偽医学にご用心

薬は体に悪いという人がいる。
しかし、病気は健康に悪い。
当たり前だ。
薬で病気の症状が軽減できたら、その分、楽に休むことができる。
根本的な治療にこだわる人がいる。
たとえば、わたしはアトピーで皮膚がボロボロだ。
ステロイドを適切に使えば、亜鉛軟膏を使えば、傷は早く治る。そうすると、感染症から身を守れる。
生活の質も上がる。でも、それを許せない人もいる。

皮膚がボロボロで傷だらけで、バリアーの役を果たせず、痛みやかゆみがあるなら、それを取り除くのが先だ。
体質は変わるかどうかわからない。

でも、根本的に体質を変えろと言ってくる人がいる。
健康的な人には信じられないかもしれないが、根治しにくい病気を持っていると、ハイエナのように、新興宗教やマルチに勧誘される。最初はただで渡される。良いでしょ、薬や病院に頼ると、体の力が失われるの、根本的に治さないと。
一時的に悪くなっても、それは好転反応。幸せになりたいよね?

うちの母は、自然なものにこだわって、洗濯も粉石けんに変えた。そのせいで、洗濯物にはカビが生え、アレルギーは悪化した。
一人暮らしになってから、精神的にも肉体的にも、ずっと楽になった。
アレルギー物質を除去するために、一日エアコンをつけ、空気の出入りを減らし、乾燥機をかけ、ハウスダストを減らすためにこまめな掃除をする。それが自分でコントロールできるのは素晴らしい。

サプリも漢方も、副作用がないと勧めてくる人がいる。
副作用があるかないか、それは、調べてないから、わからない。わからないから、ないってことになってる。そういうことだと思う。
普通、効用のあるものには、副作用があるものがほとんどだ。それが普通だ。効き目のほうが、副作用より、益があるから、使える。
副作用があるとわかっているものは、医者がコントロールできるということだ。

漢方外来に行ったら、牛乳をやめて、肉食もやめろと言われた。
藁にもすがる思いで行ったので、しばらく気になった。
でも、アレルゲンでないものを除去する理由はないと結論した。
もし、牛乳をやめて、アトピーが治るなら、もう、そういう調査や研究が行われているだろうし、でも、そういう発表を聞いたことがない。
その人は、日本人は肉も牛乳も食べてこなかったから、体質に合わない、だから、肌が鮫肌になる、と主張してきた。
でも、縄文時代に、日本人は肉を食べていたはずだし、平安時代には牛乳があった。言っていることが無茶苦茶だ。
ようするに、根拠がない。思い込みだ。
食べたことがないものだから駄目なのだったら、お茶もだめだろうし、コーヒーもだめだろうし。
牛乳や肉は、栄養が豊富だ。それを捨てるメリットが「一年後にアトピーが良くなるかもしれない」ということだけだ。
その間悪くなったとしても「好転反応だ」と言われる可能性もある。
責任を取ってもらえない。痛いのもかゆいのも自分だ。

関係ないことなのに、母親と仲良くしろ、どうして、距離を置いているのだ、と言われたこともドクハラだと思った。

そんなことまで、どうして言われないといけないのか。
精神疾患や、自閉症だということも伝えた。摂食障害があることも伝えた。なのに、それらは考慮されなかった。

以前、中国に東洋医学を学びに、留学した西洋医学の医者にかかっていたことがある。
その医者は、「あれもだめ、これもだめ、と言っていたら、食べるものがなくなっちゃう。水も飲めなくなる。だから、バランスよく、いろいろなものを食べて、一つのものを食べることのリスクを減らすことが大事」ということを言ってくれた。
わたしは、そのころ、ほかの漢方薬局に「医食同源。あれを食べるのは体を冷やす。これは炎症を強める」など言われて、食べるのが怖くなっていた。

新聞広告の「この病気にはこれがきく」みたいに書かれている病気になると、いろいろな人が、寄ってくる。
そういう病気は、治りにくい。だから、カモになる。
医者にかかっていると治らないと、その人たちは言ってくる。
でも、耳を貸したら、いけない。
もし、効き目があるなら、標準医療になっているはず。
そこまで、医療は人が悪くない。医者は基本的には、人を助けたいと思っているはず。
相性の悪い医者だったら、逃げる。
元気なうちに、相性のいい医者を探しておく。
弱っていると逃げられない。

