思うように勉強できていないけれど

思うように勉強ができていないという話を精神科でしたら
「今は、生活や育児のことを勉強しているんだ」ということを言って励ましてもらえた。
今、背後では、kohhを聴きながらアゲアゲな乳児が指をしゃぶっている。
この人はなかなか敏感で、食欲よりも、父が近づいてきたことを優先する。音がしたらその方向を見る。帰ってきたらお話しする。残念ながら何を言っているかはまだわからない。
わたしがものすごいおしゃべり&パートナーが無口なので、どっちに転ぶだろうか。
何はともあれ、話せるというのはアドバンテージだ。黙っていれば嫌われずに済んだろうという場面をたくさん経験しているけれど、嫌われるのはいつか嫌われるのだ。自分が困っていたり、逆にできることを周りに伝える能力があったほうが便利だろう。
その逆に、無口なのも、人に好かれるのでとてもいいと思う。

わたしは自分で思っていたよりも、家事が好きになった。習ったら、掃除も片付けも食事作りもできる。
今できないのはやりくりくらいだ。これは、パートナーが趣味で管理してくれているので、その範囲で失敗していこうと思う。
さしあたっては、同じようなものを何度もひたすら買ってしまうのをなんとかしたい。

今興味があるのは、不動産のことと、男女の差について。
「女と男」という本を主治医に教わったのでそれをぼちぼち読んでいる。
それから、岩波の「育児の百科」。
これは、73歳の主治医が自分の育児の時に使った本だそうだ。
つまり、おおよそ50年以上前の本だ。
でも、内容は今でもほとんど通用するもので、すでに「痛みを怖がる人がいるのだから無痛分娩を勧めていくべき」ということが書いてある。
遺伝性の病気を持っている人が子供を持つのに悩んでいたら、一度読んでみたらいいと思う。
30歳までに子供を産んだほうがいいと強く書かれているところは少し困ったと感じたが、それ以外は読んでいてとても楽しい。
発刊当時は、いわさきちひろの絵が載っていたそうだ。

わたしは、英語が弱いので、英語をもう少し何とかしたい。
だから、ヒップホップでも聞いて、英語の言い回しを増やそうと思う。
kohhさんは海外のファンが多いから、きれいな英語の訳をつけている人がたくさんいる。
だから、それを読むだけでも、勉強になる。
イディオムや文法、単語……。つまり全部だけれど、勉強をして、しすぎということはない。
しなくても済むけれど、したほうが楽しい。

例えば、不動産の買い時について考えるのにも、中学校の公民の知識でかなり理解できる。
マンションに絞ると、
利率、税金が高い時には値下がりする。
利率、税金が安くなると値上がりする。
それは、ローンを組む層が買おうと思うきっかけが、利率税金だから。
利率が安いと、買おうという動機になる。
だから、需要が増えて、本体価格が上がる。
ローンで買う場合、本体価格×利率+本体価格だから、本体価格が低いか、利率が低いかすれば、安くなる。

でも、本体価格が一番安い瞬間を見極めるのは難しい。特にマンションはそれぞれの固有性があるから。
だから、みんなが利率が低い時が買い時だと考える。
でも、実際には、本体価格が低い時、つまり、需要がなく、供給が有り余っているときも買い時だ。
一番買い時ではないのは、消費税が上がると発表された後の駆け込み需要の時。
政府は、必ず需要と供給を調整しようとするから、消費税が上がった後、たいていの場合は、税金を安くする。

本体価格が上がったり下がったりするには、株価が影響する。
キャッシュで買う層も、ローンで買う層も、どちらも、祖父母力(勝手につけた)が関係する。
祖父母の支援を受けてマイホームを買う人が多いので、祖父母(実家)が持っている財産の形成が株によってなされている場合、株価が上がれば、支援する動機とパワーが高まるので、現役世代が買おうとする。
だから、需要が高まって、値段が上がる。

