逃げられなかった。
逃げられないように、感情や判断力や、情報をコントロールされていたし、体調が悪くなるように仕向けられていたからだ。
今思うと、具合が悪くなったりけがをするようにさせられて、そして、罵倒され、看病されるというパターンがあった。
救急車で運ばれると、胸ぐらをつかまれ、罵倒されたことがあった。
病院には、連れていかれなくなった。
お年玉で病院に行った。
祖父の介護を休みを使って手伝わされたが、母はしていなかった。
そして「老いて死ぬことを勉強させてもらってよかったね」と言われた。
わたしの経験のために、祖父は老いて死んだわけではあるまい。
それは、愛犬が死ぬときにも言われた。
母や、そのほかや、とにかく誰かのケアをさせられた。それをさせるために、「かわいそうだ」という感情を刺激された。
就職することも、「やめなさい」と言われた。
「あなたにはできない」と言われた。
父にも、「お前には、自動車は運転できない」ということを言われた。

以前、離婚したとき、堕胎をするかどうか、悩んでいた。
それを父に相談したら堕胎を勧められた。
フォローはできないと言われた。
結果的に、自分の判断で堕胎をしたが、常に、そのような目に遭ったことの「責任」を理解しろ、と言われた。
でも、思えば、父も離婚をしただけじゃなくて、婚姻中に愛人や子供を作り、わたしの母の悪口を方々で言っていた。
その人に、ただ、離婚するだけで、ああいわれることには、今では納得がいかない。
その時には、母には「ご勝手に」とだけ言われて、電話を切られた。
それ以来、連絡していない。
母は、何か相談すると、わたしを突き放し、傷つけ、動けなくなってから、それでも、わたしがすがって、手助けを頼む、というパターンを常にしてきた。
だから、あれも、その一環だったのだろう。

わたしは、本当に、どうして、親が、ああいう風にわたしに接したのか、理解できない。

わたしの体内にいる小さな人間に対して、コントロールしたいとか、傷つけることをしたいとか、思わない。
でも、彼らは、わたしにひどいことばかりをしたり言ったりした。

父方の祖母が、わたしに最後にかけた言葉は「あんたは非情な子だね、非情ってわかる?冷たい、ってことだよ」だったし、継母がわたしに最後に言った言葉は「あなたに会うと動悸がするから、家に来ないでください」だった。
でも、彼らはそれがひどい言葉だとは思っていない。

わたしは、これから子供を産む。
わたしは、彼らに一生子供を会わせない。
彼らは必要がない。

それでも、わたしは、思い出す。
そのたびに、その時に戻ったように、苦しい。
もう、終わったことだとは思えない。
わたしの中で続いている。