注 漢方もサプリも、医者に相談しながら使ってます。
使いようで効き目がないわけじゃないので、うまくつきあいたいですね。
基本は標準医療がいいと思います。
個人的な考えで、医者じゃないので、わたしのいうことも鵜呑みにしないでほしいです。

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やだなと思うことからちょっとだけ気をそらす

人と関わる仕事は、自分のペースでしにくいし、割も合わないと思うことがあるんだけど、そうして知り合って、長く続く付き合いになることもあるから、投資でするつもりで、「やだなー」と思う気持ちをそらすことができる。

別に本当に後で役に立たなくてもいいんだけど、今、この場で、やだなーと思う気持ちをそらせればそれでいい、という場面は多い。

死にたいと思う気持ちを解決しなくても、そらしているうちに、時間がたてば、忘れるみたいなもので。
解決しなきゃ、と思うと、集中してしまうから、問題が重くなる。
それよりも、気をそらして、問題に関わらないようにしながら、ほかのことをやるテクニックもだいぶ必要だ。

教える仕事は、人を育てる仕事でもある。
昨日、わたしは、有名にもならないし、歴史にも名を遺すことなく死ぬんだろうな、と思った後、でも、普通の人生を送れ得るから、わたしとしては、だいぶいいんじゃない?と思えてうれしかった。
人を育てるといっても、わたしが関わった子たちは、みんな、きっと歴史に名を遺すことなく、有名にもならず、一生を送ることになる人たちがほとんどだろう。
でも、わたしが伝えたことで、人生がちょっとでも彩られたり、困ったときに頼る先を増やせていたりしていたらいいと思う。

中高生というのは、どんなに社交的でも、勉強ができても、やっぱりきつい時代だなと思う。
生徒に、高校生に戻りたいか聞かれると、絶対ヤダ、あれは二回もしたくない、それで今の人生がもっと良くなるとしてもヤダ、というと、彼らはちょっとほっとした顔をする。

別に、やだなという気持ちを共感しあったところで、問題は解決しないことのほうが多いんだけど、お互いにあれはヤダ、とか言っている間に、気持ちがそれて、別のことができるようになる。
それは、とっても生産的だ。問題を解決しなければならぬ!と思って時間を無駄にするほうがよっぽど馬鹿らしい。
別に生鮮的である必要もないしね。

子供を産む以上に生産する仕事はないと思うけど、男社会の中では、子供を産むことでその間仕事ができないというのは、生産的じゃない!って価値観がある。
ばかばかしい。
そんな人為的なもので、精神を引き裂かれるなんて、まっぴらだ。

もっともわかりやすい問題でも、こんなの、解決なんてしなくていい、と思う。
産みたいから産むし、生産的かどうかなんて知るかと思うし、国のために産むわけじゃないし、子供のためでもなく、わたしのエゴで産む。それでいいし、それ以外のことも、わたしのエゴ。エゴを満たして幸せになるんだ。

男社会の問題が解決する前に、わたしはたぶん寿命が来る。
その間に少しでも、男社会はばかばかしい、ってのを周知したい。

男のルールでできた試合場で命がけで戦うのはバカだ、でも、現実的にはお金も稼がないといけないしそうすると男社会のルールもわかってないといけないね、というののバランスはとらないといけないから、女の子にも男の子にも、子供たちにはサバイバルの方法を伝えたい。

問題に近づきながら、核心に踏み込みながら、でも、飲み込まれないで、気をそらしながら、自分の生活とのバランスをとって、わたしのルールで生きていきたいよ。

男から降りました、って言っても、単に、稼ぐだけの人生をやめただけだったり、お前全然ジェンダーロールから降りてないじゃねえか、ってこともたくさんあって、いらいらもする。
ロジカルシンキング男なんか、本当にくそだ。前提の知識が間違っているのを、ロジカルに結びつけても、間違った結論しか導き出さないのに、俺は賢い、とのたまうのを見ると、言葉が通じねえ、と無力感にさいなまれる。

自分の子供を、「人材」なんて呼ばれて、使い捨てにされる未来を幻視すると、めまいがする。そんなことのために、爆発しそうな腹を抱えて、つわりを耐えているわけじゃねえ。