今後は、オリンピックの後に、値段が下がると予想した人たちが、値段が下がる前にと手放し始めたので、値段が下がりつつある。

上記のことは、中学生の時の知識があればわかる。

わたしは、今、本を読んだり、知識を増やしたりすることはできていないけれど、体の自由が利かない分、考える時間だけはあるから、こういうことを考えたり、調べたりしている。

こういうのも、勉強だ。
赤ちゃんの発育を記録したり、あやしたりすることも、挑戦だ。
保健師さんにも心配をかけたけれど、保育園を利用することによって、だいぶ回復してきた。
それで、精神も安定して、子育てが面白いと思える。
こういう気持ちの変化も、大事に記録していきたい。


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虐待された人間が親になって、まだ三か月ですが、どのように考えているかを中心に書きました。
【内容紹介】
毒親に虐待された子供が、親になるときに、感じたことは、「こんな弱くてかわいい子供に、ひどいことをできるのはおかしい」ということでした。
出産する前よりも、強い気持ちで、親には絶対に会わないことを決意した理由は、虐待の連鎖を防ぎたいからです。
自分のことだけを考えるなら、いつか、自分の気持ちをわかってくれるかもしれないという淡い期待を断ち切れなかったけれど、自分に守るものができて、その期待を捨てようと思いました。

目次
毒親の子が親になった
虐待をしてしまうかもしれないわたしへ
親の喜び
 妊娠初期
 妊娠中期
 妊娠後期
 妊婦に対する男性からの嫌がらせや暴力
 周りの反応
 母親学級による出産にまつわる知識
 出産直前
 成長に対するさみしさ
 親の喜び
 男親のできること
 親には感謝しなくていい
あとがき
奥付


訓練することで見えてくるもの

保育園に見学に行きました。
そこで、四歳くらいの子供の絵を見ました。
遠足に行った時のことを描いた絵だとわかりました。
「バス」「おべんとう」「人がいて」「楽しい」ということが表現されていました。
これは、物事を記憶して、抽象化して、時間ごとに起きたことを切り離せて、しかも、それを平面に表現して、並べることができ、思ったように線画できるという能力がある、と判断できる材料になります。

それで、わたしは「上手だねえ」「すごいねえ」といえます。
わたしがこのようなものの見方をするのは、普段、中高生に勉強を教えているからです。
彼らに、何ができて何ができないのか、あるできなさには、どういう困難があるのか、そういうことを考えながら見ます。
知識がないのか、知識を得る手段がないのか、発育がそれに伴っていないのか、知識を生かす前提がないのか、字を読むことに困難があるか、あるとしたら、目が見えにくいか、字を認識しにくいか、手がうまく動くか、動いたとして、たとえば筆算をそろえて書くことの意義を理解できているか、できていたうえでやれないのか、そういうことを細かく見ていきます。

わたしは基本的にケアレスミスというのは存在しないと思っています。だいたいは、本質的なミスです。
文末まで読む習慣がないとか、文末の意味を理解して、覚えておくことができないか、そういうことで間違えているだとか、そういうことを考えるために「ケアレスミス」という思い込みがあると、その子が何に困っているか、どういう対応をすればいいかが見えなくなるからです。
ケアレスミスは本人がぼーっとしているから起きるというニュアンスがあります。
ボーっとしているとしたら、注意できるようにするために、具体的にどんなことを手伝えばいいのか、そういうことを本来は考えないといけませんが、そこまで考える人はまれな気がします。
だいたいは「気を付けないとだめでしょ!」のようなことを言って終わります。

なんの解決にもならない。

勉強一つとっても、その子の困りごとを解決するために手伝う、そういう姿勢が必要です。
そういう姿勢でいると、見えてくることがあって、その子供の、人格的な側面や、情緒的な成長や、人柄が、非常に影響してくることや、一つの表れを、細かく分解しながら考えていき、どう手伝えばいいのか、考えていくことが大事だということが分かってきます。


わたしたちは人工的に「自然」を作り上げている

わたしが赤ちゃんを産み、育てる過程でわかったことは、人間のふるまいのうち、本能に起因するものは非常に少ない、ということです。

生まれたばかりの赤ちゃんは目も見えません。
なにもかもぼやけていて、境界がない。
わたしたちが物を見るときには、その輪郭線を抽出して、あたかもそこに「線」があるように認識してみます。
光を目が受け取って、処理するときに「明るいところと暗いところの差が激しいところ」に物体と物体の切れ目があるように予想できるようになるまでには、光をただ目で受けるための機関があるだけじゃなくて、脳が発達しないとだめなんです。

赤ちゃんは、自分の体をまだ知りません。わたしの子は、二か月たった今、ようやく、自分には手があるようだ、ということに気づいたところです。
生まれたばかりの赤ちゃんには、いくつか反射があります。手を握ると握り返してくれるとか、口に乳首を入れると吸い付くとか、そういう反射があります。
でも、今でさえ、自分から乳首を離したら、口の中から乳首が消える、という因果関係もわかりません。泣いて怒ります。自分から乳首を「うえっ」と出したくせに、ないと怒ります。自分がのけぞったり、手でつっぱると、乳首が口の中に入りようもない、ということもまだわからないのです。

これはとても興味深いことで、わたしたちが「当たり前」だと思っていることは、かなり分解して考えられた結果だということです。
吸い付いている乳首から口を離したら乳首がなくなる、というのは、「自然」ですが、それを理解するかどうかは「自然」じゃないわけです。乳首から口を離す、そうすると口の中から乳首がなくなる、泣く、これは因果関係を理解するという行為です。
これはもう思考の範囲だから、「人工」的なことであって、本能ではないのです。
「本能」と言われること、「生物学的に自然」と言われることはたいてい嘘です。
生物学的に自然と言っても、生物の種類によってその振る舞いは全く別です。本能として、生まれたときから持っている能力というのは、人間の場合、自発呼吸、眠る、口に何か入ったら吸う、足を曲げる、握り返す、泣く、くらいです。
指をしゃぶるという行為すら、時間をかけて、発見し、練習し、学習して、獲得することなんです。

唯一「自然に」行われることは、人間は、「発育することに前向き」だということくらいです。
成長していくことだけは、自然に進んでいきます。それが早かったり遅かったり、刺激を与えることで、よりスムーズに進むようにすることはありますが(つまり、この時点で人工的な部分が紛れ込んでいます)、発育していきたい、という欲求だけは、もともと備わっているようなのです。
ただ、それも、「学習」によって、進んでいくようです。

社会は頑張って異性愛者を育んでいる 同性愛は先天的か後天的かの議論を超えて
この記事が面白かったのですが、ようは「自然発生的に」「欲望するということ」はなにか、という問いだと思いました。
わたしが見る限り、自然発生的に欲望していることは、「成長する」「発育する」ということだけです。
発育した結果、「何かに欲望を持つ」ことになるわけだから、その何かが選ばれる過程は、わたしの「親」という立場からすると、「自然発生的」欲望じゃないです。
わたしが、例えば「異性愛」が普通だと教えたとしても、それに対する反応が、「それをそのまま受け入れる」としても、「自分はどうやら違うようだ」と思うことだとか、「自分も異性愛というやつらしい」と思うかどうかは、わたしは操作できないです。
ただ、「それが普通」ということは言えます。でも、それはすでに恣意的なわけです。つまり、人工的だということ。
そもそも「この人は女だ」「この人は男だ」と判断すること自体が、かなり雑です。
二つの分けるということは、ある特徴のある生物群を抽象化するという過程をどうしたって経ないといけないわけですが、それも「思考」なわけです。まず、五感で感じて、それを人だとか動物だとか生物だとかそういう風に認識して、それからさらに、その特徴を抽出して、今まで得てきた情報のデータベースに照らし合わせて「この人は女/男」だという答えを出すわけです。
でも、それを答え合わせするわけじゃないし、答え合わせしたところで「正解」かどうかもわからないわけです。