行き詰まっているのに、既得権益があると、文句を言いつつ降りられない。
でも、やっぱり、変わらないといけないね。
時間は動いているし、人間は増えたり減ったりしているから。

まともに、世界のつらさを見てしまうと、生きていることもできなくなってしまうから、ちょっとだけ、のぞき見ながら、目をそらしながら、気をそらしながら、でも、真ん中の部分は間違えないように、心の中を点検しながら生きていかないとなと思う。

たいていのことはばかばかしい。
ばかばかしいことが本質だ。
ばかばかしいことに振り回されて、消耗して、死にそうになる。
死なないように生きていきたい、そう思う、生きていきたい動機がまだ見えないけど。

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気分障害は厄介だ、突然死にたくなる

今日はとても楽しかった。
楽しい気分でいた。お香を焚こうと思ってライターに手を伸ばしたら、「死にたい」という気分になった。
それは、まったく何の脈絡もなかった。
こういうときは「死にたい気分」とわたしの人格は切り離せる。
あんまり脈絡がないから、わかりやすい。
でも、何か出来事があり、動揺している隙に、忍び寄る感情に対して無防備な場合があり、そういうときには、気分と自分を切り離すのに苦労する。
さっきは、突然の死にたさ、悲しみに押し流されることはなくて、そういう人がやってきたから、追い返すこともできないけど、入ればいい、でも相手はしない、という対応ができた。

いつもそうだといいんだけどね。

気分障害というのは、そういう病気で、厄介だ。
自分で自分をコントロールできない。気分がやってきて、わたしをめちゃくちゃにする。
気分の力は強い。気分がわたしをどうにかしている間、自分が人形になったような気がする。
でも、乖離するのも、危険が多いから、気分をごまかしながら、自分のしたいこと、本当の気持ちを探ることを続けないといけない。
気分障害がなかったら、こんなことしなくてもすむから、楽だろうな、と思うけれど、気分障害じゃない人は、楽だということも気が付かないだろう。だって、困ってないからね。

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お金の支配

父が出て行ったあと、婚姻費用も養育費ももらっていたから、金銭的には困っていなかったはずだが、お金に関して常に重苦しい気持ちでいた。

母は家にいて、わたしたちを監視するような子育てに没頭していた。
そのころあった新興宗教やコミューンの名前とほとんど遭遇していた。だから、今でも、自然食品とか、健康のために何とかというのは、苦手意識がある。新興宗教に入ることもなかったし、コミューンに入ることも、運良くなかったけれど、それによる被害はあった。

自分たちに愛情のない人が払っているお金で暮らすというのは、精神的につらいもので、物理的な制約はなくとも、一緒に暮らしていた時から気分屋だった人の気分を損ねたらどうなるのかと思うと、たまに会うことも矯正のように感じられ、逆らうこともできなかった。いわゆる面会交流のようなものだと思うが、会った後には、じんましんと高熱が出て、三日は学校を休んだ。
ストレスで自律神経もおかしくなったし、学校で倒れることもよくあった。
でも、拒否すると、暮らしていけないのではないかと思ってできなかった。

そういう経験をすれば、早く働きたいと思うものだと思うが、わたしは働くのが遅かった。
お金がどこからか、何もしなくても、入ってくるという生活をしていたので、お金のというものが人を支配することは知っていても、自分で稼いだら自由になるのだ、ということに結びつかなかった。

働こうと思ったのは、知り合いのおじさんが「親が死んだら、食っていけなくなるだろう」と言ってくれたおかげで、それでようやくお金と自分が結びついた。

働いてお金をもらうということを見て学ばないとわからないタイプだったようだった。
それからは、働くことに必死だった。

自分でお金を使うとほしいものが手に入るという単純さにひかれて買い物をしまくった。
依存症になってしまった。
今もまだそういう傾向がある。
自分で自分をコントロールできないというのは、恐ろしいものだ。
自分の意思で止められない、かといって、人に言われた言葉でどうすることもできない。
具体的な支援が必要だった。そして、支援とつながった。

家族ではない、行政に支えられるというのは、なんと気楽なのだろう。
愛という名の支配に、顔色を窺って、奴隷にならなくて済むのだ。

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加齢の変化の美しさ

若いころ、わたしは、野山の美しさはわかっても、年取った人の美しさに鈍かったような気がする。

老犬を介護して、くさくてよれよれでも、今日も生きてくれたとうれしかった日々、祖父を介護して、ポータブルトイレの臭さを紛らわせるために線香に火をつけた日々、そういうことが、積み重なって、少しずつ、見えてきたものがあると思う。

わたしは、よく昔のことを、自動的に思い出す。思い出そうと思うから思い出すんじゃなくて、ふと、日常に映像が紛れ込む。
それによって、苦しかったりうれしかったりする。
祖母と一緒にまんじゅうを作ったときのことを思い出すとうれしい、原家族のことを思い出すと苦しい。

わたしは、比喩ではなくて、傷だらけだ。年も取ったし、太った。
ちょっと前まで、常に自分を醜いと思う心と戦っていた。
今も、たいていは戦っているのだけど、ふと、いや、でも、傷だらけで、シミだらけで、太っていて、年も取ったけど、美しいのでは?と思うことがある。

以前は太っている人を見ると、太っているなあ、とただ思っていたけれど、人を知ると、この人の笑顔は素晴らしいな、とか、動き方がきれいだな、とか、そういうほうに目が行くようになった。

若くてきれいな子供をたくさん見る職業だからか、若くてきれいな子供は素晴らしい、でも、それをずっと維持するために生きるのはばかばかしい、まるでロリコンだ、という風に思うようになった。
年を取れば、傷もつくし、肌も衰えるし、体も変わる。
でも、それが美しくなくて、醜いのかというとそうじゃないと思う。
化粧も髪も完ぺきにしている美しさもある、でも、完ぺきじゃなくてもほどほどに自分を慈しんでいる美しさもある。

美しいと感じるものの幅が増えて、種類が増えた。
そういう目で、自分を改めてみると、そう、悪くはない、むしろ、よい部分もあるんじゃないか……、と精神的に余裕があるときは思える。
具合が悪い時は思えない。そういうバロメーターみたいに思う。

そろそろ、赤ちゃんに会いたいから、早く出ておいで、と声をかけると、動いて返事をしてくれるかのようだけど、まだまだ、出てきてくれないようだ。
もう少しおなかにいたいという強い意志を感じる。

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わたしの住んでいる街、長野

たいていの人にはどうでもいいと思うのだけど、わたしが住んでいるのは長野市だ。

長野市は、長野オリンピック以降、借金の返済に追われ、全国でも有数な高い税金を誇っている。もちろん、今でもそうだ。
ひいひい言いながら、税金を払っている。
その代わり、福祉と教育には、お金をかけていた。
今は、少子高齢化、というよりも、人口減に悩んでいる。
やっと、借金返済のめどが立ってきたのに、人口減のため、公共サービスの継続が難しくなるのだ。
手始めに、水道料金が値上がりする。水道には、管理や設備投資がいるのだ。

ところが、出生率は、平成十七年から、増加し続けていて、平成27年の今年は、なんと出生率が1.55にまで上がった。
わたしも今年産むが、長野市の手当ては、たいしたもので、妊娠の間には、ほとんどお金がかからなかった。すべてが補助金で済んだといっても過言ではない。
出産費用も、ほとんどが、補助金でカバーされるので、自費で払う金額は少ない。
優待もたくさんある。保育所にかかる金額も、少ない。保育所も、たくさんある。
民進党と、共産党が強い土地柄でもある。保守的ではない。
共稼ぎがほとんどなので、ゼロ歳児保育をするといっても、何か言ってくる人もほとんどいない。

福祉の充実ぶりは、驚嘆に値する。国保で障碍者だと、医療費が、ほとんどただになる。月に、500円払えばいい。
それは、長野市独自でしている制度だ。他県にはないことに驚いた。
市役所も、とても、親切で、総合案内のお姉さんに、「こういうことで困っている」というと、適切なところまで案内してくれる。そして、一回座れば、次から次へと、職員さんがやってきて、手続きと説明をしてくれる。
わたしたちが、移動する必要がないのだ。
障害福祉課は、非常に親切だ。どういうサービスが受けられるか、どうやって生活を立て直すか、教えてくれる。
ほかの自治体では、自分で調べて、こういうのをお願いしますといわないと、存在も教えてもらえなかったような制度も、向こうから教えてくれ、手続きを進めてくれる。