異性愛という概念が成り立つ前提には「女と男というものがあるらしい」「自分と同じ性別というものがあるらしい」ということが了承されていないといけないのですが、そもそも「同じ性別」というのが上記の記事でもあるように、すでに怪しいのです。
自分がこの人は女だ、と判断した人が、「女」であると確実に言えない。
外性器が女かもしれない、内性器が女かもしれない、染色体が女かもしれない、自意識が女かもしれない、どの段階で女かどうか判断するか?
わたしたちには、それが難しいから、記号的に「こういうふるまいをするから」「こういう体つきだから」「こういう衣服を着ているから」と文化的に判断します。誰が女か男かを決めること自体が、文化に依存します。日本だと外性器が女か男かで決めることが多いです。外性器が女だったら女らしい振る舞いをして女らしい服装をします。
だから、男性はおおむねスカートを穿かないし、女性は上半身裸で過ごさない。それをすると、「文化的な秩序」が壊れて、当たり前として了解している約束事がぐらぐらして、人は不安になるのでしょう。
毎回毎回、「当たり前」について疑ってかかるのは、大変疲れることです。

自分が女か男かもはっきりしない状況で、自分が好きだと思った相手が女か男かわからない状況だと、「異性愛」という概念が発生しようもありません。だから、「自然に」異性愛になるわけじゃないのかなと思います。

親として、子供を育てていて、本能的に育てられる部分はほとんどありません。
せいぜい、産んだ後母乳をやると、子宮が収縮しやすい、赤ちゃんを抱くと胸がきゅーんとする(たぶんホルモンが出る)くらいで、かわいがって育てるとか、抱くとか、乳をやるとか、そういうことは学習してできるようになったことばかりです。

わたしは生まれつき備わっていることって、体の機能的な部分と、「成長したい」という方向性くらいだと思いました。
自分の体は自分のものであり、自分が大切にしていい、自分がコントロールできるという感覚だって、当たり前に最初から備わっているわけじゃなくて、周囲と本人の協力によって、育てていくものです。

わたしは、小学三年生くらいまで、いつか、ちんちんが生えてくるんだと思っていました。
心配なようであり、楽しみなようで、いつかな、と思っていました。
生まれつきちんちんが生えている子と、それ以降の行いによってちんちんが生えてきて女の子から男の子になる人間がいるんだと信じていたんです。
でもわたしにちんちんが生えてくることもなく、わたしは、ヘテロセクシュアル、シスジェンダーの女性に育ちました。

生まれつき「こうだから」じゃあ認めてあげよう、というのはそういうことで、おかしいと思います。
最初から最後まで変わらない人のほうが珍しいと思います。
人は揺らぎながら成長して、疑問に思うことを確かめることで、「自分」というものを確立していきます。
それは赤ちゃんの時から、少なくとも、わたしが今この年になるまでは、そうだったみたいです。

本能的に行われることがそもそもわずかなので、欲望に至っては、ほとんどが、知識や情報によるもので、それに対する反応は様々だけれども、それが個性と呼ばれることじゃないかなと思います。


男尊女卑に染まると、成績が伸び悩む

統計やデータを必要とする人は、読まないでください。
わたしは、データも大事だけど、現場の感じていることも、貴重な情報だと思うので書きます。
聞き取りやフィールドワークも研究になるのだから、データデータという人はちょっと滑稽にも感じるのだけれどそれはおいておいて。