この前、タクシーに乗ったら、女性の運転手さんが、「うちは、事実婚なんだけど、事実婚届けがあって、それを出すといいわよ」と教えてくれた。
ネットでググっても出てこないが、今度、聞いてみようと思う。

十年前、長野市は、ゴーストタウン化した。しかし、今は、だいぶ活気が増えてきた。

映画館も三つあり、そのうちの一つは会社ができてから120年続いている。
本屋さんも、数は減ったが、まだある。それぞれ個性を売り出している。
松本市には、ブックカフェの文化が盛んだそうだ。

週末には、音楽フェスがよく行われている。ジャズ、ロック、邦楽、伝統的なお囃子など。
公共の場所で、ビアガーデンが行われる。
外でちょっと遊んだり、飲んだり、食べたりする場所がまだある。
東京では、空気を吸うのにも、座るのにもお金がかかる感じだったけれど、ベンチがそこらへんにあるので、座って、のんびり山を眺めたり、花を見たりすることができる。
夕方には、定時で帰る人たちでいっぱいだ。街中を歩くのも楽しい。
ただし、夜は早くて、十時には居酒屋は閉店する。土日も休みだ。

地域医療も盛んで、田舎でも総合病院が頑張っている。佐久総合病院というところが、戦後から、地域医療に力を入れてきた歴史がある。有名な医師に、若月先生という方がいる。

生活指導を医師や、保健師さんが一生懸命行っているから、寿命も長い。ぴんぴんころり地蔵、というのがある。その名前を聞くと、他県の人はぎょっとするようだが、長野の人は、そこにお参りする。長生きはしても、ぴんぴんしていて、ころっと死ねるのが理想なのだ。

昔、姨捨ということがあった。姨捨山という地名の場所がある。実際に行くと、少し恐ろしい感じのするところだ。
長野は貧しかった。長野が変わったのは、生糸産業で、日本の三分の一の海外輸出のお金を稼げるようになってからだ。
今では、教育県ではないと自嘲的に語られるけれど、やっぱり、教育をさせようとする意欲はまだまだ高いと感じる。
進学率は、そんなに高くはないけれど、一人一人の学力が高いと感じることが多い。

長野県には、在日韓国人がたくさん住んでいる。それは、戦中に、地下防空壕を作るために、たくさんの人たちを連れてきたからだ。
天皇家を住まわせ、首都機能を地下に移動させる計画があった。
たくさんの人が使役され、死んでいった。
そういう歴史もある。
今でも、レタスなどに関して、人身売買が行われているという現実もある。

観光地として有名だが、観光地というのは、景気に左右される。
景気が良ければ、お客さんが来るが、悪くなれば来なくなるし、飽きられるということもある。
最近は、外国からのお客さんが多い。
地獄谷のサルの写真が、全世界で有名になったために、アジアからも、北欧からも、本当に世界中から人が来る。この前、道を聞かれて、どこから来たのか尋ねたら、ポーランドだと言われて、本当に驚いた。
ムスリムの人も、よく見るようになった。
おやきが有名だが、外国の人には、食べにくいということで、おやきをつぶして、クレープにして、提供したら、当たったらしい。

観光地に住むわたしとしては、観光立国という方針は危うく感じる。

長野は、生糸産業の流れを継いで、精密機械や、パソコン、素子を作る流れがある。
有名なところでは、信州大学の繊維学部だ。
繊維学部という名前だが、やっていることは、素材の開発だ。
そこが、技術を引っ張ってくれているので、まだ、工業系の産業がある。
だから、賃金は、東京に比べると非常に安いが、まだ、働くところはある。
(最低賃金が笑っちゃうほど安い)

野菜も果物もおいしい。
気候は、冬は確かに寒いが、降水量が通年を通して少ないので、いつも晴れている。冬も晴れている。夏はそれなりに暑いが、湿度が少ない。冬も、風がないので、気温の割には暖かい。雪の量は、山国なので、住む場所によってだいぶ違う。

以前、ナガノパープルというブドウが、他県のデパートで、四倍以上の値段で売られていて驚いた。
夏は、スイカも、ブドウも、桃も、桃系の果物も豊富でおいしい。
山だから、日照時間が少ない。それが本当に欠点だと感じる。海もないので、わたしは旅行先にはリゾート、ビーチばかりを選んでしまう。わざわざ寒いところや陸地に行きたくない。