スマホを手にした男子高校生は、男尊女卑に染まります。
スマホを持つまで、ネットを見る時間が長くなるまでは普通の子だったのが、ネットの記事を読みだすと、お母さんをバカにし、目上の女性をバカにし、年下や同級生もバカにするようになります。
すると、周りから人がいなくなります。
そして、「理解されない」という恨みを抱き、「理解しないほうが悪い」と思考が転換していきます。
そうすると、ますます、ネットの男尊女卑にすがるようになる。
男尊女卑というのは、妄想です。
男というだけで、素晴らしくすぐれている、という妄想です。
だから、それに染まると、まったく努力をしなくなる。
しなくても、自分は男だから、で止まってしまうようです。
それに、努力はすればするほど、いかに自分が卑小な存在か突きつけられるようになりますからね。
一度、男尊女卑の甘い蜜を吸うと、その「卑小な存在だ」「何もできない存在だ」ということに耐えられなくなるみたいです。

ネットに、コンビニに、本屋に、ポルノ的なイラストや、ポルノそのもの、性暴力があると、何が悪いか、というと、自分が女性に性的嫌がらせをしても、「許される」と思い込んでしまうという弊害があります。
男子高校生が、「女性の裸に近い姿のイラスト、ポーズは煽情的」なものを見せてきて「どう思う?」と聞いてきました。
それは、性的嫌がらせです。だから、わたしは、その子と話すことが嫌になりました。
でも、彼は、そういうことをしても、いいと思っているからそうしたわけです。
だって、性的嫌がらせをしても、女の子は赤面したりキャーというだけで許す、という物語があふれているからです。
環境的にも、ポルノはたくさん売られています。だから、そういうものを、女性も見慣れているし、見せていいんだと、彼は勘違いしたんだと思います。
だけど、そういうことをしていると、人に嫌われます。当たり前だけど。
人に嫌われると、適切な助言をしてもらえなくなります。男尊女卑があるから、わたしの勉強に関する助言も聞かないです。

それどころか、わたしに「母親たるもの」というような説教をしてきます。

そういうことをするのは、彼女がいる子もです。モテないからそうなるとは限らないのです。

全体的に女の子は、教えれば、成績が伸びます。やる気もある、努力もする、伸びないわけがありません。
でも彼女らがしっかりしているのは「女の子だから」と抑圧されてきた結果だから、それはそれで、わたしはひっかかりを感じています。

「女の子は浪人を許さない」「女の子だから、そんなに上を目指さなくていい」「そもそも教育は必要ない」という保護者はまだまだ大勢います。だから、女の子は「子供時代のリミット」を常に目の前にぶら下げられているため、しっかりせざるを得ないのだと思います。だから、女の子は、能力が高くなりがちです。

男の子でも、勉強ができる場合があって、それは二通りです。
教育熱心な家庭であるか、お父さんがお母さんを尊重する家庭であるか、どちらかです。
でも、本当にそういう男の子は少ないです。なかなか根深い問題です。

男尊女卑というのは、男と女が世の中に二通りだけ存在しており、男というだけで偉い、と妄想する、妄想の中でもきわめて雑な妄想です。
客観性がないのだから、もちろん、学業も伸び悩むのも当たり前かもしれません。
男尊女卑の染まることで、その人の能力が限定されてしまうのだとしたら、差別者自身も、不幸せなことだと思います。
差別される側は言うまでもなく。
(ただし、差別が存在して、世の中を動かしているので、下駄を履かされている男性が、能力が低くてもそれなりの地位に就けるという現実もあります。その現実自体が、男性の能力を制限する過程を再生産しているともいえます)


出産を経て毒親には一生会わなくていいという確信を得た

出産直前、親にされた仕打ちを思い出して、のたうち回って、号泣して過呼吸になった。
自分が、子供に同じことをしないか同じ気持ちにならないか心配で、うつ状態にもなった。