街づくり、政治は、生活と密接している。
ここに住んでいると本当にそう思う。
田中知事について、いろいろと批判があったが、彼が来てからずっと役所関係のサービスのレベルが上がった。
公僕、という意識が根付いたんだと思う。
人口減は深刻な問題だが、首都圏の数値よりも、長野市のほうがずっとましなのだ。
それは、市政や県政が、ずっとその問題に向き合ってきたからだと思う。

だいたいの人は、しがらみで、住む場所を選ぶのだと思う。
わたしもそうだ。
でも、長野市は、住めば不満はいろいろとあるけれど、やっぱり住みやすい。
教育と福祉、自立支援に力を入れていることと、市報が配られて、市議会で問題になっていることが「市議会だより」にまとめられて、誰が何をしているかが、透明だということも、とても好きなポイントだ。
図書館も充実していて、フリーで勉強できるスペースが、そこかしこにあるのも、いいと思う。

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受動型ASDのパートナーとの付き合い方

わたしのパートナーとは、はてなブログとツイッターで知り合いました。
Skypeで話しているうちに、彼からプロポーズされ、会って、初対面で同棲をし、不愉快なこともなく、話し合いが成立する、メリットがあることから、事実婚をしました。
事実婚にしたのは、別れる時の利便性です。籍を入れてしまうと、お金はいいから、とにかく逃げたい、というときでも、朝廷や裁判をしないといけないし、何年もかかるし、居場所を突き止められてしまうから、隠れていないといけないのです。
それがいやで、事実婚にしました。籍を入れるメリットは、共同財産の形成と、相続の利便性なので、それを日常的に解決していたら、問題ないです。

受動型とはいえ、パートナーは、人付き合いが下手ではないです。
コミュニケーション能力の塊のような営業の、わたしの上司のもとで、今、わたしの代わりにアルバイトに行ってもらっているのですが、無口で、内向的だが、正直で、意見があったらはっきり言う、裏表のない性格を気に入ってもらっているようです。
口がうまい人を警戒する人は一定数いるので、そういう人と相性がいいです。

会う前に、いろいろな取り決めをし、同棲しているときも、かなり話し合いました。
戸籍や収入の証明書も提示してもらいました。
また、引っ越してからも、もとの家をしばらく維持してもらい、いつでも出て行ってもらえる状況を作りました。
でも、事実婚をしてから、体を壊して、養ってもらうことになったので、結局、あのとき縁がなければ、わたしはどうなっていたんだろうと思います。

ネットから出あって結婚する人は、わたしの身の回りに多く、うまくいっている人がほとんどです。
戦中派の主治医も、ネットで赤い糸を見つけ、こっちに引っ越してもらえばいい、と言っていましたが、まさか実現するとは……。
ありのままの自分を知ってもらうためには、ブログで自己表現をしていたことが、よかったですね。
同じ価値観の人と出会えたわけですから。

ところで、彼は自己モニタリングが苦手で、体調の悪さや、感情の変化を自覚することが難しいです。
言いたいことがあっても、言わないで、自己完結してしまったり。
そこで、わたしが、彼の様子を見て、いろいろいうことになったり、質問したり、指示を出したりすることになります。
ちょっと、それが、かえって彼の負担になるのか心配ではあります。

彼は、同じ作業をすることが得意なので、ルーチンの家事をほとんどしてくれます。
その代わり、初めてすること、即興でやりくりすることは、やや苦手なようです。
だから、基本の家事を彼がやり、できるときや、必要な時、わたしがやるようになっています。

わたしは、積極奇異型だと思います。そのため、一見、社交的に見える瞬間もあると思うのですが、すぐ疲れたり、突拍子もないことをして、トラブルを招いたりもします。それに、内向的なことには変わりありません。
似ているところと、違うところがあり、ASDという部分で共通しているから、生活は円滑です。

わたしは、就職をしたのも、結婚をしようかと思ったのも、ずいぶん遅い時期でした。
そういうことが、必要なのかどうか、興味がなく、ぴんと来なかったのです。
流されることがないので、ほかの人が焦っていても、ぴんとこなかったですし。
それでも、思い立った時に、それぞれ獲得できたのは運がよかったなと思います。