産んでわかったのは、赤ちゃんは信じられないほどかわいいということ。
そして、弱いということ。
弱いから、わたしに愛されなければ、死んでしまう。だからか、わたしが「かわいい」と思うような行動をしてくれる。
モロー反応、新生児微笑は、親が子供を育てやすくする。そのための本能だと思う。
それがわかっていても、もちろん、かわいい。
嗅覚で、わたしを判断するから、ねぐずりがひどいとき、わたしの布団で添い寝すると安心して眠る。
抱っこも好きだし、わたしが歌うと喜んでにこにこしたり、おしゃべりしてくれる。
ほかの大人と夢中になって話すと、こっちを見て、というように、服を引っ張って、うにゃうにゃ言い、反応しないと眉をしかめ、返事をするとにっこりする。
柔らかくて暖かくていいにおいがする。

こんなに、弱くて、小さな存在を、どうして、いじめるんだろうか。
そのいじめる理由があったとしても、それは許されない。

わたしは今でも親にされたいじめ、虐待を思いだせる。忘れたとしても、パートナーが覚えていて、証人になってくれる。
子供を会わせないのはかわいそうかもと思ったことが、出産直後の夜に、看護士が痛み止めを意地悪でなぜか出さなかった(医者は出すように指示を出していたのに、従わなかった)ときにあった。たぶん、いじめられて、気持ちが弱ったんだろう。
そのときも、手紙を書いて、わたしは会わないで、外でパートナーに赤ちゃんを連れて行ってもらって、そこで面会するというストーリーを考えた。会うのはそういう時でも無理だった。
会うことを考えると、身体症状が出る。それほどのいじめをしたのは、彼らで、だから、会えないのは彼らの自業自得。彼らは、したことをしていないという。記憶をすり替えることができるみたいだ。

子供は小さくて弱くてかわいいから、絶対にいじめてはいけない。いじめる気持ちも全然わからない。わかりたくもない。
彼らは異常者。
悩んでいる人に言いたいのは、赤ちゃんや子供をいじめる人に、どんな理由があっても、許す理由にはならないから、一生会わなくていいよ、ってこと。
子供を産んでから確信が持てた。あいつらは屑だ。


こんにちは赤ちゃん

予定日、一週間超え、四十時間の陣痛の末、帝王切開で赤ちゃんが生まれました。
よく頑張ってくれた!

陣痛中は、赤ちゃんも苦しいんだって。

こんな幸せで、かわいいものを見られて、世話もできて、素晴らしい。

痛み止めが切れたときに、おセンチになって、「母親に会わせなくては」と思ったけど、痛み止めが効いてからは、「なんで、気も合わないしひどいことした人に気を使わないといけないねん、自業自得やんか。そもそも、赤ちゃん見たいかどうかもわからんし」と現実に戻ったので痛み止めは偉大。
医学、科学、万歳。

ところで、

君はいい子
という文章があって、何度読んでも泣いてしまう。

最後は、お母さんが振り絞った最後の気力によって、道が開かれていくのだけれど……。
このお母さんのほかにも無数のお母さんがいるんだろうな、と思う。

親の技量にすべてがゆだねられるのではなく、社会の仕組みが、大切だ。

相談しやすい、相談するのが当たり前、というような、家庭を閉ざさない社会的な工夫が本当に必要だ。

今度、わたしのところには、助産師さんが家庭訪問してくれる。
もしも、予約して、わたしが行くというシステムだったら、あきらめているかもしれない。
でも、来てくれたら、家の状態もわかってもらえるし、リラックスしやすい。
一度話したら、また、話しやすい。
行政とつながる工夫をしていくことって、本当に大切。
これだけで、全部解決とはいかないし、あのお母さんも、学校を通して、社会とつながっていたけど、警察に電話をするまで、助けが来なかった。
だから、いろいろな人と関わることが大切だけど、困難な子を持つ人ほど、その余裕がない。
家庭は閉ざされたら地獄になる。

わたしは、幸い、ASDと双極性障害のおかげで、普段から福祉に慣れている。でも、みんなが身近に、そういうものを利用できたらもっといいなと思う。

赤ちゃんを、死なせないで育てるのが目標です。