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子供の居場所としての塾

親のできることは限られている。
今だと、ジャンプのエロ表現について、性暴力的だという批判に対して、「親が性教育すればいい」という風に言う人が多いけど、親の影響は確かに大きいものの、社会の醸し出している価値観や規範のほうが、影響力は強いと思う。

高校生が、わたしに、ラノベを見せてきた。エロマンガ先生というやつと、肌色の部分が多い女の子の表紙のやつと。
「これ、エロい奴だと思いますか?」
と聞かれて、わたしは不快だった。
内容はそうじゃないかもしれないけど、嫌だった。
その子は、わたしに対して、「妊娠したならクラシックを聴くべき」とかお化けを怖がっている女の子に「そういうの迷信だから」といきなり割って入ってくるから、前からちょっと嫌だったけど、ますます嫌になった。
「知らないけど…」
「これ、学校で読んだらまずいですよね、終わりますよ」と言っていたから、エロいものだと見えるのはわかっているのだろう。
そして、わたしが嫌がっていることもわかっていて、なおかつ、人が嫌がっていても、エロに関することだったら、相手の女の人を嫌な気持ちにしても、かまわない、と思っているんだろうと思った。あとから、セクハラだと思った。

親御さんに会ったことはもちろんあって、とてもいい教育をし、子供にこれ以上となく向き合っている。
でも、親といるよりも学校にいる時間や、ネットをしている時間のほうが、もうすでに長いのだ。
そして、彼の価値観は、たくさんの肌色の女の子が描かれている本屋や、ネットで、補強されていく。
子供を教育するのは大変なことだ。

前置きが長くなってしまった。

わたしは、子育ては当然社会でするべきだと思っている。
公的な教育は、親のばらつきを是正して、子供の不利益を平等にならす役割があると思っている。
親に任せていたら、子供の能力の発達が、運のいい子と悪い子で、わかれすぎてしまうからだ。
親にとっても、自分の子供が人生のすべて、となることが良いことだとは思えない。

わたしの理想の塾は、勉強が自由にできて、おやつも食べられて、安心していられて、親御さんも、安心して預けられる場所だ。
知的好奇心を満たし、もっと知りたい、勉強したいと、やる気を出すような場所になってほしい。
最初は自分で塾を経営しようと思っていたけれど、同じ志の人が誘ってくれたから、雇われるという楽な身分でそれに関われるからラッキーと思った。
わたしは、結婚して、お金の心配も減ったせいか、「誰と働くか」「どんな理念か」のほうが、給料の額よりも大事になった。

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散財してしまうこと

今日一日で、一か月分のお小遣いを使い果たしてしまった。
パートナーが稼いで、パートナーがやりくりをしている。
パートナーは自分のものをほとんど買わない。
必要なものでも、迷って買う。

パートナーはわたしを許している。
わたしは、自分を許せないでいる。
でも、散財する。
散財して、その日を生き延びている。
生きていてくれとパートナーは言う。
わたしは、生きることにめげそうになる。めげる。

親と絶縁する前、美容や衣服に関心を向けることが許されなかった。また、元夫が、わたしのお金を使い果たしてしまった。
それで、人に使われる前に自分で使ってしまいたい、自分の人生に対する思い残りを、片付けたい、という気持ちがあるんじゃないか、と自分では思っている。

去年は、生活に支障が出るくらい、買い物をした。
今年は、管理できる範囲で、散財をしている。
少し、ましになったのかもしれない。
わたしが散財するために、パートナーは様々な苦労をしているが、彼はそれを苦労だといったことがない。
わたしといることが幸せだという。
いつも、不思議になる。信じられない、とは思わない。だって、本当にそう思っているみたいだから。
でも、本当に不思議だ。

彼は子育てがしたいという。
でも、彼自身は男だから産むことができない。
わたしは、彼に、子供を育てる経験をプレゼントできることをうれしく思う。
子供はプレゼントじゃないけどね、子供の人生は子どものものだから。
でも、子供にお父さんと呼ばれることや、成長を一緒に見る経験を、彼と共有できることは、わたしができるほとんどすべてのことじゃないかなと思う。
彼は生き物が好きなのだ。

散財も、いつか、落ち着くといいと願っている。
でも、それ以上に、わたしが、生きることに、めげても、寝たきりになっても、死を選ばないことを、一番、がんばりたい。
ゆっくりの歩みで、マイナスから始まって、ゼロに近づくだけなのかもしれないと、立派な人たちを見るたびに思うけれど、わたしは、わたしの体の外に出られない、そして、わたしはわたしの心の外にも出られない、ようは、未来に、わたしが今とは別人になることをほんの少し希望することができるだけだけ。
毎日を積み重ねるというのは、その希望を持てるということでもある。

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体中にシミがある

わたしには、シミがたくさんある。
以前、ネットに自撮りをアップしたとき、生活習慣が悪いから、あんなに肌が汚いのだ、と書かれた。

父も、わたしに会うたび、肌のシミのことを指摘した。
隠すように、日に当たらないように、毎日言ってきた。

一部の人は、病気や、身体的な、悪いとされる特徴を持つ人について、「何か悪いことをしたから、そうなったのだ」と思う傾向がある。そして、実際にそれを口に出す。
また、スピリチュアルな商売をしている人(もちろん、全員じゃないけど、例えばヨガのインストラクターだとか、自然食品の人だとか)は、商売のチャンスとばかり「これをしたら治る」と言ってくる。
わたしは、たくさんのマルチや偽医療に勧誘されてきた。
(余談だが、マルチに騙されている人が、わたしに「なんで騙されるの?ふつうわかるでしょう」と言ってきたことがある。騙されている人は気づかないのだ)

父とのかかわりは短く、十歳の時まで一緒に暮らしたのと、トラブルがあって身を寄せていた二年間だけだった。

総合病院で、わたしのシミは、「遺伝的なもの」と言われた。非常に少ない症例で、その先生も何度も見たわけじゃないけれど、シミの形から言って、たしかだと。
そして、それは、人に気にされにくい形のシミだとも言われた。
人間は、病気だと感じるものを警戒するので、皮膚病に見えないものが、どんなにたくさんあっても、意識に上らないそうだ。
わたしのシミは、ランダムな形をして、重なり合っている。
日焼けでできたシミとは違うけれど、そういう風にも見える。
肌はもともと白いから、若い時に日焼けしすぎました、っていえばいいよ、と医者は言った。
レーザーで取ることができないと思う、広範囲すぎるから、と言われた。
また、重度のアトピーの後遺症もあるから、どの原因のシミか、限定できないから、レーザーの種類を決めるのも難しいといわれた。

カメラマンの知人に相談した。
「シミって、風合いでしょう」と彼女は言った。
「海外の一流モデルは、アウトドアが好きだから、シミだらけだよ。でも、それが素敵なの。日本のモデルは、肌をきれいに保つために、外にも出ない、それだと、ギャラガ何桁も違うの。
シミって、好きだよ、味というか、風合いだよね。風合いがない肌よりも、風合いがある肌のほうが、モデルの世界だと高い値段が付くんだよ。それに、写真にとってもきれいだしね」
と、言ってくれた。
精神科の主治医は、「傷や、シミを、戦いの勲章だと思えない人とは付き合わなくていいよ。それを評価するくらいの人とだけ付き合いなさい」と言った。

無垢なものを尊ぶ文化の中で、年を取るというのは、結構きついものだ。
年を取ると、肌を見せるな、体形が崩れているから、と言われる。
でも、年を取ったから増える魅力があるはずだ。
むやみに露出するということじゃなく、自分が素敵に見えるから、という理由で、肌を出すことも、外に出て、日焼けをすることも、その結果、シミができたりしわができたとしても、それがなんだというのだろう?

悪いことをしたから、体に欠陥があるのだ、という考え方は、人を追い詰める。
生きていたら、なにかしら起きる。
全部正しく生きられない。正しいこととされていることも、時代で変わる。
時代で、また、人の気まぐれで変わる評価よりも、自分が楽しくて素敵で美しいと思えることを大事にしたい。

わたしは、まだ、わたしの加齢やシミを愛せない。
でも、最近は自分の顔立ちを愛せるようになってきた。
体形も、妊娠してから大きく変わった。戸惑って、追い詰められて、妊娠しなければよかったと思ったこともあったけれど、変わりゆく体に慣れてきた。
目的によって、体も変わる。
生きているって、変わることだ。

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